私の周りの大人
生まれてからこれまで、私の周りにいた“大人”とはどんな人がいたかを思い巡らせていたら、すごく少ないということがわかった。
ここで私がいう“大人”とは、“いい影響を与えてくれる年長の人”という意味で言っている。
漠然としているが、私の思う“大人”とは、子供や年少の人を導き、困った時に助けてくれるような人のことだ。
その人に出会って、そのいいところを目指したり真似したり、違う知見に衝撃を受けたり、自分も向上していこうと思えるような人のことだ。モデルと思えるような“大人”、なりたいと思える“大人”。
(そんな人間そもそもいないかもしれないけど。。)
赤ちゃん〜中学生→ほぼ親としか接していない。
まず、親は私を導かず、何かあった時の助けにはならなかった。だから私の中ではいい“大人”ではない。
学校の先生や、家の商売のパートの人、などがいたけど、特に尊敬できる人もおらず、よい影響もなかった。学校の先生なんて、嫌なことされたことしか覚えてない。
ただ一人、小学一年生の時に受け持ってくれた島村先生は優しかったなぁ…。今でも名前や顔を覚えているくらいだもの。親と離れて初めて会った大人で、優しく接してくれたから安心したんだろうな。
高校生→高校の先生がよかった。
私が高校時代がいちばん楽しかった、と思えるのは、面白いと思える“大人”が何人かいたからかもしれない。
教え方がとてもうまくてどんどんその教科が好きになり頑張れるようにしてくれた先生、授業に関係のない質問でも相手をしてくれた先生、自分の好きな世界を語る先生、学校に軽トラで来る先生、ちゃんと怒ってくれる先生、、
今思い出してもいろんなタイプの先生がいて、私はとてものびのびと過ごせた。
私の一生のうちの、ハイライトの期間だ。そんな経験をさせてくれた先生方に感謝だ。
大学→いない。いても数人。覚えてないくらい。
当校の教授陣より、外部からの講師の先生方のほうが面白かったしいい影響を受けた。内包しているものが多そうで、授業以外の話を聞いてみたいと思わせてくれる先生が多かった。
当校の教授陣は…よい影響より、エゴが強くて嫌な体験をしたほうが多いかもしれない。
それは大学だから、ということもあるかもしれない。大学は自分で選んで責任持ってやれ、というところだから。自分の世話は自分でするしかない。高校とは違う。
導いてくれる先生もいたけど残念ながら私は当たらなかった。
社会人〜今→大人はいっぱいいたけど“大人”はほんとにもう数人だ。
年上だから、ええ年のおっさんだからって、まったく尊敬できない人めちゃくちゃ多い。だから社会に出て数年でそういうもんだ、と慣れてしまった。悲しかったけどそれはそれでよい経験かもしれない。
モデルとなる“大人”に出会えなかったことは仕方ないので諦めるとして、さて私が、魅力ある“大人”になれているかといえば、もちろんなれていない。
人を導くなんて大それたことをするつもりもないし、何者かになることもないのだから、せめて自分に恥ずかしくないような“大人”、自分がなれるといいなと思える“大人”に、今からでも目指してなっていかなきゃ。生きてるあいだに少しでも。