ひとは思いこみでできている

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『マザーウォーター』

小林聡美主演の映画『マザーウォーター』を観たんだが、…小泉今日子、要る??

描きたかった世界観みたいなものはなんとなくじわっと感じられたけど…いや、小泉今日子、要るかなぁ?

小泉今日子の役柄、聡ちゃんひとりで充分いいのでは?と思ってしまって、途中から入り込めなくなった。

 

狂言回し的にもたいまさこがいて、繋ぎ役になってる。市川実日子も似た感じ。ふたりとも今回セリフが多い。

で、聡ちゃんと小泉今日子は、必要最小限の言葉でちょいミステリアスな感じ、年齢も似たところ、ひとりで飲食店、とかぶるところが多くて、これなら聡ちゃんだけで充分では?

 

この映画、人物アップの画はまったくなくて、一定の距離をおいて撮影されている。

距離があるから全身が常に見えているわけだが、聡ちゃん、もたいさんのたたずまいは、まさにこの人たちにしか出せないものだなぁと感じた。姿勢とか、歩き方とか、しゃべる時の動きとか、食べるシーンの印象深さとか。

小泉今日子は謎の女性ふうな雰囲気を出そうとしているけれど出せてないところがどうしても小泉今日子な感じだ。

なんでしょう…、小林聡美とは格が違う、と言うと言い過ぎか?

小泉今日子の役柄に興味が持てないのは、演技に浅さを感じてしまって興味を持ちにくいからかもしれない。

光石研のほうがよっぽどミステリアスだった。

小泉今日子だけがなんだか浮いてるんだよね、この映画の世界では。合ってないでしょう。生活してる感がなくソワソワしてる内面が出ちゃってる感じがした。(もしそれが狙いならすごいな)

いや、ほかの登場人物のなじみ方がすごいのか。

 

聡ちゃん好きだから肩入れしてるけれど、聡ちゃんにはうっすらと闇も感じたし、言わなくていいことはしまっておく、ここからは入らないで、という線も感じましたよ。

…という、小泉今日子批判になったけど、、小泉今日子が出てなければ、もっと好きになれた映画です。

 

さて今日は、注文していた『めがね』が届くので観るのが楽しみだ。

その後、今

私は母が嫌いだ。

それでいい。と今は思っている。

自分の感覚を信じている。

 

あの人も大変だったんだろう。そんな丈夫な身体ではないのに、仕事も家事も子育ても、誰の助けも借りずしゃかりきになってやりこなそうとしていた。

元来社交的でもないのに仮面をかぶって愛想よくしていた。

子どもは子どもなので言うことを聞かないし、イライラも溜まっていっただろう。

母や父は何になりたかったんだろう?

人生の勝者か。それとも毎日一生懸命働くことで、豊かな生活をし、余裕を持ちたかったのか?

何を望んで、何を理想とし、どんなふうになりたかったんだろう。

 

父も母も、善人であるには違いない。世の中の生活している人々のほとんどは善良な市民である、と私は思っているが、懸命に生きている、それだけでも善人だろうと思う。

働いて、食べて、生きる。

これができるだけでもすごいことなんだから。

 

ただ、偶然の出会いである家族として、なにかが掛け違い、もう交わらなくなっていった。

「家族」という集団の不思議さを思う。「家族」の呪縛は、他人との関係よりだんぜん厄介で解けにくい。

世界に自分の家族だけなら、しあわせだったのかもね。宇宙にたった一つの家族だけだったなら、お互いを理解し認め許すこともできたかもしれない。

25年ほど一緒にいた家族、密度としては時期により濃淡あったけど、毎日顔を合わせ、ご飯を食べ、生活を共にしていた。その重みは、積み重ねという点で他では埋まらない。しかし、私のなかでは、ほんとうにほんとうに、記憶が薄れていっている。

復讐なのかな、と思ったりもする。こんな家族、要らない。私がいらない子、いなくてもいい子だと思わせるような家族なんて、要らない。

しかしこんな思い、たとえ話したとして理解されるとは思えない。私のだいじな思いを吐露することもわずらわしい。それほど家族は遠くなった。もう戻りたくない。私を認めてくれる場所は、自分で見つける。

 

私が子を欲しくない理由のひとつは、この家族像にあった。私は、子を持っても必ず怒鳴り、叩き、お前なんか要らない、と言うだろう、と確信していた。子の優しさ純真さ、柔らかさ匂いなどを知ることなく、先にそう思い込んでしまったから。

10代後半、女の子としてそういったことを考える時期に、もうまったく欲しいなんて思ったことがなかった。同級生が子どもかわいい、と言うたび、そんなわけあるか、と思っていた。なにをどう思ったらかわいいと思えるのかほんとうに疑問だった。

あんな不安定な、すぐ死んでしまうような、宇宙人のようなもの、怖くて仕方ない。

産んでみれば育ててみればと無責任に言う軽口には付き合ってられなかった。産んでしまったら捨てることなんてできないじゃない。責任があるじゃない。

怖ろしい、怖ろしい。子を産めば私は私でなくなる。私がいなくなってしまう。私が世話をしなければ死んでしまう存在。なら、私の世話は誰がしてくれるの?私のことは誰が受け入れてくれるの?私がつらいと思った時、私はひとりでいるしかないのに。

結果、私は子を持たなかった。これも復讐なんだろうか。親にではなく、自分に対しての。

子を持たなかったことは、成功でも不成功でもなく、勝ち負けでもなく、ただ持たなかった、という事実なのだけど、意味づけなどない、と思えるまでは一生かかりそうだ。

何かに対して復讐しているのかもしれないけど、それでも私は善人だ。世の中の人々と同じように、愚かであるが善である、と思っている。

 

いったい、私はどうなりたいんだろう?

何を理想とし、何を望んでいるんだろう。つまづいて、うつむいてばかりだけど、自分で見つけていかないと。苦しいし悲しいけど、自分次第だと思えれば清々しくもある。

 

生い立ち 2

母は、明るさを装う人だ。芯が強く、外見はおとなしそうに見えても目立つようなタイプだ。しかし内面は、曲げない頑固さがある割に軸はブレブレで、マイナス思考だった。とにかく外に対して愚痴を言っていた。

ともかく父も母も、世間の目を気にしてか、外での顔はよかった。商売をしているし、愛想良くしておかないといけなかったのかもしれない。

私が社会人数年目のころ、不況のあおりで商売をたたむこととなった。正直に言えば、そのほうがよかったし、ホッとした。商売をしていることで、家の中が険悪だったから。

いちばん悪い状態だったのは、私も妹も思春期で反抗期のころ。私はいい子ちゃんでそこまで目立った反抗期は迎えられなかった(そしてそれで今もこじらせている)。妹は反抗期がキツく、この時期を超えて社会人になって私が家を出ても母との衝突を繰り返していた(父は透明状態だった)。だけど実際は母と妹とのほうが癒着は強かったな。。

仕事が忙しい父、仕事と家事で休む暇もない母、手伝わない子ども。

イライラする父、イライラする母、オロオロするしかない子ども。

父はよけいに不在がち、愚痴を聞かせ父の悪口を言う母、聞く私、まだよくわからないまま不安な妹。

家族というのはそれぞれが「そうなるように」役割を担っているんだな、と思う。そして、家庭というのは密室で密着でけっして外からは見えず、その一員である自分は自分でもどうしようもないままからめとられていくものなんだな。

その時期は、もう「不穏になる」ようにしかならなかったんだ。だれが悪いでもない。だれも余裕がなかった。なさすぎた。

今思えば、父には酒に逃げずちゃんと寝ろ!母にはたんぱく質と鉄分を摂れ!と言いたい。とにかく休め!こんな生活ずっと続けられるわけがない。身体が壊れるわ。

 

私は母の愚痴の聞き役だった。アダルトチルドレンでいうところのプラケーター(カウンセラー)だ。そして、姉にまつわる経験から、いらない子であると思い込み、いい子でいることを自分に強いたロストワンだ。

母の愚痴を毎日のように聞かされると、父への信頼はなくなり、父はひどい人、と思うようになる。仕事への愚痴、体調が悪いことへの愚痴、、聞くのがいやだと思う反面、聞いてあげることで「役に立っている」と思えて安心した。

夫婦喧嘩に巻き込まれたこともある。母が言うことで父が応酬し、私も参加したために父に叩かれそうになった。だけど父はぐっと我慢した。えらいな、と思う。でも怖かった。いやもう、参加させんな。からめとられていた私には気づきようもなかったけど、夫婦の問題は夫婦間でやってくれ。

息が詰まるような一時期の家庭。あのころが夫婦仲の険悪さピークだったな。

 

プラケーターについては、同居していた子供のころと、離婚して出戻ったころ、係をしていた。子供のころには気づきようもなかったが、離婚したころは30代前半、母といると疲れる、とわかった。

しかしそう思うもののなぜなのかは深掘りしていなかったのでつきあわされることになった。けれどもうそのころは母の職場に対する愚痴大会が始まるとそんなに嫌なら辞めれば?と言い返すこともできていたし、自分が被害者だ!と騒ぐ母をバカにしていた。この人は友だちもおらず、寂しいんだな、とも感じた。

なんせ自分の話しかしない。私が話し始めても、すぐに私を否定するようなことを言い、主役にならないと気が済まないようだった。

うん、うん、そうね、とただ聞いてもらったことはまったくない。

子どものころならそれでも「話し相手をしてくれている」と思えただろうけど、人の話を聞かない人の話なんて、聞く気になります? ならないですよね。

 

ロストワンについては、私は私が思い出せないことがあるんじゃないかと思っている。

思い出せない思い出というのか…。

なぜなら「居場所」「住む場所」「食べること」といった、必要最低限の衣食住に関して、非常に恐れが強いのだ。それらは叶えてもらっていたけれど、私が享受してはならないもの、という思いが強い。

3歳か4歳のころの記憶なのであいまいだし作った記憶なのかもしれないが、灯りのついていない暗い部屋の中でひとりぼっちで座っている自分がいる。それを眺めているもうひとりの私。

小さな本人はぼうっとしているだけかもしれない。だけど、私は幼い私を見て、不安で淋しく、暗く寒いようで、「いつまでもたったひとり」という感覚を今もずっと持っている。

呼んでもだれも来ない、ということがわかっているような私。やがて現れた大人に「ひとり?」と聞かれたような記憶がある。「暗い部屋でひとり?」

 

それから、4歳くらいのころ母から「ひとりで寂しくない?」と聞かれたことを覚えている。それからじきに妹が産まれた。その時、母を取られたと思った(実際にそうだった)。理不尽だ、と身体で思ったんだろうな。それで、「オマエが産みたくて産んだのに、私のせいにするな!」と強く思ったんだ。私がひとりでかわいそう?いや、私はひとりっ子のほうがよかったわ。私のために、なんて言い訳、私を免罪符にするな、と怒りが湧いた。

誤解や思い込み承知で書けば、姉がいるころ私は赤ん坊で、姉にとっては母を取ったのは私だっただろうけど、そのあと姉が亡くなって、また私はひとりになったんだ。姉がそのあとの数年間父母を独占した。そしてようやく次の子を産むと思えるくらいになったころ、少しの間私は母をひとり占めしていたのに、また別の存在(妹)に取られたんだ。私は、ずっと、ひとりだ。だれも味方がいない。話を聞いて、存在を受け止めてくれる人がいない。甘えさせてもらえない。

 

私はずっと、母の役に立っていると思うことでなんとか居場所を確保していた。

自分のことは二の次になって、自分の要求を言うことも、はたして要求や、してほしいことはなんなのかもわからなくなっていった。

私は甘えさせてもらった記憶がない。

 

生い立ち

私の生い立ちについて書くことにする。

アダルトチルドレンについて理解しようとしたことがきっかけだ。

知らないことを知ることは自分自身を知ることにつながると思うので、アダルトチルドレンを理解していくことは自分への理解の助けになる。

と思ったのだけど、自分の幼いころを思い出していくと、知らぬ間に涙が出てくるもんなんだな。

それに、書いていて思い込み全開だな、という思いもあった。だけど…それは今の私には真実なんだろう。それを踏まえてこれからも歩いていくしかない。

 

私は、父、母、私、妹の核家族四人の家庭で育った。

父方の両親は離婚していて祖父の顔は知らない。祖母は性格が強く、母にキツく当たって泣かしていたのを見て覚えている。父は5人兄弟の次男。サラリーマンだったが、兄弟で一緒に商売をするようになる。やがて兄弟間で父だけのけ者にされ、あとに父は独立。

長男である伯父は新年の挨拶に酢昆布の小さな箱ひとつを差し出すようなどうしようもない輩だったのを覚えている。あとの弟妹たちもなんか変な感じだった。だけどこれは母から苦労や悪口を聞かされ続けてきた刷り込みかもな。

父は独立したことで兄弟とは疎遠になっていったようだが、年老いてからはやりとりをしていたらしい(数人はもう亡くなったようだ)。

母は6人の兄姉妹の下から2番目。田舎だったので集団就職で出てきた。長兄が田舎の果樹農家を継ぎ、姉妹たちもみな都会へ出てきたため、私が子どものころは姉妹間で行き来がたくさんあって、従姉妹たちと遊んだ。

 

思い出せるのは、父が独立後、工場を持ち従業員を雇い、家を店にして母が手伝っていた。引っ越しは数回あったが、私が物心ついてからの期間は、長く店舗付き住宅での暮らしだった。

父は仕事が忙しくほぼ顔を合わすことはなかった。昭和半ばの時代だし、土日連休などなく、店の休みは日曜だけだった。父も母もよく働く人だった。それで、私や妹は商売を手伝うこともなくのほほんと好きなことをして過ごせた。

母は仕事と家事でいつも大変なようだった。パートさんを雇って来てもらっている間も、店と家は繋がっているわけで、心身ともに安らぐ、ということはなかったのではないかな。

 

よくある、不在の父・透明な父と、母子の癒着、という構造が透けて見える…。

 

高校生のころ、母が胃がんで倒れた。入院、手術、いろいろあっただろうに、あまり記憶がない。食材を買ってきてくれたりしたパートさん、父も早めに帰って、といった、生活激変の時だったと思うのだが、私はそんな状況でも危機感もなく呑気に暮らしていたんだろうな、と思うと、幸せな子ども時代だったんだろうな。

(私は日々の出来事にはきゅうきゅうとして視野が狭く必死になる。だけど、いやだからなのか、総じて全体を俯瞰して見ることができない。その性質はまったく今も変わっていない。

ここのところようやく数年前のことを思い出すことで記憶を定着させるようになってきたけど、幼児〜高校生くらいまでの記憶がとんとあやふやなままだ。思い出そうとしても、なぜかストップがかかったように思い出せない。)

 

父26歳、母23歳で結婚、子(私や妹)ができるまでは、ペットをたくさん飼ったり、ステレオでレコードを聴いたり、サイフォンでコーヒーを淹れたりと、生活を楽しみ、ほかにも趣味は多くあったようだ。若い夫婦の暮らしは希望もありキラキラと楽しかったんじゃないかな、と想像できる。自ら商売をするまでは。

父は仕事人間、母も仕事と家事で忙しく、休みが少ないとはいえ、旅行が好きで、いろいろ出掛けたようだ。(ほんとうに幼かったころの旅行について聞かれた時、忘れてしまった、というと、あんなに連れてったのに、とか言われたな。)

このあたりまでが伝聞だが実際の話。

そしてここからは、私がずっと気になっていて整理もできていないこと、思い感じていることだ。

 

きょうだいは私と妹、と書いたけど、私は第一子ではない。姉がいた。

5歳離れた姉だった。私が生後8ヶ月の時、トラックに撥ねられて亡くなった。

そこからの数年は、私はもちろん覚えていないけれど、この家は悲しみと苦しみのどん底だっただろう。

はじめての子、母の手作りで母娘おそろいの服を着て、可愛がられていた女の子がいきなり死んでいなくなった。

自分がもしそうだったら…と想像するに、胸が痛んで苦しくなる。怖ろしい。つらい。

しかしつらくとも、1歳にもならない私がいる現実があり、仕事があり、生活があり…、何もかも投げ出し悲しみに浸りたい思いが叶えられなかっただろうな、と思う。悼む時間がじゅうぶんには取れなかっただろうな、と思う。

事故とはいえ、昨日まで生きていた5歳の子がいきなりいなくなったのだ。ショックだし呆然とするだろう。底無しの穴に突き飛ばされたような感覚だろう。なぜなのかさっぱりわからないだろう。なぜあの子が!?なぜ私たちが?

生きる気力も、希望もない暗闇のなかで、ただただ生活する、息をする、という状態が確実に数年はあっただろうと思う。

 

姉の死については、小学生になって意思疎通ができるようになった頃か、親から聞いた。正直、ピンとこなかった。

私は姉の顔を知らない。

はじめての子でたくさん撮ったという写真もほとんど当時のショックで捨ててしまったそうだ。ほんの数枚残った写真を見ても、なんの気持ちも湧きようがなかった。なにも覚えていないのだから。

もちろん父母には姉と暮らした年月がある。思い出がたくさんあるだろう。姉は利発で素直で明るい子だったそうだから、楽しい日々だったと思う。

そんな姉がいなくなった暗闇の生活のなかで、ただ呑気に赤ん坊として生きていた自分を想像すると、「なんの役にも立たない子」だったんだな、という思いが迫り上がってきて、悲しく淋しくなる。

ひとりでは何もできない赤ん坊で、姉の思い出話を一緒にできるような子ではなかった。お父さんお母さんは苦しいのに、私は何も知らなかった。お父さんお母さんの役に立てなかった。そんなふうに思うようになった。知らなかったのだからしょうがない、とは思えないのだ。

 

私の赤ん坊のころの写真は数枚しかない。

それは仕方ないこと。父母は私の写真を撮るどころではなかったのだから。もう考えても詮ないことだ。そうは理解しても、5年後に産まれた妹の写真の多さと比べると、私はいらない子だったのかな、と思うようになった。

事実を歪めて捉えてしまうようになった。

 

私の写真で、私も驚くものがあった。小学低学年のころか、にっこり笑顔で顔の横に両手をパーにしてポーズを取っておどけている。

こんなの珍しい、と母に言われた。

私は小さいころから写真を撮られるのが苦手で、いつもしかめ面か真面目な顔つきで写っていた。陽の光が眩しくてしかめ面だったのかもしれないけど。

たしかに珍しい写真だった。だけどね、こんな面もあるんだよね私、とも思うのだ。いい天気の日、お日様にあたってツヤツヤしている笑った顔。とても楽しそうな顔をしている。

だけど、母にただひと言珍しいねと言われただけで、真面目な顔、しかめ面、そっちのほうが私らしいんだ、と思うようになった。なんの気ない言葉だっただろう。だけども、母は絶対的存在だった私からすれば、そんな小さいことの繰り返しで、どんどんと狭い捉え方をせざるを得なかったのだろうな、とも思う。母の望む姿にならなければ、と。いい子でいなければ、私は見捨てられる。常にそう感じていた。

 

母も余裕がなかったんだろう。ちゃんとしなさい、しっかりしなさい、お姉ちゃんでしょ、我慢しなさい、と言われ続けてきた。

私は押さえつけられている、ということにうっすら気づきながら、ここを出ていけない、見捨てられたら生きていけない、と幼いながらも生きることに必死だったんだ。

表面上は呑気に遊んでいたが、心のなかは淋しく空っぽな感じが普通の状態だった。

 

毎日は、小さな出来事の積み重ねでできていて、そのなかでどんどんどんどん認知は歪み、私という人間を形成していった。

 

 

アダルトチルドレンについて知った

アダルトチルドレンには役割の種類がいくつかあることを知った。そしてほとんどの人が複数を兼務(?)しているものだと知った。

機能不全家族で育った子はもれなくアダルトチルドレンなのだろうな。

そして、機能不全家族ではない家族なんてないだろう。

だからといって、その家庭しか知らないし、簡単に出ていったりできない子からすれば、「どんな家庭も機能不全」なんて言われてもそんなもん知るか、だし、神のように思っている親には多大な影響を受けるしかない。受動的でいるしかない。

 

ともあれアダルトチルドレンについて。今の分類ではこれらがあるとのこと。

・ヒーロー

・プラケーター(カウンセラー)

・ピエロ

・ロストワン

スケープゴート

・イネイブラー

・リトルナース(ケアテイカー)

どういう意味か、どう書くのかもわからない言葉が多い。

 

そして、調べてみて私が理解した役割は、

・ヒーロー 

 → 理想叶え役、完璧主義係

・プラケーター(カウンセラー)

 → 愚痴聞き役、仲裁役

・ピエロ

 → やむにやまれぬ悲しいお道化役

・ロストワン

 → いない子、親にとっての聞き分けのいい子

スケープゴート

 → 病弱あるいは問題起こし役

・イネイブラー

 → 親代わり、お世話係

・リトルナース(ケアテイカー)

 → イネイブラーより包括的なお世話係

 

(イネイブラー、リトルナース、ケアテイカーあたりで頭がごっちゃになってしまっているが、大体の役割は把握できた)

 

その家庭での役割なので、子本人が望まぬのにそのように「させられてしまった」「役や係を担わされてしまった」ということだ。子の意思は関係ないのだ。そもそも子が意思を持つようになる前からやらされているんだから、意思は持ちようがないのだ。少なくともその家庭にいる限りは。

その役割を続けるうちに、機能していない家庭での「自分の居場所」が見付かったように感じるから、進んでさらにその役割を続け、しまいには自分って何がしたかったんだろう…?自分って何なんだろう…?という混乱に気づくのが、成人後とか、働き始めて数年とか、30代になってから、なんだろうなと思った。

「自分の居場所」は子にとっては大問題だし、居場所がないということは、ご飯が食べられない、捨てられる、生きていけない、に直結するから必死にもなる。

 

しかし、家庭というのは、いつから機能しなくなるんだろう…?

親だって、いい家庭にしよう、楽しい家族になろう、としていただろう。思いやりを持って、みな生き生きと…なんて希望や夢もあっただろう。

ひとりひとり考えも行動も違う存在の集まりなのだから…意志だけではどうにもならなくなっていくんだろうな…。それに、ひとりひとりずっと同じということもない。家族構成が変わったり、住む環境が変わったりといった外的な変化もあるし、習慣が変わったり行動が変わったりもある。

そも、こうしたい、こうなればいい、という希望も、生きていく・生活する、という現実の重みには太刀打ちできない。日々の暮らしには負ける、とも思う。そして生きることに精一杯で、余裕なく、余力の持ちようもなく、疲弊していくんだ。生活の前には理想なんて食えないものは要らない。衣食足りて礼節を知る、なんだ。と身をもって感じる。

 

現代では「機能不全家族」という言葉ができて、さも今発見された、みたいに感じてしまうけど、親の親世代だって機能不全家族だっただろうな。

なぜ、簡単に家族を持つんだろ?

特に思うのはなぜ、子を作ることが自然なのか?当然なのか。

今のネット情報だけ見ていても、子育てで苦労してるお母さん、ひとごとの不在の父親、親世代の干渉、昭和の時代から意識は変わってないし、子どもを産んだら心身ともに大変なのわかってて、でも産む、というのが理解できないんだ。自分で望んで産んだんなら、そんなら文句言うなよ、とは思ってしまうな。子どものこと考えろよ、って。

だって子どもには関係ないもの。親世代、ジジババ世代の苦労なんて。

だけどやっぱりそんな言葉を言っちゃうくらい、心身ともに余裕がなくなるんじゃないのかな。

そんな私も立派な機能不全家族で育った。育った子がそう思うのだもの。人により家庭により程度の差があるなんて、それこそ関係ない。その子がそう感じたなら、それが真実。揺るぎないことだ。

いろいろ頭をよぎっていくけど。今日はこれくらいで。

 

私が私でいるためには、私もうんしょと力を出さなきゃならない

落ち込んだり、しんどい時、自分を追いつめずに逃す方法

・書き出す

・自分の感情、気持ちを受け止める

・時間を気にせず眠る

・信頼する誰かに聞いてもらう

・音楽を聴く

・お風呂に浸かる

・好きな香りを嗅ぐ

・料理する

・縫い物をする

・自然の中を歩く

・ヨガやストレッチする

・動物の動画を見る

・動物や宇宙や、知らないことを調べる

・好きな場所を思い浮かべる

・好きな場所へ行く

・好きなものを食べる、飲む

・本を読む

 →日常から離れたことが書いてある本

 →推理小説

 →好きな作家のエッセイ

 →まんが

 

思いつくものはこうしていろいろあるけれど、では実際どれくらいやっているか。

ほとんどしていない。

何かしながら別のこともして、結局どれも中途半端な、ながら作業でごまかしている。

書き出すことや、感情・気持ちを受け止めること、眠ること、これらは自分にとってとてもだいじなことだと思うのに、自分のための時間をとっていない。

 

文句、怒り、イライラ、悪態、恨み、しかめっつら、口元も下がる。

そんな負の感情で胸がいっぱいに詰まって、破裂しそうになる。

破裂したら怖いから、ぎゅうぎゅう押さえ込んで見ないようにする。

胸が重くなって、固くなって、苦しい。(実際に前屈みになりがちだから、胸は硬くなる。)

数日そんなでやりすごして、だんだんと抜け出る。それの繰り返し。

とっても時間の無駄をしている。

負の感情に取り憑かれたまま、貴重な自分(の時間)を浪費して、消耗している。

 

嫌なことがあった時、たいがい誰か絡んでいる。要は人間関係だ。

嫌なことをされた、と私が感じるその人は、私に何かしたなんて思ってもみない。

だから私がさっさとその負の感情から離れれば、私は平和でいられる。

だけどなかなかそれができない。

気にしたって仕方ないのにね。

 

私が私でいるためには、私もうんしょと力を出さなきゃならない。

・書き出すこと

・感情、気持ちを受け止めること

・眠ること

ここはひとつ、自分自身のために。

私が落ち着いて平常心を取り戻せば、周りの人にも優しくできる。まずは自分から、って本当にそうなんだ。

理想の生活

私の理想の生活は、

朝4時過ぎに起き、夜明けを待ちながらまだ薄青い空を眺め、コーヒーなんか淹れて、ぼんやりする

 

本格的に朝になったら、仕事をして、日中をよく動いて過ごす

できる限り集中して、余計なことは考えない

 

夕方4時くらいから、台所で「楽しみながら」料理したり、なにか飲んだりつまんだりして、のびのびとした余裕ある気持ちで過ごす

 

6時過ぎ、早めの軽い夕食を済ませたら、まだ明るい外に出て、気楽に気ままに散歩する

本屋に行く

 

8時ころ、これからの夜を静かに送る

ゆっくり入浴する

空を見上げてみる

本を読む

 

気持ちはそれ以上乱されない

だれも私の時間の邪魔をしない

私の大好きな作家と作品(過去)

忘れないように。

今の時点での大好きな作家と、そのなかでもいちばん好きな作品を挙げる。

 

小川洋子ブラフマンの埋葬』

梨木香歩『渡りの足跡』

北村薫『秋の花』

川上弘美『蛇を踏む』

高村薫マークスの山

横山秀夫『64』

石田衣良池袋ウエストゲートパーク

恩田陸六番目の小夜子

赤川次郎三毛猫ホームズの追跡』

宮部みゆき『理由』

村上春樹アフターダーク

松尾由美『バルーンタウンの殺人』

武田百合子富士日記

北森鴻『花の下にて春死なむ』

新井素子『あたしの中の…』

近藤聡乃『ニューヨークで考え中』

高野文子『黄色い本』

楳図かずお漂流教室

大友克洋童夢

フジモトマサル『二週間の休暇』

夢野久作ドグラ・マグラ

 

伊坂幸太郎(いろいろ読んだがまだ出会っていない)

河合隼雄(いろいろ読んだがどれか覚えていない)

種村季弘『徘徊老人の夏』(エッセイ以外、語れるほど読んでいない)

荒俣宏(最近の本は追えていない読めていない)

 

20年前くらいから更新が滞っている。

本好きを標榜している割にはあまりに少ない。なんだこれは。忘れたのか。

 

もうずっと、新しく知らなかった作家の本を読んでも、忘れ、印象に残らず、追いかけなくなった。

これは本を読む時間が少なくなったこと、読み続ける根気が減ったこと、本を買う労力を惜しむようになったこと、そもそも本屋に行かなくなり知らない本に触れる機会が減ったこと、本は読んでもハウツー本だったりで「物語」を読まなくなったこと…いろいろ原因はあるけど、

本に入り込む心の余裕がなくなったんだと思う。

とても淋しいことだ。

 

どっぷりと本に浸かっていた、浴びるように読めていた時期は過ぎ、ぽつぽつとしか読めなくなった。

あんなに多くの作家を追いかけ、新作を心待ちにし、次から次へ読む楽しみを満喫していたのに。本を読むことは私の生きがいだとも思ってたのに。

あぁ、こんなことではボケてしまう。

だけどまた始めたらいいか。ぽつぽつとでも。

好きな本が増えていきますように。

『かもめ食堂』『東京オアシス』

小林聡美さんのファンなのに、そしてあんなに話題になってた時には観なかったのに、『かもめ食堂』のDVDを買ってようやく観た。

なんか、じんわりした。

聡ちゃんの存在感はすごい。すごいこの人。

表情かなぁ。抑えたような、言いたいことはあるけどあえて言わない感じ。呑み込んでる感じ。自分を律する感じ。

 

動画配信サービスで『東京オアシス』も見たんだった。

これも、人との距離感が聡ちゃんにしか出せないように感じたんだ。

近くはない。でも遠すぎもしない。

呼びかければ応えてくれる。でも時々は知らんぷりする、そういう感じ。

見てるよ、でも見てないよ。

押しつけのない、サラリとした感じが、それこそサラサラ流れる風のようだ。

 

前に、聡ちゃんの出演するお芝居を滋賀まで観に行った。生で聡ちゃんが観られることにうれしくて高揚して、ドキドキした。

映画やテレビで観る聡ちゃんだった。

そのお芝居はあまり台詞がなくて、身体の動きがたくさんあった。動きもなんか、聡ちゃんだった。ぜんぶまるごと聡ちゃんだった。

お芝居のあとに特別にトークコーナーがあって、話す聡ちゃんの声を聞けてこれまたうれしくて高揚して、ドキドキした。

お芝居が終わって話しているけれど、どこからどこまでがお芝居で、どこからが素なのかぜんぜんわからない。

 

その前にも、大阪で聡ちゃん主演のお芝居を観た。これもそんなに台詞が多くなく、流れるような舞台設定を流れるように動いていたのが印象に残っている。

 

どれも、受け止めてくれる度量や器量、みたいなものを感じたんだ。

軽やかでサラサラしているんだけど、ぐっと肚に力を溜めて、覚悟をしているように思えた。

流れの中に深い箇所がある、渓流のようだ。中に潜れば渦を巻くような深い部分があって、視界も薄暗く圧力もあって自由自在には動けない。

だけど川の表面に出れば、流れは清くて速くて、陽の光を反射してキラキラしている。

 

来たかったらおいでよ。

見ていてあげるよ。

でも無理強いはしないよ。

 

いつも聡ちゃんからはそんなふうに感じる。

いつのまにか、聡ちゃんの人となりなど知らないままで、聡ちゃんならどうするのかなぁ、と想像するようになった。

そしてそれはうまく想像できないままだ。でもまぁそれでいいんだ。

 

憧れの人がいるって、いいな。

『西荻夫婦』やまだないと

「一人でいると二人を感じる」

そう書いてあるのを読んで、

「二人でいるともっと一人だ」と感じていた私は、この漫画の、淋しくて悲しくて虚しい感じが好ましいと思いつつ、主人公の言うようには思えないな、と思った。

すうすうとずっと風が吹き続けているような、人と人が一緒にいることの不可思議さに立ち止まるようなこの感じ。

生活に取り紛れていれば考えないですむことが、気づいたらじわじわと黒く迫ってくるような感じ。あぁ気づかなければよかったのに。

主人公と同じではないけれど、寄って立つもののない者のぐらぐらとおぼつかない空虚感をよく表していて、共感した。

淋しい淋しいと言い続けて誰にも届かない虚しさや、どこにも行けない行き詰まり感を読むたびに感じ、

人間はひとりで生まれてきてひとりで死んでいくんだなぁとも思った。だれかと一緒に死ぬことはできない。

 

10年以上前にはじめて読んだとき(そしてしばらくこの物語が胸を占領した)、私は、自分と夫の間の「なにもなさ」を毎日感じ、不安になりながらそれを見ず、話し合うこと以前に話すこともしなかった。

日々の生活を送ることで精一杯で、精一杯に頑張っているということにして問題から目を逸らしていた。

そうしているうちになにが問題かもわからなくなった。こうなったきっかけや原因はなんだろうと今さら考えても仕方ないことをぐるぐる思い巡らせていた。そうすれば現実を見なくてすんだから。悩んだふりをしていれば今のこの怖さに対処せずにすんだから。

常に「二人でいるのに一人」だと感じていた。

こんな状態で夫婦になれるはずはなかった。腹を割って話すことをしない夫婦。ただ一緒の空間にいるだけの夫婦。こんなので未来なんかない。

夢がない。希望がない。なりたい姿もない。ふたりでしたいこともない。

ただ毎日を過ごすだけ。そんな夫婦があるか? そんなので何十年もやっていけるか?

目をつぶって、なにも見えない。

 

最後の主人公はいったいどうなってしまったんだろうか。

はじめに読んだときは、精神的にやられてしまってドロップアウトしたんだと捉えた。

自分で自分を追い詰めて、苦しさに囚われてしまって、内側の誰にも触れられない場所に逃げ込んだ主人公が、「おかしくなってしまったことで」少しの間だけ平穏な状態や気持ちになれたシーンが描かれているんだと思った。

今はちょっと違う。

どうなったかということよりも、どんな状態に陥ったにせよ、今そばにいてくれる人と一瞬一瞬を少しでもあたたかく優しく心地よく過ごしていたらいいな、と思う。

そばに人がいてくれる、ということは、切実に貴重なことだと思うから。それが夫婦ならなおさらだ。親よりも友人よりも近い。

だから、あの最後の状態になってから、主人公たちの夫婦というかたちがスタートしたんだ、と思いたい。

一人と一人が添うことで、二人になった。

二人でいて、二人を感じてほしい。

 

西荻夫婦』やまだないと

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今だから思えること

二十歳のころ、未来がたくさんありすぎて

得体の知れない社会に出るのが怖かった

茫洋としてなにがあるかわからない未来が怖くて

まだなにものにもなっていない素のままで

踏み出していくのは本当に怖かった

失敗する勇気も持っていなかったし

傷つくだろうことがわかってたから

 

昔のように失敗を怖れて経験してこなかったことがたくさんあるけれど

それでもそうそう死にはしないことはわかったから

あいかわらずトライすることに二の足は踏むけれど

怖さは少しずつ薄れてきた

 

二十歳のころ、未来は恐ろしいものだと恐怖していたから

傷つくことがたくさん起こった

これは、自分が招いたことでもあるね

でも仕方ないね

まだなにも知らなかったんだから

 

なにものにもなれなかったけれど

二十歳のころよりもよほど自由だ

 

ようやく

自分のゆるめかたもちょっとは見つけられて

好きなものも嫌いなものもぜんぶじゃないけど知っている

 

自分を知る意識や行動は

まったく無駄じゃなかった

 

自分を知ることで

自分の枷から外れることもできる

自分のことを大事だと思うこともできる

 

未来はもうたくさんはないから

かえって自分の身体を大事に扱おうと思える

今まで半世紀近くいっときも休まず頑張ってくれている身体

要らぬことも思い巡らせるけど

飽きずにずっと付き合ってきた頭

 

私の代わりはいない

私が私を認めてあげるよ

私は私以外になれないから

仕方ないもんね

 

おもしろくない私

いつも穏やかにいたい、と思ってたけど、どうやら違うみたい。

私は怒り(いかり)たいようだ。

我慢してることを見てないフリして蓋をして、ルールを守らない人や好き勝手してる人に怒りをつのらせる。

私はちゃんとしてるのに。ルールを守ってるのに。…なんて、自分でギッチリ縛ってる。

 

いつも穏やかでいたい、と思ってたけど、毎月の生理での体調の乱高下や、気候に振り回される日々。疲れるほど動いてないし眠ってもいるのに溜まる澱のようなもの。

どんよりする。もうしんどい、しか言葉に出てこない。

 

いつもなにかに興味を持って、してみたいことをしてみる、って憧れるけど、身体がついていかない。お金も潤沢にあるわけじゃないし。

すると、それを言い訳にして動かない私なんて無価値だ、なんのために生きているんだ、と気持ちがささくれ。

ふさぐ心。そうしてなににも興味を持てなくなってくる。そうして面倒くさい、が口癖になっている。

 

つまらない日々。つまらない人生。

どうにも気力が出ず、すぐに疲れ、休めば罪悪感。

頭の中では自分を責め、怒る自分が騒いでいる。

勝手に作っている人の目におびえ、手負いの犬のように攻撃的になり、いったい私はなにをしたくて生きているんだろう、と直す気力もなくただ思うだけ。

 

したいことなんかない。

ずっと眠っていたい。

面倒ごとも馬力のいることも、したい人がすればいい。

ごめん、できないわ。

 

こんな人間と付き合って、だれが得する?

自分でも持て余してるのに、自分でもこんな人いやだなと思ってるのに。

表面だけ笑顔でいたって、それはウソだと自分が騒ぐし断罪しようとする。

 

私を責めない私はいないのか。

 

そうやさぐれてた時に『フジモトマサルの仕事』を読んだ。

「人ごとと思えばむしろよい点も、その対象が自分に近すぎると冷静な判断力を失ってしまう。
これから先、心穏やかに生きたければ、なにごとも遠い視点から、のんびり俯瞰しなくてはいけない。焦るな、その傷もいつかまた味になるのだ、と。」

 

対象は自分自身だから、近すぎて近すぎて離れられない、と思ってたんだろうな。

でも本当にそうかな?

私は私に近づき過ぎなくていいのかもしれない。

いつまでも自分べったりでいてはいけないな、と思った。

ただ私は、私自身やだれかにかまってほしくて、不機嫌に当たり散らしてただけだったのかな。

自分のことだけにかまけて暇つぶししてる。ほんとに暇なんだな。

なーんだ、やっぱりおもしろくない人間だな。おもしろくあろうとしてできないから拗ねてんだ。

 

それはもうしかたない。

今はもうしかたないこと。

ちょっと置いときましょう。

 

 

 

無気力・無関心・無感動

無気力・無関心・無感動

1980年代の若者を表す言葉として流行った「三無主義」ってこれだったかな?と検索してみると、違った。

無気力・無関心・無責任、だった。

のちに、この三つに無感動・無作法を足して五無主義などとも言われたとネットに出てきた。

 

1980年代の私は小学生〜高校生で、三無主義の年代ではないのだが、まぁこんな心持ちになることはあるよ。

 

あれをしなきゃ、これをしないと、と追われるように生き、でもそれをしなくてもどうってことなかった、ということに後で気がつき、燃え尽き症候群のように途方に暮れるんだ。

 

今日も、世の中の不安、不満をわざわざ自分から見に行っては勝手に眉をひそめ、気分も機嫌も悪くし、では見なければよいのに手元が落ち着かなくて数分も置かずに覗きに行く。

自分で不安を煽っているんだね。

 

ふとして「疲れた」という言葉しか出てこなくなって、ぬけがらみたいに横になった。

三無主義の権化みたいになった。

 

しばらく経って起き上がったら、ちょっと楽になっていた。

それからルールやルーティンに縛られ勝手に苦しくなっていることも腑に落ちたので、自分に課したルールやルーティンを破ってやっとこさ少し地に足がついたような気持ちになっている。

 

気持ちよく、気分よく過ごそう、ということでさえ、ルールやこうすべき、というガチガチの思考が入り込んでくる。

自由にするってむずかしいもんだね。やれやれ疲れました。

真っ暗ななか

 

真っ暗ななかを

 

さまざまな優しい色合いで

パウル・クレーのモザイクのような

たくさんのタイルが浮かぶ

 

稲妻が走る

木の根っこのような形をしてる

 

昔のパソコンの

スクリーンセーバーのような模様が

うねりながら回る

 

かすみのような

もやのような

けむりのような

時折フラッシュのような

 

真っ暗ななかを

遠くまで見通せるように思える

 

まぶたの裏の劇場

五味太郎さんの言葉

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6356231

五味太郎さんのインタビュー記事をYahooニュースで読んだ。

感染症がおさまらない現在、不安で居心地の悪い状態が続くが、それはこんなことがなくても普段からいつも不安で居心地が悪いし、逆にこんなことがあったからこそ表面にでてきた不安や恐怖なんだと言っている。

不安や不安定は常なるもの。「ふつう」のこと。

そうなんだよね。

 

五味太郎さんは「自分で考える頭」と「敏感で時折きちんとサボれる体」が必要だと言っている。

 

「自分で考える頭」はいついかなるときも必要だと思うけど、体のことはあまり聞かなかったし気づいてなかった。

 

この「敏感で」という言葉が肝だと思う。

多少しんどくてもつらくても気づかなかったり、忙しさに流されて感じ取ることもできなくなっていたりする。

イヤだな苦しいなと思っても、当の自分がそれを無視する。

しんどく感じたことを無いことにする。

ほかの誰も代わりに感じ取ってはくれないのに。無いことにしたってしんどさは消えないのに。

 

「自分の今の状態に敏感」であること。

そして、「敏感」でいることに恥や自責、自己否定の思いはいらない。

自分の状態に敏感であることは、自分で自分のこころ、自分の身体、自分の世界を守る、ということだ。