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アダルトチルドレンについて知った

アダルトチルドレンには役割の種類がいくつかあることを知った。そしてほとんどの人が複数を兼務(?)しているものだと知った。

機能不全家族で育った子はもれなくアダルトチルドレンなのだろうな。

そして、機能不全家族ではない家族なんてないだろう。

だからといって、その家庭しか知らないし、簡単に出ていったりできない子からすれば、「どんな家庭も機能不全」なんて言われてもそんなもん知るか、だし、神のように思っている親には多大な影響を受けるしかない。受動的でいるしかない。

 

ともあれアダルトチルドレンについて。今の分類ではこれらがあるとのこと。

・ヒーロー

・プラケーター(カウンセラー)

・ピエロ

・ロストワン

スケープゴート

・イネイブラー

・リトルナース(ケアテイカー)

どういう意味か、どう書くのかもわからない言葉が多い。

 

そして、調べてみて私が理解した役割は、

・ヒーロー 

 → 理想叶え役、完璧主義係

・プラケーター(カウンセラー)

 → 愚痴聞き役、仲裁役

・ピエロ

 → やむにやまれぬ悲しいお道化役

・ロストワン

 → いない子、親にとっての聞き分けのいい子

スケープゴート

 → 病弱あるいは問題起こし役

・イネイブラー

 → 親代わり、お世話係

・リトルナース(ケアテイカー)

 → イネイブラーより包括的なお世話係

 

(イネイブラー、リトルナース、ケアテイカーあたりで頭がごっちゃになってしまっているが、大体の役割は把握できた)

 

その家庭での役割なので、子本人が望まぬのにそのように「させられてしまった」「役や係を担わされてしまった」ということだ。子の意思は関係ないのだ。そもそも子が意思を持つようになる前からやらされているんだから、意思は持ちようがないのだ。少なくともその家庭にいる限りは。

その役割を続けるうちに、機能していない家庭での「自分の居場所」が見付かったように感じるから、進んでさらにその役割を続け、しまいには自分って何がしたかったんだろう…?自分って何なんだろう…?という混乱に気づくのが、成人後とか、働き始めて数年とか、30代になってから、なんだろうなと思った。

「自分の居場所」は子にとっては大問題だし、居場所がないということは、ご飯が食べられない、捨てられる、生きていけない、に直結するから必死にもなる。

 

しかし、家庭というのは、いつから機能しなくなるんだろう…?

親だって、いい家庭にしよう、楽しい家族になろう、としていただろう。思いやりを持って、みな生き生きと…なんて希望や夢もあっただろう。

ひとりひとり考えも行動も違う存在の集まりなのだから…意志だけではどうにもならなくなっていくんだろうな…。それに、ひとりひとりずっと同じということもない。家族構成が変わったり、住む環境が変わったりといった外的な変化もあるし、習慣が変わったり行動が変わったりもある。

そも、こうしたい、こうなればいい、という希望も、生きていく・生活する、という現実の重みには太刀打ちできない。日々の暮らしには負ける、とも思う。そして生きることに精一杯で、余裕なく、余力の持ちようもなく、疲弊していくんだ。生活の前には理想なんて食えないものは要らない。衣食足りて礼節を知る、なんだ。と身をもって感じる。

 

現代では「機能不全家族」という言葉ができて、さも今発見された、みたいに感じてしまうけど、親の親世代だって機能不全家族だっただろうな。

なぜ、簡単に家族を持つんだろ?

特に思うのはなぜ、子を作ることが自然なのか?当然なのか。

今のネット情報だけ見ていても、子育てで苦労してるお母さん、ひとごとの不在の父親、親世代の干渉、昭和の時代から意識は変わってないし、子どもを産んだら心身ともに大変なのわかってて、でも産む、というのが理解できないんだ。自分で望んで産んだんなら、そんなら文句言うなよ、とは思ってしまうな。子どものこと考えろよ、って。

だって子どもには関係ないもの。親世代、ジジババ世代の苦労なんて。

だけどやっぱりそんな言葉を言っちゃうくらい、心身ともに余裕がなくなるんじゃないのかな。

そんな私も立派な機能不全家族で育った。育った子がそう思うのだもの。人により家庭により程度の差があるなんて、それこそ関係ない。その子がそう感じたなら、それが真実。揺るぎないことだ。

いろいろ頭をよぎっていくけど。今日はこれくらいで。