ひとは思いこみでできている

思うこと 気づいたこと なんでも書く

小さな葉っぱの積み重ね

大きな大きな公園へ行く。

空は快晴。

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日に日に肌寒さが増してきて、紅葉も進んでいる。

広がる芝生のところ、ウッドチップを敷いたところ、山道のようなところ、石畳のところ、いろんな感触があって足が喜ぶ。

見上げれば青空、前横後ろと下を見れば、緑と紅葉のグラデーション。

もうなんにもいらないと思わせる。

ベンチに座る。

頭上の大きな樹からハラリと葉が落ちてくる。芝生に降ってくる。

この小さな葉っぱは、自分のひとつずつの感情みたいだな。

自分の中に、感情の葉っぱが降り積もっていくみたいだな。

ひとつずつは小さいし、もしかしたら取るに足りないものかもしれないけど、葉っぱ一枚一枚がそれぞれ無駄ではないように、私の感情もひとつひとつ私にとっては必要なものなんだ。

どんどん降って、ふかふかに積もって、いずれ発酵する。葉っぱは腐っても土に帰っていくから、私の感情も同じように私の中に吸収される。

人工的に整備された自然であっても私からすれば大いなる自然だ(少し美しすぎるかもしれないけれど)。

その自然というものには、どうやったって理解できない怖さもある。

そして自然は、自然の中で循環して完結する。

私も、人や自然やものの助けを借りながら循環させ、やがて私の中に収まる。

花開き実をつける、とまではいかない軟弱な人間で、人様の役に立とうとしてもどうすればいいかわからない情けなさで、私は私の中だけでさえ循環させられているのか疑問だけれど、

そしてこうやって愚にもつかないことを思い巡らす頭なんかより、

私の身体のなかでは今も懸命に、血や体液が「循環」してくれてる! それでよし。

いつだって身体(自然)のほうがえらいんだ。

 

ともかく秋の公園は、本当に目にごちそうだった。

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