ひとは思いこみでできている

思うこと 気づいたこと なんでも書く

HSP : 心が“敏感肌”な人 2

(続きです)

だれもがHSPであって、だれもHSPではない。

極端かもしれませんが、見方を変えればそう言えるのではないか、と私は思っています。

感じ取るポイントが違い、感じ取る強弱が違い、意識の向け方が違い、だから体質が人それぞれ違うように、それぞれ「個性」を持っているだけ。

HSPという概念を知ったことで、よりそれを知ろうとしてきました。HSPについて考えることで、それをきっかけによりよく生きたいと思うようになりました。

そして、HSPというひとつの概念を越えて、違う意識に目を向けるようになり、ひとつにこだわらなくてもいいんだな、と理解できました。

今では普段の生活で、HSPだから、といった線引きはしなくなり、考えることもありません。でもたまに思い巡らせたり書いたりするのは、私を知るきっかけとなったHSPに、解明しきれない何かを探しているのかもしれません。知ることはとてもおもしろいから。

私を構成するひとつの要素。でもけしてこれだけではない。私はもっと違う部分からも成り立っている。

HSPは克服するものでもなく、執着するものでもない。大切な部分だけど、小さなかけらのようなひとつの部分。

人と共有して理解し合えたらうれしいけれど、わからないこともある。理解してもらえないからといって、それは否定したわけでも否定されたわけでもない。ただ違うだけ。

人との関係に意味を求めるよりも、私が私をもっと知って、私が私をいたわり、なだめ、味方でいて、信じ、認める。

そちらに意識を持っていくと、あんなに過敏に人の目を気にし、傷つけられまいとよろいを着ていたのに、もっと大切な自分自身というものに気づくようになった。よろいはずっと着けなくてもよくなっていった。そうすると、アレルギー反応のようにピリピリと周りを窺っていた私はいつのまにかいなくなった。一方向だけから見てしまう癖がなくなったとは思っていないけれど、それも私であって、それでいいやと思えるようになった。私はこうだけど、ほかにもいろんな人がいるよね、と思えるようになってきた。

以前より少しはニュートラルにものごとを捉えられるようになったのだったらいいな。そしてこれからどんな風になっていけるのかな。未来は明るく広がっている。