名付けて「お薬王子」
声のいい人、声を聞くとホッとする人っている。
その時々で惹かれる人は違うし、男女差もないけれど、声の魅力というものは一生ものだなぁと思う。声のいい人って得だ。ただしゃべってるだけでも聞いている私は心身ともに緩む。すごい魔力だ。
ここ数年のホッとする声の一番は森 大輔さん。
FM cocoloで「Night Aquarium」という番組をしている。
おしゃべりがさわやか。口調も小気味よい。ちょっと理屈っぽいところがその声で中和されている。声は甘いと思う。
ラジオを聞きはじめてファンになり、ちょうど4枚目のアルバムを出したところだったからそれを買い、すっかり魅了された。
さかのぼるように順にアルバムを買い足して、でも1枚目の『OPUS ONE』だけが2005年の発売だからか見つからず、最近になってようやく入手した。
そうしたらこの最初のアルバムが一番好きになった。
そのころ23歳だったそうだけど、はじめて出すアルバムにも関わらずその完成度の高さについては話題になったようだ。
音楽にはまったく詳しくないけど、聴いていてこのピアノは心地いいとかよくないとかあると思う。
森くんのピアノは好き嫌いではなくてただひたすらホッとする。
人の歌声ばかり聴くのが苦手な私でも、森くんの声にはホッとする。
明るい曲でも明る過ぎない。といって暗いわけではない。
コーラスも森くん自身がしているので、乱されない。
あちこち跳ねるようなにぎやかさはないが、そのぶん調和を感じる。
ちょうど体調がよくない頃だったので私の薬になってくれた。
名付けて「お薬王子」だ。
でもこのあいだ薬が効き過ぎた。
どんどん深く、深く、潜っていくようだった。
森くんだけに森の中にいるようだった。空想の中の森。暗い、見通せない場所。しんとして、動かない空気。木々から降り注ぐ精気にまとわれる感じ。
手探りで進もうとしている。進めなくてうずくまる。膝をかかえ、座り込む。うつむいて、じっとしている。息がだんだんと遅くなる。身体の動きも鈍くなる。
もう動きたくないような、懐かしいような、目をつむっていても安心なような。
なにかに捉われてしまったような感覚。
ひとつの曲でこんなふうになるのは、それこそ思春期のころ以来ではなかろうか。
もう帰ってこれないかと思った。知らず涙も出てきた。あぶなかった。
薬の効き過ぎにはご用心、だ。
効き過ぎた薬:
「Misty Girl」作詞作曲:森 大輔
『OPUS ONE』より
思い巡らせる言葉のこと
正しいってわかっていても、まったく心が動かず感動もせず、ただ淡々と義務のようになるのなら、それは私にとっては「正しい」ことではない。
「楽しい」ことは人により千差万別、感じ方も捉え方も違うのだけど、ついキャッキャワイワイするのが楽しいことなんではないか?と難しく考え込んでしまう。私の性には合わないのに。
私にとって「楽しいこと」「嬉しいこと」「正しいこと」「守りたいこと」。それはなんだろう?
あ、ほらまた深刻病になってるな。
考えているフリをして、結局は考えてない。ただ思い巡らせるだけ。
だけどたぶん、答えを出すことが目的なんではなくて、ぼんやりと空想のままに思い巡らせることが私にとっては楽しいことなんだろうな。
つい深刻病になるのも、それしかしてこなくて、クセになってるだけ。
今まで生きてきた思い込みで、
なんでも乗り越える、頑張る、短所を長所にする、
といった活動的で能動的で陽性の動きをすることは、前向きだし明るいし場を動かす力強さがあるから、素晴らしいことって思うけど、頭では理解するけど心は圧倒されてしまう。
そして逆の、
頑張らない、乗り越えない、無理しない、
といったこれらの言葉……ほとんどが「ないないづくし」で、陽を否定する言葉になってるから、これも言っても書いても心がふさぐし受け入れたくない…。
違うの。否定した言葉を使いたいんじゃない。
だけど、
短所を受け入れる、今の状態を認める、受け止める、
…こうした言葉もなんとも消極的に聞こえてしまってあまり使いたくない…。
あぁ、今度はポジティブ病にかかってる。
明るい言葉は使っていても気持ち良いし傷つかない気がするけど、
それを使っていて焦ったり、後ろめたい気持ちになったり、嘘をついているような気分になるなら、明るい言葉で自分を傷つけていることになるのではないの?
頭がゴチャゴチャと混乱する。言葉に縛られている。
いったん全部放り投げられたらいいのに!
読みたい本が続々と
高村薫『我らが少女A』
宮部みゆき『さよならの儀式』
梨木香歩『やがて満ちてくる光の』
作家や本の情報をなんにもチェックせずにいたら、いつのまにやら好きな作家さんの本がたくさん出版されてた!
嬉しい限り。
高村薫さんの本だけは見つけ次第買っていいって自分に許しているので(笑)、もう何も迷わず買ったのだ。
どんなものを買うにしろ、うーん欲しいけどどうしよう…お金もピンチだし、置く場所もないし、そんなどんどん買ってたらあかんかも…と悩み迷うのが常のワタシには、欲しい→すぐ買う、という行動がものすっっごく爽快だった。心からうれしいって思った。目の前がキラキラした。
お金で買える幸せがある。
でも現実ではそのお金が目減りすることの恐怖が先に立つ。お金は大切。あるけどないし、ないけどあるもの、と思う。
しかし今は入院や手術費用のためになるべく節約しなければならない。
いつか元気になって、使った分また稼ごう、とか前向きな気持ちにもなれないので苦しい。
お金のことが今の一番の恐怖になっているけど、それだけじゃない。やっぱり身体が日々しんどく、息があがり、普通にできてたことがしづらくなっている。
どんどん内向きに、狭く、こわばっていく気持ち。
楽しかったことが楽しくなくなっている淋しさ。
普通の生活から離れていく恐ろしさ。
先の見えない怖さ。
目の前のことしか見られない。
ほおっておくと、自分は孤独だと追い詰める自分がいる。
いつからこんな風になったんだろう。
いつまでこうしてなきゃならないんだろう。
私の楽しみって、いったい何?
わからなくなっている。
だけど、ほんの少しの輝きが、それが「本を読むこと」だった。
心安らぎ、リラックスして、ふくふくとした気持ちになり、自分を大切にしている、と感じる行為のひとつは「本を読むこと」だった。
あらためて発見したような心地だ。
ホットフラッシュ
ホットフラッシュってこんなのだ、と実感した。
【いつなるか】
・横になっていて急に起き上がった時はほぼ確実に
・安静にしている時でもたまに
【どんなふうになるか】
・汗が吹き出す。流れる。(じっとしていても。動き回ってはいない)
・強烈に感じるわけではないけど、じわっと上半身が暑く・熱く感じる。
【どの部分がなるか】
・頭
・顔
・胸や首のあたり
【対処】
・アイスノンで頭を冷やす
・お腹から下半身、足首は、腹巻きやレッグウォーマーをする
・上半身は服を軽くする
…状況への対処でしかないけど…しないよりはマシかな…。
夏にこの症状はキツい。まさに「のぼせる」。
治療でリュープリン注射をしている。これをすると「更年期」の症状が副作用として出現するとのこと。
「更年期症状」自体が、人それぞれ現れ方も違うから、この注射をしたからといって必ず症状が出るとは限らない。ネットで検索しても、なかなか同じ症状には出会わない。
私が回数多く現れているのはこのホットフラッシュかもしれない。
ほかには、
・足の冷え
・動悸 ←これもしんどい!
・だるさ、疲れやすさ
・眠気
・不安感
・イライラ感
ただ、今の私は、体調の変化について因果関係が明瞭ではないと思っている。
すなわちリュープリン注射をしたからこの症状が出た、とはっきり言えるのではなくて、要因はいくつもある、ということだ。
季節、年齢、日々の体調変化、生活習慣、運動の有無、いくつも重なって混ざって、AイコールBとはいえない。
この注射はまだあと数回受ける予定なので、これら副作用の症状を緩和する手立てを医師に聞かなければ。
私としては以前飲んでとても楽になった漢方薬を併用したいけれど、それも要確認。
身体の中でいったいなにが起こっているんだろう。すごく怖いし、心細い。でもなんとか少しずつ慣れないと。
今年も夏を生き延びた
夏が苦痛で苦痛で仕方ない。
いつからそうなったのか…たぶん30代半ばころから、気温や日差しの強さや気候・状況の変化についていきづらくなった。
毎年ごとに気温が高くなって、猛暑日が連続するようになったし、
苦手な要因は、自分の体調や体質だけの問題じゃない。
夏は地獄だ。
夏の期間は、生きるだけで精一杯。
息をすることも苦しいくらい。
大げさ? 本当にそうなんだから仕方ない。
夏を乗り切れるように、昨年の秋から歩くことも多くしたし新しくヨガも始めたけれど、今年にはまだ身体が追いつかなかった。でも続けていたら、きっと体力も少しずつついてくれるって信じたい。
そんな夏の間は、最低限の行動だけで息が上がってしまうので、
趣味とか、楽しく感じることやもの、心から笑うこと、そういった「心を安らげる」「心を養う」ようなことにはまったく意識を向けられない。
だから、夏の終わりにはゾンビみたいな状態だ。
なーんにも楽しいことがない。
なにを見ても笑えない。
息をするだけでいっぱいいっぱい。
…もう病んでいる。
こんなので生きてるって言えるのか、自分の状態に怒りを覚えるけれど、
それでもなんとか夏を生き延びた。
エアコンや冷蔵庫を使える環境にひれ伏すほどの感謝だ。
つい文句ばかり口から出てしまう、これも体調と心が整っていないから。とても情けないことだけど、今の私の現状だ。
そんな夏だけれど、ささやかな楽しみもあった。
寝る前のひとときに、少しずつ何度も読み返す漫画を見つけた。
『聖☆おにいさん』です。
(横にある『チュンまんが』と『タカコさん』は心が安らぐタイプで、『聖☆おにいさん』は、固まった頭に新たな視界を授けてくれて、平和な気持ちになるギャグ漫画だと感じてます。)
すごく面白くて、しんどくてもちゃんと笑えた。
「楽しみはなくなってない。必ずあるんだ」って思えた。
今が苦しいからって、ずっと苦しいはずはない。
今は見失っていることも、季節の変化があればきっと思い出せるはず。
必ず、私がもともと持っているはずの楽しみも思い出せるはず。
そう思いたい。
なんとか夏を生き延びた!
それだけですごいことだと思いたい。
今できることをして、自分に最善を尽くすこと
今日は朝から台風がゆっくりやってきていて、風がとても強い。ガタガタバタバタと煽られる音がうるさいほど。天気は暑い晴れ。
仕事に行くと、お盆休みだからかイレギュラーなことが多く振り回されてしまう。かつ未処理だったものを少しずつ進めてはみたものの、あまりはかどらない。
知らないこと・したことがないことが目の前にたくさん現れて、どんどん焦りの気持ちが湧きあがってきた。
どうやったらいいのか、いつまでにしたらいいのか、本来いつごろするものなのか、
ぜんぶ聞いていないから知らないしわからない
こんなではダメだ、どうしよう、不安になる
そんな気持ちも出てきて、いらいらするし、ソワソワする。
仕事が終わり家に戻って汗を流してもいらいら、ソワソワが続く。まだ台風はこちらへは来ていない。
暑いから冷たいものを飲んでしまう。
少し休んでも気持ちが落ち着かない。
完全に「気」が滞っている。「気滞」という状態だ。脳が興奮状態だ。
上半身は熱がこもり、下半身(特に足首から先)は冷えている。
交感神経が働き過ぎている。
こんな「気滞」には香りのいいものが効果的、ということ。柑橘などの香りと、その酸味も「気」を巡らせる力がある。さらに苦味も、鎮静する、こもった熱を冷ますといった効果がある。
ほかにも対策はいろいろあるだろうけど、今日のところは、「温かい緑茶」「深呼吸」「少しのストレッチ」を試した。
「温かい緑茶」の苦味と香り。
加えて「深呼吸」。ゆっくりとお腹をふくらませ、ゆっくりと息を吐き切る。これを何度かする。
「ストレッチ」は肩、腕あたりをそれほど身を入れずに動かすだけにした。
……なんとすぐに落ち着いた。おどろいた。
上がっていたものがすーっと降りた感覚があった。
そして、いらいらが去ると、
わかっている範囲が少ないだけ、したことがないことは不安なもの、いきなり全部は無茶、ひとつずつやってみるしかない。
そう思えるようになった。
今の自分の状態に、今の自分ができることをする、というのはこういうことなのか。
自分に対してできる範囲で最善を尽くすことができたように思って、ちょっと自信がついた。
しんどくなりそうに感じたら、一足お先に休む
「暑い」より「熱い」日が、毎日毎日毎日…いったいいつまで続く苦行なの?
それでも食べないと余計にばててしまうから、週末につくりおきをしておくようにしているが、火を使う調理は地獄だ。
火の熱さは直接的に身体に堪える。
まず暑い台所で数分いるだけで、主に上半身、頭から汗がパーーッと流れ出る。
火の熱気も上へ昇るから、のぼせやすい私にはあたまが沸騰するくらいに感じる。
保冷剤を首にまきつけて(本当はあたまの上に載せたい)、でもコンロを使い始めると数分でもう自分が限界。目が回る。
今週は身体が拒否した。申し訳ないけど、火を使う調理は主人に任せてお願いした。
東洋医学では、汗とともに「気」も流れ出る、と言われていて、さらに暑さは身体を傷めるものでもあるけど、こう連続して何週間も暑い日が続くと、しんどくなって当然だと思う。
「気」は「元気」の「気」で、命のエネルギーのこと。それが夏の今は流れやすい状態になっている。毎日流れ出ることで、エネルギーを溜めておけない身体にもなっているように思う。
だから、注意力や集中力、理解力、判断力、といったエネルギーを使うことができなくなってくる。
今年の夏はそれが顕著で、それは、
・熱中症になったこと(一度なるとクセになりやすいそう)
・暑い日が連続していること
・しっかり眠れていないこと
・水分の摂りすぎで胃腸が弱っていること(水分を吸収し切れていない)
・食べ物の消化吸収の力も落ちていること
・冷たいもので胃腸を痛めていること
・下半身の冷えと運動不足
・息がうまくできていない
こういった状態が蓄積していて、うまく身体を保てないということだ。
今年はそれに病気の治療(薬や注射)の影響が加わった。
↓
でも! できることはある。
・深呼吸を何度でも
・冷たいものを飲んでもその後に温かいものを口にする
・腹7分目を目指す
・少量ずついろんな種類のおかずを食べる(気を補う食材を食べる)
・しんどくなりそうに感じたら、何かしててもやめる、しようとしない
この最後のがけっこう大事かも、と思った。
しんどくなったら、ではない。しんどくなるまで我慢して作業してたら、もう次のステップは「しんどくなった」になるだけ。
…まだ大丈夫そうだけど、このまま続けていたらちょっとまずいかもしれない。
…まだ大丈夫そうだけど、ちょっとしんどくなりそうかも…?
みたいな、一歩も二歩も三歩も前に、「このままいったらあかんかもと感じた」ことに気づいてあげる。とりあえず座る。とりあえず休む。→やめる。本格的に休む。
といったことが大切じゃないかと思った。
しんどくなってから休むと、回復にも時間がかかるし、弱っている身体をさらに弱らせることにもなってしまう。
そしてそして、毎日を「生きているだけで精一杯」状態で過ごしているので、一歩先も見えていない状態ではあるけれど…、
・安らぐ、楽しい、和らぐ気持ちを大切に
・少し先に、楽しみなことを設定する
・できるだけ余裕やゆとりをもつことを自分にしてあげる
これも、「気」を補うにはとってもいいことなんじゃないかと思う。
「生きてるだけで精一杯」だと、どうしても日々戦闘モードになってしまって、「楽しみって何なの?」と自分に逆ギレしそうになることもあって、すごくつらい。キレたくなんかないのに、身体の状態に余裕がないから、すぐにいっぱいいっぱいになる。
毎日を「深刻に」生きているな~と気づいてしまい、苦しくなっている私への大切な処方じゃないかと思う。
熱中症になった
昨日のこと。
朝、ぐんぐん気温も太陽も上がる中、歩いてヨガに行き、強度は低いレッスンだったのにずっと汗が止まらず、帰りも歩きで汗だくになって家に着いた。
すぐにエアコンをかけず、火を使う料理をして、掃除機をかけて、お昼前くらいになった。
ようやくエアコンをかけて涼しい室内でゆっくりしようとしたものの、
なんか頭痛がおさまらないなぁ…と頭痛薬を飲んで日中を過ごし、夕方頃、急に気持ち悪くなって吐き気がしてきた。
横になっても頭痛はする。
身体がほてる、熱い、という認識はなくて、水も摂ってるからなんともない、と思ってたけど、なめたらあかん熱中症🥵
症状はすぐに出なくてもコロコロと変わり、後になって出ることもあるんだとわかった。
夜になって、ようやくぬるめの湯船に浸かり少し体表温度を下げて、それでももう熱はこもってしまっていたようで、OS-1を飲んだらおいしいこと!
通常時に飲んでもおいしくない、と聞いていたので、なんでこんなにおいしいの?!それは身体が欲していたからですよ、と自分に突っ込んでしまった。
吐き気、めまい、食欲なし、ものすごい薄着でも寒さを感じない、などなど。
氷枕を背中に置いて、ひたすら横になって休んでいた(眠れない)。
OS-1の吸収は大腸(水分)だから、飲んですぐ効くわけではなく、それから2時間ほどじっとして過ごす。
最悪、病院に行って点滴…となるところだったけど、点滴なら速やかに効き目が出たのかもしれない。
明日出勤できるかなぁどうしよう…とぐるぐる考え続けて、夜中頃にやっと楽になり、ホッとした…。
なめたらあかん熱中症!
…そういえば今の私はけっして健康体ではないんだった。
最近は治療のため注射もしていたし、もともと血量も少ないし、貧血だし、気が上がりやすくのぼせやすい体質なのに、「普通どおりに」できると思ってしまっていた。
水を飲んでるからって、それでは効果がないことを、知識として知ってても、実地で使えなかったらそんな知識は無駄になる。
痛い目を見ないと気づかない自分が怖い。
無知、知らない、気づかないことって怖いんだ。
今朝は症状はおさまって、仕事に行けた。さすがに昨日の今日だから、徒歩通勤のところを電車にした。
でも汗はやっぱりすごく出る。留め置く力が落ちているんだな。
気血両虚の状態であることを肝に銘じよ、私!!
熱中症はクセになる、ということなので、スポーツドリンクを持ち歩くことにします。なめたらあかん!
栄養不足の身体
順序でいうと「うつの治療」についてのほうが先だけれど、思い出すのに力がかかるためになかなか筆が進まない。ですので、うつが治ってからあとの、「食べられなくなったこと(栄養不足)について」を書きます。
*
食べられなくなったこと(栄養不足)の「後遺症」は、うつ状態が寛解し復職したからといって治るものではなかった。
急激に食べなくなったことで痩せた。胃袋も小さくなったのか、量も入らなくなった。食べたいという気持ちが薄まった。
それでも人間って生きているんですよね。ぜんぜん食べてないわけではないからかな。簡単には死なないんだ。
*
うつ状態になってからをまとめると、
うつ状態 → 休職(半年くらいで寛解の状態になった)→ 復職 → 退職(1年半くらい)→ 転職 → 退職(半年)、その後結婚し、転職する。これから以降は心身が安定してきた。仕事も短期間で辞めることはなくなった。
栄養不足の「後遺症」とは書いたけれど、具体的には、「肌のカサカサ」「皮膚が少しの刺激でもミミズ腫れになる」「目の乾き」がひどかった。
でもなんでそうなるのかは考えたこともなかった。
営業職の仕事をしている間に今の旦那さんと知り合い、お付き合いするようになって、ようやくだんだんと食事を楽しめるようになってきた。食べる量も徐々に普通量くらいになっていった。
結婚して自分で料理をするようになり、栄養面も少し考えて作るようになっても、そこからまた2年くらい経つまでそういった症状は治まらなかった。だから食べられなくなってから治るのにかれこれ4~5年ほどかかっている。
生理が止まったりといった女性特有の症状や、すぐに風邪をひくという免疫力の低下による症状は出なかったので余計に気づいていなかったし、見ないようにしていた。
身体の細胞がぜんぶ入れ替わるのに2年はかかると聞いたことがあって(その信憑性はよくわからないのだけど)、自分で料理をして、ごはんを食べておいしいと思えるようになってからの2年で体調を持ち直したのでその説は頷けるように思う。
皮膚がミミズ腫れになることが一番驚いた。腕にカバンをかけると、その刺激で腫れる。ちょっと掻いたり引っ掛けただけで蚊に刺されたようにブワーッと赤く腫れる。皮膚は水気が少なく、汗もそんなにかかなくなっていた。なんかおかしいなぁ、なんでだろうと思っていた。
栄養不足だったんだ、と気づいたのは、治ってからだった。皮膚に症状が出て、身体は悲鳴をあげて教えてくれてたのに、気づいてあげられなかった。
身体だけではない。精神的にももちろん安定しなかった。
不安や焦燥感はもとより、元気もなく覇気もなく、考えもまとまらない。栄養や血が足りないから貧血気味でふらふらしていた。
なにかあったらすぐに悪い方へ考える。自分を責める。落ち込む。もともとの思考のクセもあったけれど、栄養不足はそれを助長していたと思う。
目に見えることは皮膚の症状が多かったけれど、内臓はきっともっとひどい状態だっただろう。無理なダイエットをして、そこからやっと戻ってきた感じだ。
運動する習慣もなく、「身体」というものを知らなかった。知ろうとしてなかった。自分の一部くらいに捉えていた。私の本体は精神だ、と考えていたんだろうと思う。
こころとからだは両方たいせつだ。なんて言葉を聞いても、知らないことだから耳に入ってこなかった。
今は「身体」が本体で、「精神(心)」が身体の一部分だと思っている。
もちろんどちらも大事で順序はつけられないけど、なにかあってどちらからアプローチするのがいいかと言われたら「身体」から、と答える。
そして身体のことを無視すると、あとあとまで長く響くんだ、と体験から理解している。
#この岩波少年文庫がすごい総選挙
#この岩波少年文庫がすごい総選挙
少し前からTwitterで「#この岩波少年文庫がすごい総選挙」タグのツイートがたくさんあがっているのだけど、
みなさんの思い出深い本たちはもちろんそれぞれで、まだまだ私の知らない本があったことも教えてくれるし、
なにより本が好きだという、その手ばなしの愛情を感じて、みなさんと一緒だというなんとも安心した、和らいだ、満足した気持ちになる。
私がよく読み始めた、と言えるのは高校生のころから。子どものころにも読んでたとは思うけど覚えてない。
背表紙の色が分かれていて、装丁がすっきりとシンプルで、紙の色も落ち着いて、幅も持ちやすい。こうした外観も大事だと思わせてくれた。
いつか、岩波少年文庫の読んだ本たちで本棚を埋めていくことを夢見た。
おこずかいで、好きだと思うものを一冊ずつ買って、あのツルツルした表紙を眺めるのが好きだった。挿絵も原本に忠実にしているところも他の本とは違い、大切にする気持ちになった。
うしろの「そのほかの少年文庫」といった書名の紹介部分も、じっと眺めるのが好きだった。
文庫本やハードカバー、子供向けならもう少しアニメっぽい表紙の本、いろいろあるけど、岩波少年文庫はなんとなく「格がある」「上品」に感じた。それを持つ自分も、世界の名作を読むんだ、としゃんと背筋を伸ばす思いだった。
本を読むことに没頭して、本さえ読んでいれば毎日が幸せで明るく、本の中で世界の広さを知り、冒険し、感情を揺さぶられ、やがて大きな波が来てゆっくりと去るようにふわりと着地した、そういう心の動きを思い出した。
本を読むことの幸せは、私の何ものにも変えられない幸せだったんだ。
大人になって、あらためてあの手触りを思い出し、好きだったものを買い足してみたけれど、あの高校生のころのようには読めないことに愕然となった。ものすごく切迫した、萎縮したような気持ちになった。もう、あのころには戻れない。感性がなくなった、と感じた。淋しいなんてもんじゃない、自分の一部が死んだように感じた。
『くまのプーさん』『不思議の国のアリス』『エーミールと探偵たち』『点子ちゃんとアントン』『ナルニア国物語』『ムギと王さま』『名探偵カッレくん』『あのころはフリードリヒがいた』『モモ』『クローディアの秘密』『思い出のマーニー』『グレイ・ラビットのおはなし』『ティーパーティの謎』『足音がやってくる』『めざめれば魔女』…
( エンデ『はてしない物語』とケストナー『飛ぶ教室』は、高校生の時にはまだ少年文庫に入ってなくて、ケース入りのハードカバーをがんばって買ったことが私のひそかな満足なのです。)
感性は鈍くなってしまったけれど、本を読むことの楽しさは思い出したい。優しい時間を取り戻したい。
「普通に」生きている女性たちは
ふと冷静になって見渡してみれば、
周りにいる女性たち、近い存在ではない女性たち、「普通に」生きている女性たち。
それぞれみんなが一生懸命で、みんなが魅力的だ。
仕事したりしてなかったり、結婚したりしてなかったり、子どもがいたりいなかったり、そんなのどうでもいいことだ。
ただ生きて、息をして、存在しているだけで、魅力的なんだ。
人が生きている、というだけのことで、それだけでもう充分だと思った。
日々いろんなことを感じ、感情の浮き沈みがあり、自分のことで精一杯になり、人のことをあれこれ言ったりする。
なにも特別なことはない。あなたや私がおかしいわけではない。みんな同じ。
少しでも心の触れ合うようなことがあると、そんな女性たちから溢れ出る優しさや柔らかさを感じて圧倒されるようだ。
その優しさも人それぞれで、目いっぱい表す人もいれば、控えめにそっと放っておく人もいる。
饒舌になって楽しませてくれる人もいれば、言わないことで優しさを表す人もいる。
表し方が違うだけで、みんな優しいんだね。
人と比べたり、周りのことを気にしすぎて、今の自分がよくわからなくなっている人もいるかもしれない。でもきっと根っこはみんな同じで、みんな優しい。
うつになる前のサイン
しばらく前に、うつ状態だったころのことを少し書いた。
書いたことで私の中のなにかが開いたのか、その頃のことをあやふやなりに少しずつ思い出してきた。今日は、うつになる手前にあったことを書きます。
◯離婚して新しい仕事へ
うつに陥る前、私は張り切っていた。
離婚して実家へ住まわせてもらうことになった。住むところはあったけれど、「一人で生きていかなければならない」「もう結婚なんてできないだろうし考えられない」「経済的に一人立ちをしなければ」と孤独に奮起する気持ちだった。
と同時に、自由になったことの喜びもあった。ふわふわと浮き足立った、足枷が取れたんだ、というような気持ち。
仕事は同じ職場で職種転換の試験を受けた。ちょうどよいタイミングで新しい部署の立ち上げがあり、事務職から営業職に挑戦したのだ。
つい「幸いにも」とか、「ちょうどいいタイミングで」とか「運良く」と言ってしまうのだけど、これはそうでもあるしそうでないとも言える。
だって、したことのない営業職になったことで、うつへの決定的なスイッチを押すことになってしまったから。
ただもしあのまま営業職ができていたのなら、あのタイミングは絶好のチャンスをものにしたんだって言えるだろう。
離婚したことで、それまで抑えていた気持ちが解放され、とても楽になったのは本当のこと。
もう、暗い気分の部屋に戻らなくていい。いつも将来が怖くて未来の見えない生活が目の前からなくなった。
自分の未来を取り戻したような気がしていた。
これからはなんでもできるし、やってみよう。これからを満喫するんだ!
だけど、つらく淋しい気持ちは見ないようにしていたことが、うつへのベースとなった。
*
隣にいた相手がいなくなり、なんともスースーと心もとない気持ちは無視していた。
付き合いも長く、知っていると思っていた相手のことを本当はよくわかっていなかった。
いつの日からか、相手に自分の思いを伝えることをしなくなっていた。
自分の思うこと考えることは正しい、と相手を責めていた。
将来が怖く、未来が見えないことも、相手のせいにしていた。
コミュニケーション不全そのものだった。
私は、この相手と家族になれなかった。夫婦にもなれなかった。結婚というものがなんなのかわからず、わからないけどそのままにして、相手に伝えたり話す努力をしなかった。働かない相手のせいにして、失敗を認めるのが、現実を見るのがいやだった。
当たり前にあるものだと信じていたものがそうではないことを知り、絶望感があった。
当事者になることを恐れ、だれかなんとかしてくれるだろうと思っていた。いや、もうだれか決めてくれよ、と思っていたのかもしれない。
*
これらのことすべてを、「ないもの」として心の奥に押しやった。
新しい生活、新しい環境、新しい仕事。楽しみだ、ワクワクする! なにがあっても乗りきるんだ!
さて私の生活はどんなだったか。
実家に戻ってから、食生活が変わった。あまり食べなくなった。
食べたくなくなった。
一時は、キャベツしか食べてなかった。でもそれに気づいていなかった。おいしそうなレモンドレッシングを買ってきて、ひたすら春キャベツを千切りにしてた。
どんどん痩せた。
痩せたら洋服選びが楽しくなった。今まで入らなかったサイズも入るし、痩せたら見栄えがよくなる。食べられないなんて一石二鳥だ、よかった。と思っていた。
今まであまり買わなかったスーツも買って、これからの新しい仕事も楽しみにしていた。ふわふわした解放感と高揚感の中にいた。
職場の友人に「やつれたんじゃない?げっそりしてるよ」と言われた。
この言葉と友人の心配そうな顔はとても覚えている。今思えば、そのことはちゃんと心の奥底に届いたのだけど、その気持ちを無視した。自分を無視した。
食生活はずっと不安定で、この頃は特に「サプリで食事がまかなえたらいいのに」と思っていた。栄養のことをなにも知らないのに足りてないことはわかっているから、栄養補助食品を食べてればいいだろうと、お菓子まがいのものを食べたりしていた。
いよいよ新しい仕事の研修が始まった。おおまかな研修を本社で受けて、あとはもう実地だ。研修期間は数週間で、東京の本社へ出張だった。知らない土地にいるキラキラとした高揚感で初めは楽しかったが、研修も終わりになるにつれ、緊張と不安で眠れなくなってきた。頭だけが働いて、ぐるぐるとずっと不安なことを考えていた。
でも不安だという気持ちにフタをした。
そして配属になり、仕事が始まった。まだ現実感は薄かった。高揚感も続いていた。知っている環境で働くのが安心だったことで、背伸びをしようとした。
早く覚えなくちゃ、早く慣れなくちゃ、チャンスをもらったんだからがんばらなくちゃ。
だんだん頭が働かなくなった。身体の動きが遅くなった。
あれもこれもしなくちゃなんないのに、時間が足りない。能力が足りない。
遅くまで会社にいることでまかなおうとした。
よくわからないことも聞こうとせずに、自分だけで抱えて頭の中で処理しようとした。
ついていけてないのに、それは他の人から見れば明白だったろうに、恥の気持ちが先走り過ぎて、弱音を言えなかった。営業成績の結果を出す段階でもないのに、なけなしの虚勢を張ろうとしていた。
前日の夜遅くても、朝はなんとか起きられる。むしろあんまり眠れていなかった。
だけど会社へ行く足が重くて重くて、もう絶望的な気分で、表情もない。愛想笑いはできるけど、ぜんぜん楽しくなかった。
怖い怖いいやだいやだ私なんてもう無理だ何もできないダメだダメだ厄介者だ期待されているのに何も応えられない恥ずかしい怖い怖い怖い。
そしてある朝の通勤の途中で、もう一歩も会社に足が向かなくなって、心療内科に入った。
*
新しい仕事についてから、半年も経っていない。
離婚してから細々とあったはずのサインを無視し、新たな仕事を始めたことでそのプレッシャーもかかり、急速に症状が進んだように思う。
ジェットコースターに乗って、上へ上へのぼって、てっぺんでレールがぱっと消えたような感じだ。空中分解。
ドクターストップをかけてもらった。たった今から休職せよ、というお達しに、情けなさと恥ずかしさはあったと思う。でも感情が鈍麻していた。逃げたいという切羽詰まった感覚だけで、上司に医師に書いてもらった用紙を提出した。
何も言えなかったし、何も聞かれなかった。
ただただ鈍い気持ちだった。
これで逃げられる、とホッとした気持ちや泣きたい気持ちもあっただろうし、休みたい眠りたいという身体からの訴えもあったと思う。
でも実際は、感情もぶつけず、冷静に応対する自分がいた。いや、「普通通りに応対できている」と思っている自分が。
なにも感じられなかったというのではない。でも感情も感覚も、もやがかかったように遠くに感じた。自分のものではないみたい。
身体はものすごく重くて、足が上がらない感覚。靴を引きずりながら歩くような、そして数歩歩くだけでも息が切れる。
なにかを見ているようで見ていない。かすんでいる。聞いているようで聞いていない。水中にいるようだ。
その時の感情は覚えていない。混乱し、ただ鈍かった。
ただ、「うつ状態」という「病名」がついたことで、荷を下ろせた。 病気のはじまりだとしても。
うつ症状への直接のきっかけとなったのは、
慢性的な睡眠不足と、栄養不足。
過度な緊張状態。
これが半年くらい続いた上でのことだった。
ただそれはきっかけというだけのこと。根本原因は自分の身体と感情を無視し続けたことだ。離婚したときのつらい気持ちをなかったことにしたことが根っこにある。
私は私を隠し、要らないものとして扱った。表面上だけで生きていたし、それでなんとかなると思っていた。どんな感情や考えを持っていても「私」なのに、見たくないところは押しやって、キレイな部分だけで生きていこうとした。
うつという症状が出たことで、強制的に立ち止まらないとならなくなった。一歩先も見えない、不安の暗闇の中に入ってしまったように思ったけど、
けれどこれは、「ないもの」として見ないようにした私と、表面上生きている私とを、ひとりの私自身に戻すために必要なことだったんだと今では思う。
うつというのは、病名ではあるけど、症状のことでもあると思う。名がつくことで明らかにはなるけれど、身体と心の状態はしばらく前からそうだったはずだ。
だから、どこからが病気なんだろう、と現在の私は、先日病気が見つかったことで不思議に思った。
病名が判明することで、新しいスタート地点に立った、ということか。今度は治療という地点に。
書いてみたら長くなってしまった。だけど順を追って書いてみたら、あちこちにサインが出ていたことがわかった。自分が自分ではない、どうしようもない、という感覚は、今もうっすら覚えている。
善い言葉に触れたい
私は私に話すようにブログを書いている。
今思っていることを、自分に言い聞かせるように。
誰のためでもない、自分のために書いているんだな。
私もどなたかのブログを読んで、それが個人的なつぶやきであっても、共感したり感動したりする。
文章の良し悪しなどはわからない。素敵な言葉が連なってなくてもいい。ただ、私の心のどこかに触れる言葉や文章の表現だったら読み進めるだけだ。
書いてあることが本当か嘘かはわからないし、どちらでもいいんだと思う。
ただただ、人の、心の柔らかい部分から出てきた言葉を読みたいと思う。
言葉の優しさや力強さを感じたい。そして、人を騙したり扇動したりおとしめたりするものではなくて、善い方向へ使われる言葉に触れたい、と強く思う。
それらを見分ける力を持った自分になりたいし、そうなるように努めるのが、私の目指す方向のひとつだ。