ひとは思いこみでできている

思うこと 気づいたこと なんでも書く

私なりのバランス

朝、コーヒーを飲んでいて、飲み切る少し前に「あっもう要らないや」と飲むのをやめた。

すると旦那さんが「そういうのは大事やね」と言った。

「もう要らないと思った、その自分の(身体の)声を聞くのは大事」

 

ふだんなら、あと一口であれば残さず飲み切ることが多いけれど、その習慣よりも、そして「残しちゃダメ」「ふつう飲むでしょ」といった頭の声よりも、「もう要らないな」と自然に思ったことを優先した。

 

旦那さんは、「そういう直感のような、身体の声というのはとても小さいから、気づくのが難しい。

でも、ふと思った、ふと感じたことをないがしろにしてると、あとで「あぁ、あれがそうだったのか」とよく思う。

流してしまわずに、その小さな声に従うと後悔がない」とも言っていた。

食べるものでは、とにかく身体にいいから、と本当に食べたいかどうかもわからないまま摂っていたりする。

毎日の食事では、栄養的によさそうなもの、旬のもの、身体への不足過剰も考えつつ献立を考えたり料理をする。とても大切なことだと思う。それにいつもいつも好きなものだけ食べてはいられないと思うからそうしてるのだけど、どうしても頭で作った食事は「摂取」という感じだな。

だからといって、今の身体の不足過剰を把握しないままに好きだと思うものだけ食べてたら、それはそれで「ただ食べるのを許している」という感じになる。

どちらに偏っても、身体の声を聞いているとは言いがたい。

ふだんから身体からの小さな声を聞けているわけではないから、本当に必要なのか、本当に食べたいと思ってるのか、と問いかけても、答えはしっかりわからないことが多い。

身体の声を聞くには、せっかく気づいたこの小さな声をできるだけ毎回大切にして、少しずつ自分(の身体)を知っていくことなんだな。

でもまぁそんな難しく捉えなくても、おいしく食事できたらそれが身体にはよろこびとなって伝わるだろう。私というものは、頭と身体だけじゃないから。心もあるから。

この頭と身体と心が、私なりのバランスでいられたら、私は自分というものをもっとよく感じられるんだろうな、と思う。