私の本体である「身体」
手術してひと月経った。
もうひと月? まだひと月? 両方の思いが入り混じっている。
自分を海に例えると、
自分の中の表層は、頭で考えたり判断したりするところ。
深い層は、経験や記憶の蓄積されるところ。
自分でも気づかない意識のあるところ。
大きな希望を抱くところ。
表層はほんとに浅い。私の本体は深い層にある。でも意識しないと自分でも気づけない。いつもは浅い表層に振り回されている。
そして私の本体であるものは「身体」だ。
普段身体のことを忘れているけど。頭だけせわしなくアレコレ考えて動いているつもりで、身体を意識からおいてけぼりにしているけど。
だって私は自分の中の臓器が実際に何をしているのか知らない。見ることもない。知らないからわからない、と知ろうとしてこなかった。
私を形作るいちばん大きなものが身体。
身体は私の表層と深層を包み、つないでいる。
普段の生活では浅い層がバチャバチャ波立って、大慌てでいつも忙しくしている感じ。表面上いろいろ考えたりしている感じ。
今回手術によって、深い層の身体が直接動かされた。
身体の存在は根源的だ。身体の前では頭で考えた意識なんて吹っ飛ぶ。それくらい大きいものだ。偉大だ。
深いところで地殻変動が起こったようなものだ。底から揺り動かされて、位置が変わったり上下がひっくり返ったりしたようだ。
身体は「行動」してくれる。
歩いたりしゃべったり、見たり聞いたりしてくれる。
そして、行動すると少しずつ意識が変わり、見える景色や思うことも変わる。
深い、源の部分が動いたことで、今の私の中では、思ってもみなかったこと、見えていなかったこと、気づけなかったこと、それらが新旧入り交じり撹拌されている感じだ。
これらの経験って、身体がないとできなかったんだなぁ。
いつも身体を意識して生きているわけではないけど、私を支えてくれているのは身体だったんだな。身体があるから意識もあるんだな。
身体は、この世を生きる容れ物だけれど、この身体があるからしんどいことも苦しいことも多いんだけど、
この身体があるから、ものも食べられるし、歩けるし、想像することができるんだね。
人の話を聞き、自分の話ができる。
喜ぶことも、笑うこともできる。
しんどい時はそういうことをすぐに忘れてしまうけど。
どれだけ頭だけで生きてきたんだろ。身体が支えてくれてることを忘れて。
もういいかげん、身体のことを見てあげようよ、私は。もう観念しようよ。