ひとは思いこみでできている

思うこと 気づいたこと なんでも書く

世の中に出て行くことが怖かった

子どものころからなんとなく生きにくかった。

怖いことだらけだった。

小・中学生の行動範囲といっても家からほとんど離れないけれど、テリトリーとなりうる学校でさえ知らないところばっかりでなじみづらかった。先生と気安く話す同級生がうらやましかった。友だちの親と話すことももじもじして何を言えばいいかわからなくて怖気づいた。

知らないところ、人がたくさんいるところ、繁華な駅。誰かと一緒じゃないと、もう帰れないんじゃないかと怖かった。

知らない大人も怖かった。大人が多いということも怖かった。大人イコール怒る、みたいに思ってた。

 

親に甘えたかったけど、甘え方がわからなかった。肝心な時には見捨てられる、とよく思ってた。言う通りにしておとなしくしておけば、生き延びられる、と感じてた。

 

幼いころの記憶はほとんどない。小・中学生のころさえも。繰り返し思い出して定着させた記憶は、今や事実だったのどうかわからない。よほどぼんやり生きていたのだろうと思う。

 

世の中のものに押しつぶされそうだった。広い広い世の中に出ていくことが怖かった。この広い広い世界を自分ひとりの力で泳いでいけるなんて思えなかった。なにかを自分で決断することも怖かった。

それから高校生・大学生になって、少しずつ行動範囲が広がって、周りの人々も、自分と同じくらいだとわかってきて、構えすぎないようになった。

私にも息をする場所があるかもしれない、あってほしい、と思った。

 

でもやっぱり、空想で生きていた幼いころから、嫌でも現実に出ていかなければならない年齢になって、とても嫌だった。それを我慢した。だから我慢が生きるうえでのデフォルトになってしまった。

今振り返っても、なんだか無理矢理生きてたなぁと思う。もちろん楽しいことや笑い転げるようなこと、のびのびと羽を伸ばすようなこと、そんなこともたくさんあっただろうと思う。けれど思い出すのは、「怖い」と感じた、その感覚が多い。

 

では楽しかったことはなんだろう?

家や、自分だけが入れる隙間みたいな場所で、本を読んだり絵を描いたり、テレビアニメを見たり。妹と遊ぶことも楽しかったけれど、ひとりでいる時がいちばん好きだった。

机やふとんは自分だけのスペースだったから、そこで過ごすことは自分を保つ大切な場所だった。

楽しかったこと、というより、ひとりで息をつける場所が必要だった。

今も、どこへ行ったとしても、早く帰りたい。遊びに行って、それがとても楽しくても、早く自分だけの場所に帰りたくなる。

このところ、なにかに不安なのか、昔のようにまた「世の中は怖い」という思いが襲ってきている。

身をひそめて息を詰めて、怖い怖いと思いながら、やり過ごしている。