うつになる前のサイン
しばらく前に、うつ状態だったころのことを少し書いた。
書いたことで私の中のなにかが開いたのか、その頃のことをあやふやなりに少しずつ思い出してきた。今日は、うつになる手前にあったことを書きます。
◯離婚して新しい仕事へ
うつに陥る前、私は張り切っていた。
離婚して実家へ住まわせてもらうことになった。住むところはあったけれど、「一人で生きていかなければならない」「もう結婚なんてできないだろうし考えられない」「経済的に一人立ちをしなければ」と孤独に奮起する気持ちだった。
と同時に、自由になったことの喜びもあった。ふわふわと浮き足立った、足枷が取れたんだ、というような気持ち。
仕事は同じ職場で職種転換の試験を受けた。ちょうどよいタイミングで新しい部署の立ち上げがあり、事務職から営業職に挑戦したのだ。
つい「幸いにも」とか、「ちょうどいいタイミングで」とか「運良く」と言ってしまうのだけど、これはそうでもあるしそうでないとも言える。
だって、したことのない営業職になったことで、うつへの決定的なスイッチを押すことになってしまったから。
ただもしあのまま営業職ができていたのなら、あのタイミングは絶好のチャンスをものにしたんだって言えるだろう。
離婚したことで、それまで抑えていた気持ちが解放され、とても楽になったのは本当のこと。
もう、暗い気分の部屋に戻らなくていい。いつも将来が怖くて未来の見えない生活が目の前からなくなった。
自分の未来を取り戻したような気がしていた。
これからはなんでもできるし、やってみよう。これからを満喫するんだ!
だけど、つらく淋しい気持ちは見ないようにしていたことが、うつへのベースとなった。
*
隣にいた相手がいなくなり、なんともスースーと心もとない気持ちは無視していた。
付き合いも長く、知っていると思っていた相手のことを本当はよくわかっていなかった。
いつの日からか、相手に自分の思いを伝えることをしなくなっていた。
自分の思うこと考えることは正しい、と相手を責めていた。
将来が怖く、未来が見えないことも、相手のせいにしていた。
コミュニケーション不全そのものだった。
私は、この相手と家族になれなかった。夫婦にもなれなかった。結婚というものがなんなのかわからず、わからないけどそのままにして、相手に伝えたり話す努力をしなかった。働かない相手のせいにして、失敗を認めるのが、現実を見るのがいやだった。
当たり前にあるものだと信じていたものがそうではないことを知り、絶望感があった。
当事者になることを恐れ、だれかなんとかしてくれるだろうと思っていた。いや、もうだれか決めてくれよ、と思っていたのかもしれない。
*
これらのことすべてを、「ないもの」として心の奥に押しやった。
新しい生活、新しい環境、新しい仕事。楽しみだ、ワクワクする! なにがあっても乗りきるんだ!
さて私の生活はどんなだったか。
実家に戻ってから、食生活が変わった。あまり食べなくなった。
食べたくなくなった。
一時は、キャベツしか食べてなかった。でもそれに気づいていなかった。おいしそうなレモンドレッシングを買ってきて、ひたすら春キャベツを千切りにしてた。
どんどん痩せた。
痩せたら洋服選びが楽しくなった。今まで入らなかったサイズも入るし、痩せたら見栄えがよくなる。食べられないなんて一石二鳥だ、よかった。と思っていた。
今まであまり買わなかったスーツも買って、これからの新しい仕事も楽しみにしていた。ふわふわした解放感と高揚感の中にいた。
職場の友人に「やつれたんじゃない?げっそりしてるよ」と言われた。
この言葉と友人の心配そうな顔はとても覚えている。今思えば、そのことはちゃんと心の奥底に届いたのだけど、その気持ちを無視した。自分を無視した。
食生活はずっと不安定で、この頃は特に「サプリで食事がまかなえたらいいのに」と思っていた。栄養のことをなにも知らないのに足りてないことはわかっているから、栄養補助食品を食べてればいいだろうと、お菓子まがいのものを食べたりしていた。
いよいよ新しい仕事の研修が始まった。おおまかな研修を本社で受けて、あとはもう実地だ。研修期間は数週間で、東京の本社へ出張だった。知らない土地にいるキラキラとした高揚感で初めは楽しかったが、研修も終わりになるにつれ、緊張と不安で眠れなくなってきた。頭だけが働いて、ぐるぐるとずっと不安なことを考えていた。
でも不安だという気持ちにフタをした。
そして配属になり、仕事が始まった。まだ現実感は薄かった。高揚感も続いていた。知っている環境で働くのが安心だったことで、背伸びをしようとした。
早く覚えなくちゃ、早く慣れなくちゃ、チャンスをもらったんだからがんばらなくちゃ。
だんだん頭が働かなくなった。身体の動きが遅くなった。
あれもこれもしなくちゃなんないのに、時間が足りない。能力が足りない。
遅くまで会社にいることでまかなおうとした。
よくわからないことも聞こうとせずに、自分だけで抱えて頭の中で処理しようとした。
ついていけてないのに、それは他の人から見れば明白だったろうに、恥の気持ちが先走り過ぎて、弱音を言えなかった。営業成績の結果を出す段階でもないのに、なけなしの虚勢を張ろうとしていた。
前日の夜遅くても、朝はなんとか起きられる。むしろあんまり眠れていなかった。
だけど会社へ行く足が重くて重くて、もう絶望的な気分で、表情もない。愛想笑いはできるけど、ぜんぜん楽しくなかった。
怖い怖いいやだいやだ私なんてもう無理だ何もできないダメだダメだ厄介者だ期待されているのに何も応えられない恥ずかしい怖い怖い怖い。
そしてある朝の通勤の途中で、もう一歩も会社に足が向かなくなって、心療内科に入った。
*
新しい仕事についてから、半年も経っていない。
離婚してから細々とあったはずのサインを無視し、新たな仕事を始めたことでそのプレッシャーもかかり、急速に症状が進んだように思う。
ジェットコースターに乗って、上へ上へのぼって、てっぺんでレールがぱっと消えたような感じだ。空中分解。
ドクターストップをかけてもらった。たった今から休職せよ、というお達しに、情けなさと恥ずかしさはあったと思う。でも感情が鈍麻していた。逃げたいという切羽詰まった感覚だけで、上司に医師に書いてもらった用紙を提出した。
何も言えなかったし、何も聞かれなかった。
ただただ鈍い気持ちだった。
これで逃げられる、とホッとした気持ちや泣きたい気持ちもあっただろうし、休みたい眠りたいという身体からの訴えもあったと思う。
でも実際は、感情もぶつけず、冷静に応対する自分がいた。いや、「普通通りに応対できている」と思っている自分が。
なにも感じられなかったというのではない。でも感情も感覚も、もやがかかったように遠くに感じた。自分のものではないみたい。
身体はものすごく重くて、足が上がらない感覚。靴を引きずりながら歩くような、そして数歩歩くだけでも息が切れる。
なにかを見ているようで見ていない。かすんでいる。聞いているようで聞いていない。水中にいるようだ。
その時の感情は覚えていない。混乱し、ただ鈍かった。
ただ、「うつ状態」という「病名」がついたことで、荷を下ろせた。 病気のはじまりだとしても。
うつ症状への直接のきっかけとなったのは、
慢性的な睡眠不足と、栄養不足。
過度な緊張状態。
これが半年くらい続いた上でのことだった。
ただそれはきっかけというだけのこと。根本原因は自分の身体と感情を無視し続けたことだ。離婚したときのつらい気持ちをなかったことにしたことが根っこにある。
私は私を隠し、要らないものとして扱った。表面上だけで生きていたし、それでなんとかなると思っていた。どんな感情や考えを持っていても「私」なのに、見たくないところは押しやって、キレイな部分だけで生きていこうとした。
うつという症状が出たことで、強制的に立ち止まらないとならなくなった。一歩先も見えない、不安の暗闇の中に入ってしまったように思ったけど、
けれどこれは、「ないもの」として見ないようにした私と、表面上生きている私とを、ひとりの私自身に戻すために必要なことだったんだと今では思う。
うつというのは、病名ではあるけど、症状のことでもあると思う。名がつくことで明らかにはなるけれど、身体と心の状態はしばらく前からそうだったはずだ。
だから、どこからが病気なんだろう、と現在の私は、先日病気が見つかったことで不思議に思った。
病名が判明することで、新しいスタート地点に立った、ということか。今度は治療という地点に。
書いてみたら長くなってしまった。だけど順を追って書いてみたら、あちこちにサインが出ていたことがわかった。自分が自分ではない、どうしようもない、という感覚は、今もうっすら覚えている。