ひとは思いこみでできている

思うこと 気づいたこと なんでも書く

その後、今

私は母が嫌いだ。

それでいい。と今は思っている。

自分の感覚を信じている。

 

あの人も大変だったんだろう。そんな丈夫な身体ではないのに、仕事も家事も子育ても、誰の助けも借りずしゃかりきになってやりこなそうとしていた。

元来社交的でもないのに仮面をかぶって愛想よくしていた。

子どもは子どもなので言うことを聞かないし、イライラも溜まっていっただろう。

母や父は何になりたかったんだろう?

人生の勝者か。それとも毎日一生懸命働くことで、豊かな生活をし、余裕を持ちたかったのか?

何を望んで、何を理想とし、どんなふうになりたかったんだろう。

 

父も母も、善人であるには違いない。世の中の生活している人々のほとんどは善良な市民である、と私は思っているが、懸命に生きている、それだけでも善人だろうと思う。

働いて、食べて、生きる。

これができるだけでもすごいことなんだから。

 

ただ、偶然の出会いである家族として、なにかが掛け違い、もう交わらなくなっていった。

「家族」という集団の不思議さを思う。「家族」の呪縛は、他人との関係よりだんぜん厄介で解けにくい。

世界に自分の家族だけなら、しあわせだったのかもね。宇宙にたった一つの家族だけだったなら、お互いを理解し認め許すこともできたかもしれない。

25年ほど一緒にいた家族、密度としては時期により濃淡あったけど、毎日顔を合わせ、ご飯を食べ、生活を共にしていた。その重みは、積み重ねという点で他では埋まらない。しかし、私のなかでは、ほんとうにほんとうに、記憶が薄れていっている。

復讐なのかな、と思ったりもする。こんな家族、要らない。私がいらない子、いなくてもいい子だと思わせるような家族なんて、要らない。

しかしこんな思い、たとえ話したとして理解されるとは思えない。私のだいじな思いを吐露することもわずらわしい。それほど家族は遠くなった。もう戻りたくない。私を認めてくれる場所は、自分で見つける。

 

私が子を欲しくない理由のひとつは、この家族像にあった。私は、子を持っても必ず怒鳴り、叩き、お前なんか要らない、と言うだろう、と確信していた。子の優しさ純真さ、柔らかさ匂いなどを知ることなく、先にそう思い込んでしまったから。

10代後半、女の子としてそういったことを考える時期に、もうまったく欲しいなんて思ったことがなかった。同級生が子どもかわいい、と言うたび、そんなわけあるか、と思っていた。なにをどう思ったらかわいいと思えるのかほんとうに疑問だった。

あんな不安定な、すぐ死んでしまうような、宇宙人のようなもの、怖くて仕方ない。

産んでみれば育ててみればと無責任に言う軽口には付き合ってられなかった。産んでしまったら捨てることなんてできないじゃない。責任があるじゃない。

怖ろしい、怖ろしい。子を産めば私は私でなくなる。私がいなくなってしまう。私が世話をしなければ死んでしまう存在。なら、私の世話は誰がしてくれるの?私のことは誰が受け入れてくれるの?私がつらいと思った時、私はひとりでいるしかないのに。

結果、私は子を持たなかった。これも復讐なんだろうか。親にではなく、自分に対しての。

子を持たなかったことは、成功でも不成功でもなく、勝ち負けでもなく、ただ持たなかった、という事実なのだけど、意味づけなどない、と思えるまでは一生かかりそうだ。

何かに対して復讐しているのかもしれないけど、それでも私は善人だ。世の中の人々と同じように、愚かであるが善である、と思っている。

 

いったい、私はどうなりたいんだろう?

何を理想とし、何を望んでいるんだろう。つまづいて、うつむいてばかりだけど、自分で見つけていかないと。苦しいし悲しいけど、自分次第だと思えれば清々しくもある。