ひとは思いこみでできている

思うこと 気づいたこと なんでも書く

苦手な絵本

 

ヨシタケシンスケ氏の絵本や本が苦手だ。

 

年上の友人から、ヨシタケ氏の本をよくいただく。(ありがたき幸せ)

『思わず考えちゃう』(エッセイ)

『ころべばいいのに』(絵本)

…ほかにもあったけれど、今手元にない。

ただ楽しいから、好みだから、もしくは生きるのに役立つように、という気持ちで贈ってくれているのだと思うのだけど、

読むたびに「あっ、やっぱり苦手…」となる。

なんで苦手なのか考察してみよう。

ヨシタケ氏の本や絵本は、生きるのにしんどくなる心の部分をえぐってくるから?読んでいて苦しくなるから?読んでいて楽しくないから?

確かに内容は「まるで自分について言われているようだ」と思えるようなものだ。

でも感覚が合わないのかな?違和感を覚える。すごくモヤモヤする。

このモヤモヤが気持ち悪い。

たとえば『思わず考えちゃう』

一読して数ヶ月経った。内容はさっぱり覚えていない。

でも一読したときなんだかモヤモヤが残って、あんまり好きじゃないな、と思ったのは覚えている。

ちっとも共感できなった。

 

贈ってくれた友人に感想の一言でも言えたらと、本の中のエピソードでよかったと思った部分を探しながら読んでも、やっぱりどれにも共感できなくて、再読もしてない。

このエッセイの中にも書いてあるけど、ヨシタケ氏は心配・不安症で、めんどくさめの人、要領もよくない。

そういう点、自分もそうだから感じ方としてよく理解できる。

たぶん、同じ不安なこと心配なことがあったとき、それを解決したりいなしたりする手段がぜんぜん違うんだろう。

ただその手法が私には遠くて、ほぅほぅそういう方法もあるのね、でも私はその方法は取らないな、と思うんだ。交わらないんだ。

近いけど遠い感じ。

立っている高さが違うのかもしれない。横の方向にはいない。縦方向に離れてる感じがする。

たとえば『ころべばいいのに』

うん。よくわかる。よくわかるよ、こうした気持ち。きらいなひと、いるし。でもきらうと自分の中がぐちゃぐちゃになって、余計に苦しくなるんだよね。だから、なくそうってもがくけど、なくならない。なくならなくっても、自分を機嫌よくいさせてあげるために、好きなものや好きなこと、避難場所を作っていこうって思うよね。苦しいのは私だけじゃないし、ものごとを俯瞰したり客観的に見られるようになったら、ふと楽になったり、自分なりの解決策を考えたりできるようになるよね。冷静になって。

…うん、よーくわかるよ。

頭の中で思い巡らせていたことを絵本にしてもらって、わかりやすくなってる。

うんうん。

でもなんでだろう、まったく共感できない。そうよねー、とは思うけど、その通りとか、納得とか、そうなの!とか思えない。

***

私は本には「楽しみ」を見つけたい。

その「楽しみ」は、心を動かすものだ。

その「楽しみ」は、苦しく感じても、悲しく感じても、絶望を感じても、でもやっぱり「読む楽しさ」なんだ。

ジャンルや時代は関係ない。

文字を追っていくと、心をぐいぐい揺さぶられる。奥の方に触れる。ギュッとなる。パーッと解放される。

キラキラと光を感じ、トンネルの中のような暗闇を感じ、どこへ連れて行かれるか知れないワクワクを感じる。

主人公たちに共感できなくても、その気持ちを想像したり、そんな見方をするのかと発見したり、本を読んでいる間じゅう、心は忙しい。早く続きを読みたいけど、もったいなくて読み終えたくない。

そういう本が、私の好きだと思う本で、「本の楽しみ」だ。

 

だから、そう感じられない本はやっぱり苦手で、本ならなんでも好きだと思ってたのだけど、違うことがわかった。そうして、それでもいいのかもしれないな。

苦手は苦手、さっぱりした。

 

 

私の原点

高校生の夏休み、国語の宿題で「小説、随筆、詩、俳句、短歌、読書感想文のいずれかを書いて提出」というのがあった。(うろ覚えで、俳句・短歌はなかったかもしれない)

それらは学年ごとに添削されて、選ばれたものは学校発行の小冊子にまとめられて配布されるというものだった。

 

文才などないし、読書感想文は大の苦手で、毎年提出するだけで精一杯だったが、3年の時に「随筆」らしきものを書いた。

随筆、なんていうと大仰だ。エッセイでも大げさだ。ただただ思いの丈を短い文章でまとめただけのものだったけど、小冊子に載せてもらえた。

原稿用紙たった数枚でも、夏休みの間じゅうヒィヒィ言って、ああでもないこうでもないといっぱしに悩んで書いたものだ。

まさか選ばれるとは思ってなかったけれど、3年生だし、最後に書いてみよう、と思って書いたんだった。

先生の校閲も入り、活字になった自分の言葉は、まるで録音した自分の声を聞いたみたいに気恥ずかしく、自分のものではないみたいで、でもまじまじとそのページを眺め、手の指で撫でた。

友人は小説で載っていた。彼女の文章は美しく幻想の世界を描いていて、こんなものが同い年で書けるなんてすごい、と憧れた。

 

もともと美術系の大学の姉妹校で、美術コースにいけたら、と入学した高校だったが、選抜の時(いやそれ以前の授業でも)、基本的な手技手法も知らず、デッサンもできない私は、絵を描くこと自体が無理な話だった。単にお絵描きが好きだっただけだ。

技術はもちろんだけど、なにより欠けていたのは「自分のなかから生み出す力」だった。

私には描きたいものがなかった。湧き上がる表現力も情熱もなかった。

今も、何もないところから何かを表現することがどうしても不得手だ。どちらかといえば、既存のものを模倣したり、変化させていくほうに面白みを感じる。

 

美術コースに行けなかったことは、かえってよかった、とあとで思った。

ぶつけたいなにかも、抑えられないなにかもなくて、芸術の世界で生きられるとは思えないからだ。

今のようにその道へ進めば違う道が開けるというようには思うこともできなくて(情報不足)、私は人里離れた場所で生きる無骨な絵描きになりたかった。そんな世界に憧れただけだった。

生み出すことは苦しく、でもそれだけ喜びだと憧れ渇望する気持ちはあるけれど、私の領分じゃない。

 

それでも、絵と同じように好きな本みたいに、自分の言葉が形になるなんて、宝物のようだと思った。

なにも言いたいことがない、と自分で思っていたけれど、ちゃんとあった。小さい声で訥々と話したことも、形になることで私の身になった。そして自信にもなった。

本を書く作家の方々ってこんな気持ちなのかなぁと想像する。求められていることの嬉しさ、書きたいことを表現することの喜び。すごいことだ。

 

高校3年生の想い。そのころも今も、千々に乱れる想い。

書いた内容は、そのころから成長していない。今もおんなじことを思っている。ちょっと情けない。でもそれが私の原点なんだろう。

 

その冊子は今も家のどこかに置いてあると思う。

弱音 その2

甲状腺の腫瘍について、手術してしまったのにいまさら考えても仕方ないけれど考えてしまった。

 

腫瘍ができたはっきりした原因はわからない。

…というか、医者はそんなことなにも聞かないんですね?

できたことだけを見て、それをどうするかだけを考えるんですね。

私のことはどうでもいいんだ、と感じた。えっ?現代の医療ってこんなんなの?

 

医者は原因を探らない。

 

それがよくわかったので、医学的知識のない私は、無知な私なりになんで腫瘍ができたのか想像してみた。

 

秋からホットヨガを始め、もともと気が巡りにくい体質だったのが、ヨガをきっかけに解消された。ふだん動かすことのなかった身体を動かして、気も発散されるし体力を作るにも役立つ運動だったと思う。

よくなかったのは、ホットだったことと、急激に回数を増やしたことかもしれない。

ホットだったことは、私の体質がのぼせやすくホットに向いてなかったことで、汗をかきすぎて気が一緒にどんどん流れてしまい、一気に消耗してしまった。

代謝がよくなったことはよかったのだけど、その変化が急激であり、代謝を担う甲状腺に多くの仕事がやってきてしまった。

 

もとの体質は気滞ではあるけれど、やりすぎてしまい気虚に陥ったんだ。そして、運動すると鉄分も多く消費するから、当然のこと血虚にもなる。

そして私はもともと貧血だった。

自分で自分をしんどくなるように追い込んでいた。

 

そうしていても、補充をしなかった。

大人になってから初の運動のようなものだったのに、動くこと出すことばかりで、メンテナンスや栄養分の補充が追いつかなかった。

身体に無理をかけて、消耗していった。

結局、負荷がかかりすぎたんだ。

 

首のところが腫れているのに気づいたのは、ヨガを始めて半年過ぎた頃だった。

 

慌てて甲状腺のクリニックに行って、腫瘍ができているから手術を勧めると言われたけれど、

その時点では甲状腺の機能には問題なかったのだから、そして急激に現れた症状だったのだから、ヨガをいったんやめるか回数を減らして様子を見ることもできたんじゃないのか。

今ではそう思えて悔しい。

わざわざ切る手術をしなくてもよかったんじゃないのか。

切る手術をして、別の病気を引き起こすなんて本末転倒じゃないか。

そもそも、切ったらこうしたことが起こりうるなんて、クリニックでは一切言わなかったじゃないか。

悔やむ。知識がなかったことが悔しい。

 

いまさら手術していない人生を選ぶことはできない。

だけど、考えてしまうんだ。

弱音

甲状腺の腫瘍が見つかり、手術で右葉を切除してから2ヶ月半経った。

日に日に元気がなくなっていくことがとてもつらい。

 

 

手術後の傷の経過は良好。

手術前に聞いていた外科的な副作用として、ひきつれや嚥下の際のつっぱり感が現れたが、時間とともに穏やかになってくれたらいい。

傷口も、ゆっくりと目立たなくなってくれたらいい。

 

それよりも、残り半分の甲状腺ががんばってがんばって、でもがんばれなくなった。切除したことによる「甲状腺機能低下症」に陥ったことがショックだった。

 

入院前は、甲状腺の機能自体は問題なかった。ただ、しこりができただけ。

そして入院中は普段の生活よりよほど元気だった。

からしこりを取って退院しても、こうして元気のままいられるんだと思っていた。

 

退院後すぐ、なんだか調子が悪い。

だるく、動くとすぐにしんどくなる。息切れがする。なんでだろう? 

入院中も動くようにしていたし、階段での上り下りも積極的にして、体力が落ちないように心がけていたけど、やっぱり落ちるものなのかな、と思っていた。

 

退院してから1週間目、外来での血液検査で「甲状腺機能低下症」になっていることがわかった。TSHが基準範囲内の数値から大きく出ている。

チラーヂンSの25μg×2(調整可能なように。実質は50μg/日)を服用し始める。

 

甲状腺機能低下症は、甲状腺ホルモンの量が足りなくなって、徐々に身体の働きが落ちていく。

甲状腺は「代謝を担う重要なホルモンを出す臓器」であり、なくなると死ぬ、と外科医に言われた。

ホルモンの量が足りないので、薬で補充する。

甲状腺ホルモンが足りない状態は「なんともいえないしんどさ」と表現されるそうだが、本当にその通りだ。

動こうとしてもすぐにガス欠になる。常にだるい。寝ていたい。

本人にしかわからない苦しさだと思うけど、身体だけでなくて、精神症状に大きく症状が出るのが私にはとてもつらい。

 

その2週間後の外科外来で、腫瘍の病理結果と血液検査を受ける。

腫瘍は良性だった。

 

手術をする前の細胞診検査では、クリニックで「不明」、外科病院では「良性」と出ていた。けれど、はっきりと結果として聞かされることがこれほど安心に感じるとは。

血液検査では機能低下の「傾向がある」までは回復した。TSHの数値は基準値ギリギリだった。

たしかにその頃にはしんどさが少しマシになっていた。移動や動くことを最小限にして、ひたすら休むようにしていたから、ということもあるかもしれない。

 

手術をした病院での外来はここで終了し、以後は初めに行っていたクリニックでフォローしてもらうことになる。

けれど、終了後からまたどんどん調子が悪くなっていった。

 

ひと月後、クリニックへ再来。先生にどうかと聞かれたが、「しんどいです」の言葉しか出てこなかった。

今回は血液検査なく数値がわからない状態だったけど、チラーヂンの量が少ないのじゃないか、という私の訴えには「うーん」と明確な返答はもらえなかった。

とりあえず、食事が取れているか、睡眠が取れているかを確認された。

食欲はなかったし、眠りも浅く眠れた感はない。食事は食べないことも増えていて、内容も極端に量が少ないか、栄養を無視したメニューが重なっていた。

体重が減っていることを指摘され、食事が取れるように漢方などの薬もありますよ、と言われたが、減ったといっても半年で3kgぐらいである。そんな急激なものじゃない。

でも、食べないと体力の回復にはつながらないことも理解したので、受診後はなるべく食事をするように心がけている。

食べたら食べたで、やっぱり身体が元気になってくることもわかる。食欲が湧くこと、おいしさを感じることがまだ少ないけど。

睡眠は、睡眠導入剤を処方してもらう。持っているだけで安心だ。

先生としては、普通の生活を送り、基盤をしっかりさせることを言っていたのだと思う。

だけど私はしんどすぎて、でもそのしんどさを縷々訴えても明確な答えを返してくれない先生に不信感を持ってしまった。

 

現在は、婦人科の治療も併せてしており、その影響もあって、ホットフラッシュや血圧の上昇、精神面での症状が強く出現している。

 

素人の私には、どっちがどっちの症状なのかわかりゃしない。

とにかく身体に振り回されている毎日。

知らないことは恐ろしい。無知は悪いことを引き寄せてしまう。

 

ともかく次回の甲状腺クリニックの受診では血液検査がある。TSHほか、現状態を診断してもらうこと。

そして、未来のなりたい姿について思いを話すこと。私はチラーヂンを飲まない身体になりたいが。

あとは、現状の私に合う薬を処方してもらうこと。(チラーヂンだけでなく、食欲や精神症状に効いた漢方薬があるから)

 

長くなったので、思ってしまった怖いことは次回に。

 

幸せってどんな感覚?

旦那さんと話していた。

「幸せと思う時ってどんな“感覚”がする?」

 

あれをしたから幸せ、これをして幸せ、というのではないんだ。

幸せだなーと思う時の、身体の感覚、五感みたいなものを知りたくて。

旦那さんは、華やかな気持ちになる、と言った。派手さはないけど、ふわっと身体が浮き立つような感じ。

ぜんぜん違った。

 

私の場合は幸せだと思ったと同時に“おそれ”が湧いてくる。

だから、何かから身を守るように背中がちょっと丸くなったり、手をグッと握りしめたりする。

この今の幸せがすぐに消えてしまうんではないか、と思うから、身を潜めるような動作をしてしまう。けして手放しで解放された気分にはなれない。身体の感覚は硬いままだ。

幸せは一瞬のことで、すぐになくなってしまう。この今の幸せを逃したくない、とギュッと縮こまる感覚だ。

 

そこでちょっと客観的になってみよう。

こういうことを言う人が、幼いころの自分だったら。またはごく若いころの自分だったら。

そうか、もしかしたら、幸せだー、楽しいーと思った時に、なんらかの事情でそれを取り上げられたり、中断されてしまったのかもしれないね。もしくは取り上げられたと感じてしまったのかもしれない。

事実はどうあれ、私の中の私は、今にもそれがなくなってしまう、ということにフォーカスして、それがずっと続いているんだな。

何度も何度も重なって、そう思い込むようになったんだろう。

ちょっとかわいそうだな。

 

そう、幸せは瞬間的なものかもしれない。これからも取り上げられたり中断されたりするだろう。

だけどね、幸せは何度でも感じていい。ずっと続かなくても、何度でも感じたらいいんだ。

たった今から、今の自分の幸せの感覚を持ったらいい。

 

どんな感覚を味わいたい?

ふんわりと緩んだ感じ? 

あたたかいお風呂につかっているような? 

光が眩しい感じ? 

きれいな音が聴こえる? 

表情は力が入っておらず優しい感じ? 

身体のすみずみまで空気が行き渡る感じ?

横たわって、とても楽な状態?

 

誰に明け渡すことのない、自分だけの感覚。

どんな感覚でもいい。今から作っていける。

 

 

人に明るく楽しい言葉をかけると

人に明るく楽しい言葉をかけると、自分が明るく楽しい気分になる。

人に軽やかに接すると、自分が軽やかにいられる。

 

その人への心配は、自分の心配。

その人の気になる部分は、自分の気になる部分。

人のために、なんて嘘。自分のためにやってる。

人は、自分の見たいようにしか、世界を見ない。

 

そして、その人を信じるということは、自分を信じるということ。

 

自分がそうしてほしいように、人に対することだ。

だんだん実感するようになってきた。

新しい出発の仕方

若干執着していることがあった。このまま今をなんとなく過ごしていると、まだしばらくは心を縛られてしまいそうな、そういう気がしていた。といっても、それをとめようという意識も働かない、どっちともつかない心の状態だった。

 

身体はどういう感覚でいるのだろう?

身体は、これから進む方向を向いている。前を向いている。

でも感情が、まだ行きたくないと、うしろを振り返っている。

 

過去や思い出にとらわれることは、今の自分には甘く、その場所から動かなくてよいからぬるま湯にずっと浸かっているような感じで、とても心地よい。

その執着や心残りは、別段断ち切らなくてもいいものかもしれない。抱えていたって今のところは問題ない。

だけど、これから別のところへ行くと決まったから、気持ちとしてはまだそこに居たいけど、ずっとそうはしていられない。

やわやわとごまかしながら消えていくのを待ってもよかったかもしれない。しかしそうすると、その執着している事柄ごと、きっと輪郭がぐずぐずに溶けてしまって、形も思いも曖昧なものになるようにも思えた。

 

居場所が変わることで、えいやという気持ちで自ら変えていったことも今までは多かった。

どう変えるかといえば、飽きるまでやり切ること。もういいか、と思えるまで続け切ることだ。

今回は期せずしてそうなった。自分から選んだわけではなかったけど、巡り合わせがそうなった。結果、それでよかった。飽きたことで、今までのことを思い出として抱きしめることができた。

 

うしろを引きずることはもうないと思う。といって、力を込めて前を向いているわけではない。

それほどの力みがないことが、今までの私とは違う。偶然に助けられることってあるんだな。

飴を舐めるようにそのころの甘さを時々は思い出すだろう。もう少しひたっていたかった。でももう出発だよ。

愛おしい私の臓器

以前とは、身体が変わってしまったな。

ついふっと思ってしまう。

そりゃそうか、手術したんだもんね。

今まであった臓器が半分なくなったんだから、今までとは違うんだ。

 

今までと同じような動きはできないかもしれない。身体の中でのはたらきも今までとは変わってしまった。

身体は変わったのに意識はぜんぜんついてけない。

 

なくなってしまってから、感謝があふれてくることを実感した。

私の身体への感謝だ。

私の臓器への。

とても愛おしく思う。

がんばってくれてたんだね、って思う。なんにも言わずにひとり、私のためにがんばってくれてたんだなぁ。こんな私でごめんね。

 

そんなふうに思うなんて思わなかった。

腫瘍となった悪いところを取れば元通りになる、とか思っていた。まったく大間違いだった。

まず良い悪いではない。

そして「悪いもの」と捉えるのはいやだってはっきり思った。ぜんぜんそう思えない。

悪いものじゃない、私にとっては。

 

人の言う、腫瘍は何かのサインだ、とか、◯◯したからそうなったんだ、とか、怒りの感情の現れだ、とか、そういうのいらない。

原因探しも、なにかの意味づけもしない。

腫瘍は腫瘍。

なにかのきっかけでできてしまい、大きくなってしまった。

偶然やタイミングが重なっただけだ。

 

できたら私の臓器をもう一度返してほしいけれど、それは切除してしまったからそう思うのであって、手術しなければそんなこと思わなかっただろう。逆説的だ。

外来で先生に画像で見せてもらった。全体像と、病理検査に出すために薄くスライスされてるものと。

もちろん見たことなんてないから、こんな形、こんな色をしてるのか、とまじまじ見たけれど、

画面に写った写真では、実際の大きさや形、重さ、質感はわからなかった。

 

気持ち悪いとは思わなかった。

思えるはずはない。

腫瘍ができてしまっていようと、変質してしまっていようと、これは私のものだ。

 

血を見るのが苦手な私が、取り出した臓器に対してこんなに愛おしく思おうとは。

たったひとつのもの。私だけのもの。

手術しなければ一生見ることのなかったもの。

 

検査のあとはもう捨てられてしまっただろうけど、願わくば、未来に医師になる方々のなんらかの役に立っていたらいいな。たくさんの臨床の中のひとつの例として。

私のたいせつなたいせつな臓器。

自戒を込めて

HSPだったり、心がしんどくなってしまった方は、

たったいまから何もかも置いて、呼吸をする。10回くらい息を吐いて、吸って、深ーく深ーくなるようにやってみる。

そうしたら頭がちょびっとだけモヤモヤから遠ざかれると思う。

 

東洋医学には「心身一如」という言葉があるけれど、心のことって、心だけのことじゃない。

必ず、身体。

心のことに集中して、心のことしか見えなくなっているときは、ほぼ身体を無視してる。

 

スマホやパソコンに向かって、いろいろ言葉をこねくり回しているときは、身体は置いてけぼり。

「頭の中」だけでワーキャーやってる。

いろんな自分やいろんな人とヤイヤイやり取りしてる。すごく忙しくしてる。でもそれは忙しいつもりになってるだけで、身体は固まってる。身体は冷えてる。

 

頭の中が堂々巡りになってるなら、今すぐスマホを置いて、なんでもいい、好きな動きでいいから身体に目を向けて、動かすこと。

足の裏をさすってもいい、大きくのびしてバンザイするのでもいい、首をゆっくり回すのでもいい、かかとを上げ下げするのでもいい、

そうしたら、頭がちょびっとだけモヤモヤから遠ざかれると思う。

 

悩みはなくならない。

悩むことで得ているものもある。

苦しくつらいときは、そう思いたくはないし思うこともできないけど。

 

でも、たったいま生きている自分のことを見てあげられるのは、自分しかいない。

悩みの中にどっぷり浸かるのは、いまいる自分からそっぽ向いているのと同じこと。自分がいちばん自分から遠い。

 

大丈夫、たった5分10分のあいだ違うことしたって、悩みはなくならない。

悩みたいときはいつでもどーんとそこにいる。

だけど、悩みに自分の領地を明け渡したくない、と思うなら、ちょっとずつ距離を取るんだ。

いつでも悩みには帰ってこれるんだから。

 

悩んでないと私じゃない、なんて、自分の思い込み。

悩んでない私も必ずいるし、悩んでない私になれるし、そうなりたいと決めたときから、心は自分の味方になってくれる。

自分が自分の味方になる。

空を見上げる喜び

 

学生だったころ
時間は無限にあるような気がした


周りにあるものは
当然のようにあるものだと思ってた


空や風や樹々の
自然は目に入ってもいなかった

 


勉強で机に向かっている時
友だちとお喋りしている時


ひとりで図書館に行ったり
連れ立って買い食いしたり


楽しい時も
しんどい時も


私の上には
大きな空があった


私たちの気持ちのように
空も
日々刻々と
毎日毎日姿を変え


でもそこにあった


空なんか見上げる元気がない時も
空なんか見てられないくらい楽しい時も


私が生まれる前から
私が死んだ後でも


空はそこにある


その空を見上げる喜び

小さな葉っぱの積み重ね

大きな大きな公園へ行く。

空は快晴。

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日に日に肌寒さが増してきて、紅葉も進んでいる。

広がる芝生のところ、ウッドチップを敷いたところ、山道のようなところ、石畳のところ、いろんな感触があって足が喜ぶ。

見上げれば青空、前横後ろと下を見れば、緑と紅葉のグラデーション。

もうなんにもいらないと思わせる。

ベンチに座る。

頭上の大きな樹からハラリと葉が落ちてくる。芝生に降ってくる。

この小さな葉っぱは、自分のひとつずつの感情みたいだな。

自分の中に、感情の葉っぱが降り積もっていくみたいだな。

ひとつずつは小さいし、もしかしたら取るに足りないものかもしれないけど、葉っぱ一枚一枚がそれぞれ無駄ではないように、私の感情もひとつひとつ私にとっては必要なものなんだ。

どんどん降って、ふかふかに積もって、いずれ発酵する。葉っぱは腐っても土に帰っていくから、私の感情も同じように私の中に吸収される。

人工的に整備された自然であっても私からすれば大いなる自然だ(少し美しすぎるかもしれないけれど)。

その自然というものには、どうやったって理解できない怖さもある。

そして自然は、自然の中で循環して完結する。

私も、人や自然やものの助けを借りながら循環させ、やがて私の中に収まる。

花開き実をつける、とまではいかない軟弱な人間で、人様の役に立とうとしてもどうすればいいかわからない情けなさで、私は私の中だけでさえ循環させられているのか疑問だけれど、

そしてこうやって愚にもつかないことを思い巡らす頭なんかより、

私の身体のなかでは今も懸命に、血や体液が「循環」してくれてる! それでよし。

いつだって身体(自然)のほうがえらいんだ。

 

ともかく秋の公園は、本当に目にごちそうだった。

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私の本体である「身体」

手術してひと月経った。

もうひと月? まだひと月? 両方の思いが入り混じっている。

 

自分を海に例えると、

自分の中の表層は、頭で考えたり判断したりするところ。

深い層は、経験や記憶の蓄積されるところ。

自分でも気づかない意識のあるところ。

大きな希望を抱くところ。

 

表層はほんとに浅い。私の本体は深い層にある。でも意識しないと自分でも気づけない。いつもは浅い表層に振り回されている。

そして私の本体であるものは「身体」だ。

普段身体のことを忘れているけど。頭だけせわしなくアレコレ考えて動いているつもりで、身体を意識からおいてけぼりにしているけど。

だって私は自分の中の臓器が実際に何をしているのか知らない。見ることもない。知らないからわからない、と知ろうとしてこなかった。

私を形作るいちばん大きなものが身体。

身体は私の表層と深層を包み、つないでいる。

 

普段の生活では浅い層がバチャバチャ波立って、大慌てでいつも忙しくしている感じ。表面上いろいろ考えたりしている感じ。

今回手術によって、深い層の身体が直接動かされた。

身体の存在は根源的だ。身体の前では頭で考えた意識なんて吹っ飛ぶ。それくらい大きいものだ。偉大だ。

深いところで地殻変動が起こったようなものだ。底から揺り動かされて、位置が変わったり上下がひっくり返ったりしたようだ。

 

身体は「行動」してくれる。

歩いたりしゃべったり、見たり聞いたりしてくれる。

そして、行動すると少しずつ意識が変わり、見える景色や思うことも変わる。

深い、源の部分が動いたことで、今の私の中では、思ってもみなかったこと、見えていなかったこと、気づけなかったこと、それらが新旧入り交じり撹拌されている感じだ。

 

これらの経験って、身体がないとできなかったんだなぁ。

 

いつも身体を意識して生きているわけではないけど、私を支えてくれているのは身体だったんだな。身体があるから意識もあるんだな。

 

身体は、この世を生きる容れ物だけれど、この身体があるからしんどいことも苦しいことも多いんだけど、

この身体があるから、ものも食べられるし、歩けるし、想像することができるんだね。

人の話を聞き、自分の話ができる。

喜ぶことも、笑うこともできる。

しんどい時はそういうことをすぐに忘れてしまうけど。

どれだけ頭だけで生きてきたんだろ。身体が支えてくれてることを忘れて。

もういいかげん、身体のことを見てあげようよ、私は。もう観念しようよ。

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大丈夫だった

大丈夫だった。

おずおずと、人が差し伸べてくれる優しさや親切に、ありがとうと受けたら、本当に優しく親切にしてもらえた。

私なんかいいの?と、尻込みするまま怯えるままで、助かります、支えてもらっています、と言うと、周りの人たちは受け入れてくれた。笑顔や心配の表情を見せてくれた。

言葉だけで繋がっている人も、言葉には表せないだろうほどの優しさをくれた。

心細く思っている時の、その笑顔や言葉は、私を優しくなでる。安心を感じさせてくれる。

 

私を一番信頼していないのは私で。

ないがしろにしているのは私だ。

大丈夫じゃないと信じ込んでいるのは私だ。

 

でも私でもこんなにあたたかく親身になってくれる人々がいるなんて!

私になにか返せるだろうか。一生かかっても無理なんじゃないか。

ただ自分のできることをするだけで精一杯だ。とんでもないものをいっぱいもらってしまったのかと、ぼうっと空を見るような気持ちだ。

早く早くと気が焦る。なにも見えていないのに。

それぞれに返すことは難しくても、周りの人たちが私を大切に扱ってくれたように、私は私を扱い、人に優しくしなければならない。もらったものをもらったままにしないこと。

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いつか言葉に

入院中、とりとめなくいろんなことを考えた。

形のあるものではなかった。

覚えているものも覚えていないものも、いつか心の底のほうから、ぷかりぷかりと泡みたいに浮かんで、言葉になってくれたらうれしいな。