新しい出発の仕方
若干執着していることがあった。このまま今をなんとなく過ごしていると、まだしばらくは心を縛られてしまいそうな、そういう気がしていた。といっても、それをとめようという意識も働かない、どっちともつかない心の状態だった。
身体はどういう感覚でいるのだろう?
身体は、これから進む方向を向いている。前を向いている。
でも感情が、まだ行きたくないと、うしろを振り返っている。
過去や思い出にとらわれることは、今の自分には甘く、その場所から動かなくてよいからぬるま湯にずっと浸かっているような感じで、とても心地よい。
その執着や心残りは、別段断ち切らなくてもいいものかもしれない。抱えていたって今のところは問題ない。
だけど、これから別のところへ行くと決まったから、気持ちとしてはまだそこに居たいけど、ずっとそうはしていられない。
やわやわとごまかしながら消えていくのを待ってもよかったかもしれない。しかしそうすると、その執着している事柄ごと、きっと輪郭がぐずぐずに溶けてしまって、形も思いも曖昧なものになるようにも思えた。
居場所が変わることで、えいやという気持ちで自ら変えていったことも今までは多かった。
どう変えるかといえば、飽きるまでやり切ること。もういいか、と思えるまで続け切ることだ。
今回は期せずしてそうなった。自分から選んだわけではなかったけど、巡り合わせがそうなった。結果、それでよかった。飽きたことで、今までのことを思い出として抱きしめることができた。
うしろを引きずることはもうないと思う。といって、力を込めて前を向いているわけではない。
それほどの力みがないことが、今までの私とは違う。偶然に助けられることってあるんだな。
飴を舐めるようにそのころの甘さを時々は思い出すだろう。もう少しひたっていたかった。でももう出発だよ。