ひとは思いこみでできている

思うこと 気づいたこと なんでも書く

思い巡らせる言葉のこと

正しいってわかっていても、まったく心が動かず感動もせず、ただ淡々と義務のようになるのなら、それは私にとっては「正しい」ことではない。

 

「楽しい」ことは人により千差万別、感じ方も捉え方も違うのだけど、ついキャッキャワイワイするのが楽しいことなんではないか?と難しく考え込んでしまう。私の性には合わないのに。

 

私にとって「楽しいこと」「嬉しいこと」「正しいこと」「守りたいこと」。それはなんだろう?

 

あ、ほらまた深刻病になってるな。

考えているフリをして、結局は考えてない。ただ思い巡らせるだけ。

だけどたぶん、答えを出すことが目的なんではなくて、ぼんやりと空想のままに思い巡らせることが私にとっては楽しいことなんだろうな。

つい深刻病になるのも、それしかしてこなくて、クセになってるだけ。

 

 

今まで生きてきた思い込みで、

なんでも乗り越える、頑張る、短所を長所にする、

といった活動的で能動的で陽性の動きをすることは、前向きだし明るいし場を動かす力強さがあるから、素晴らしいことって思うけど、頭では理解するけど心は圧倒されてしまう。

そして逆の、

頑張らない、乗り越えない、無理しない、

といったこれらの言葉……ほとんどが「ないないづくし」で、陽を否定する言葉になってるから、これも言っても書いても心がふさぐし受け入れたくない…。

違うの。否定した言葉を使いたいんじゃない。

だけど、

短所を受け入れる、今の状態を認める、受け止める、

…こうした言葉もなんとも消極的に聞こえてしまってあまり使いたくない…。

 

あぁ、今度はポジティブ病にかかってる。

明るい言葉は使っていても気持ち良いし傷つかない気がするけど、

それを使っていて焦ったり、後ろめたい気持ちになったり、嘘をついているような気分になるなら、明るい言葉で自分を傷つけていることになるのではないの?

頭がゴチャゴチャと混乱する。言葉に縛られている。

いったん全部放り投げられたらいいのに!