ひとは思いこみでできている

思うこと 気づいたこと なんでも書く

栄養不足の身体

順序でいうと「うつの治療」についてのほうが先だけれど、思い出すのに力がかかるためになかなか筆が進まない。ですので、うつが治ってからあとの、「食べられなくなったこと(栄養不足)について」を書きます。

食べられなくなったこと(栄養不足)の「後遺症」は、うつ状態寛解し復職したからといって治るものではなかった。

急激に食べなくなったことで痩せた。胃袋も小さくなったのか、量も入らなくなった。食べたいという気持ちが薄まった。

それでも人間って生きているんですよね。ぜんぜん食べてないわけではないからかな。簡単には死なないんだ。

うつ状態になってからをまとめると、

うつ状態 → 休職(半年くらいで寛解の状態になった)→ 復職 → 退職(1年半くらい)→ 転職 → 退職(半年)、その後結婚し、転職する。これから以降は心身が安定してきた。仕事も短期間で辞めることはなくなった。

 

栄養不足の「後遺症」とは書いたけれど、具体的には、「肌のカサカサ」「皮膚が少しの刺激でもミミズ腫れになる」「目の乾き」がひどかった。

でもなんでそうなるのかは考えたこともなかった。

 

営業職の仕事をしている間に今の旦那さんと知り合い、お付き合いするようになって、ようやくだんだんと食事を楽しめるようになってきた。食べる量も徐々に普通量くらいになっていった。 

結婚して自分で料理をするようになり、栄養面も少し考えて作るようになっても、そこからまた2年くらい経つまでそういった症状は治まらなかった。だから食べられなくなってから治るのにかれこれ4~5年ほどかかっている。

生理が止まったりといった女性特有の症状や、すぐに風邪をひくという免疫力の低下による症状は出なかったので余計に気づいていなかったし、見ないようにしていた。

身体の細胞がぜんぶ入れ替わるのに2年はかかると聞いたことがあって(その信憑性はよくわからないのだけど)、自分で料理をして、ごはんを食べておいしいと思えるようになってからの2年で体調を持ち直したのでその説は頷けるように思う。

 

皮膚がミミズ腫れになることが一番驚いた。腕にカバンをかけると、その刺激で腫れる。ちょっと掻いたり引っ掛けただけで蚊に刺されたようにブワーッと赤く腫れる。皮膚は水気が少なく、汗もそんなにかかなくなっていた。なんかおかしいなぁ、なんでだろうと思っていた。

栄養不足だったんだ、と気づいたのは、治ってからだった。皮膚に症状が出て、身体は悲鳴をあげて教えてくれてたのに、気づいてあげられなかった。

 

身体だけではない。精神的にももちろん安定しなかった。

不安や焦燥感はもとより、元気もなく覇気もなく、考えもまとまらない。栄養や血が足りないから貧血気味でふらふらしていた。

なにかあったらすぐに悪い方へ考える。自分を責める。落ち込む。もともとの思考のクセもあったけれど、栄養不足はそれを助長していたと思う。

 

目に見えることは皮膚の症状が多かったけれど、内臓はきっともっとひどい状態だっただろう。無理なダイエットをして、そこからやっと戻ってきた感じだ。

運動する習慣もなく、「身体」というものを知らなかった。知ろうとしてなかった。自分の一部くらいに捉えていた。私の本体は精神だ、と考えていたんだろうと思う。

こころとからだは両方たいせつだ。なんて言葉を聞いても、知らないことだから耳に入ってこなかった。

今は「身体」が本体で、「精神(心)」が身体の一部分だと思っている。

もちろんどちらも大事で順序はつけられないけど、なにかあってどちらからアプローチするのがいいかと言われたら「身体」から、と答える。

そして身体のことを無視すると、あとあとまで長く響くんだ、と体験から理解している。

 

#この岩波少年文庫がすごい総選挙

 

#この岩波少年文庫がすごい総選挙

少し前からTwitterで「#この岩波少年文庫がすごい総選挙」タグのツイートがたくさんあがっているのだけど、

みなさんの思い出深い本たちはもちろんそれぞれで、まだまだ私の知らない本があったことも教えてくれるし、

なにより本が好きだという、その手ばなしの愛情を感じて、みなさんと一緒だというなんとも安心した、和らいだ、満足した気持ちになる。

 

私がよく読み始めた、と言えるのは高校生のころから。子どものころにも読んでたとは思うけど覚えてない。

背表紙の色が分かれていて、装丁がすっきりとシンプルで、紙の色も落ち着いて、幅も持ちやすい。こうした外観も大事だと思わせてくれた。

いつか、岩波少年文庫の読んだ本たちで本棚を埋めていくことを夢見た。

おこずかいで、好きだと思うものを一冊ずつ買って、あのツルツルした表紙を眺めるのが好きだった。挿絵も原本に忠実にしているところも他の本とは違い、大切にする気持ちになった。

うしろの「そのほかの少年文庫」といった書名の紹介部分も、じっと眺めるのが好きだった。

文庫本やハードカバー、子供向けならもう少しアニメっぽい表紙の本、いろいろあるけど、岩波少年文庫はなんとなく「格がある」「上品」に感じた。それを持つ自分も、世界の名作を読むんだ、としゃんと背筋を伸ばす思いだった。

 

本を読むことに没頭して、本さえ読んでいれば毎日が幸せで明るく、本の中で世界の広さを知り、冒険し、感情を揺さぶられ、やがて大きな波が来てゆっくりと去るようにふわりと着地した、そういう心の動きを思い出した。

本を読むことの幸せは、私の何ものにも変えられない幸せだったんだ。

 

大人になって、あらためてあの手触りを思い出し、好きだったものを買い足してみたけれど、あの高校生のころのようには読めないことに愕然となった。ものすごく切迫した、萎縮したような気持ちになった。もう、あのころには戻れない。感性がなくなった、と感じた。淋しいなんてもんじゃない、自分の一部が死んだように感じた。

くまのプーさん』『不思議の国のアリス』『エーミールと探偵たち』『点子ちゃんとアントン』『ナルニア国物語』『ムギと王さま』『名探偵カッレくん』『あのころはフリードリヒがいた』『モモ』『クローディアの秘密』『思い出のマーニー』『グレイ・ラビットのおはなし』『ティーパーティの謎』『足音がやってくる』『めざめれば魔女』…

( エンデ『はてしない物語』とケストナー飛ぶ教室』は、高校生の時にはまだ少年文庫に入ってなくて、ケース入りのハードカバーをがんばって買ったことが私のひそかな満足なのです。)

 

感性は鈍くなってしまったけれど、本を読むことの楽しさは思い出したい。優しい時間を取り戻したい。

「普通に」生きている女性たちは

 

ふと冷静になって見渡してみれば、

周りにいる女性たち、近い存在ではない女性たち、「普通に」生きている女性たち。

それぞれみんなが一生懸命で、みんなが魅力的だ。

仕事したりしてなかったり、結婚したりしてなかったり、子どもがいたりいなかったり、そんなのどうでもいいことだ。

ただ生きて、息をして、存在しているだけで、魅力的なんだ。

人が生きている、というだけのことで、それだけでもう充分だと思った。

 

日々いろんなことを感じ、感情の浮き沈みがあり、自分のことで精一杯になり、人のことをあれこれ言ったりする。

なにも特別なことはない。あなたや私がおかしいわけではない。みんな同じ。

 

少しでも心の触れ合うようなことがあると、そんな女性たちから溢れ出る優しさや柔らかさを感じて圧倒されるようだ。

その優しさも人それぞれで、目いっぱい表す人もいれば、控えめにそっと放っておく人もいる。

饒舌になって楽しませてくれる人もいれば、言わないことで優しさを表す人もいる。

表し方が違うだけで、みんな優しいんだね。

 

人と比べたり、周りのことを気にしすぎて、今の自分がよくわからなくなっている人もいるかもしれない。でもきっと根っこはみんな同じで、みんな優しい。

うつになる前のサイン

 

しばらく前に、うつ状態だったころのことを少し書いた。

書いたことで私の中のなにかが開いたのか、その頃のことをあやふやなりに少しずつ思い出してきた。今日は、うつになる手前にあったことを書きます。

 

◯離婚して新しい仕事へ

うつに陥る前、私は張り切っていた。

離婚して実家へ住まわせてもらうことになった。住むところはあったけれど、「一人で生きていかなければならない」「もう結婚なんてできないだろうし考えられない」「経済的に一人立ちをしなければ」と孤独に奮起する気持ちだった。

と同時に、自由になったことの喜びもあった。ふわふわと浮き足立った、足枷が取れたんだ、というような気持ち。

 

仕事は同じ職場で職種転換の試験を受けた。ちょうどよいタイミングで新しい部署の立ち上げがあり、事務職から営業職に挑戦したのだ。

つい「幸いにも」とか、「ちょうどいいタイミングで」とか「運良く」と言ってしまうのだけど、これはそうでもあるしそうでないとも言える。

だって、したことのない営業職になったことで、うつへの決定的なスイッチを押すことになってしまったから。

ただもしあのまま営業職ができていたのなら、あのタイミングは絶好のチャンスをものにしたんだって言えるだろう。

 

離婚したことで、それまで抑えていた気持ちが解放され、とても楽になったのは本当のこと。

もう、暗い気分の部屋に戻らなくていい。いつも将来が怖くて未来の見えない生活が目の前からなくなった。

自分の未来を取り戻したような気がしていた。

これからはなんでもできるし、やってみよう。これからを満喫するんだ!

だけど、つらく淋しい気持ちは見ないようにしていたことが、うつへのベースとなった。

隣にいた相手がいなくなり、なんともスースーと心もとない気持ちは無視していた。

付き合いも長く、知っていると思っていた相手のことを本当はよくわかっていなかった。

いつの日からか、相手に自分の思いを伝えることをしなくなっていた。

自分の思うこと考えることは正しい、と相手を責めていた。

将来が怖く、未来が見えないことも、相手のせいにしていた。

コミュニケーション不全そのものだった。

私は、この相手と家族になれなかった。夫婦にもなれなかった。結婚というものがなんなのかわからず、わからないけどそのままにして、相手に伝えたり話す努力をしなかった。働かない相手のせいにして、失敗を認めるのが、現実を見るのがいやだった。

当たり前にあるものだと信じていたものがそうではないことを知り、絶望感があった。

当事者になることを恐れ、だれかなんとかしてくれるだろうと思っていた。いや、もうだれか決めてくれよ、と思っていたのかもしれない。

これらのことすべてを、「ないもの」として心の奥に押しやった

新しい生活、新しい環境、新しい仕事。楽しみだ、ワクワクする! なにがあっても乗りきるんだ!

 

さて私の生活はどんなだったか。

 

実家に戻ってから、食生活が変わった。あまり食べなくなった。

食べたくなくなった。

一時は、キャベツしか食べてなかった。でもそれに気づいていなかった。おいしそうなレモンドレッシングを買ってきて、ひたすら春キャベツを千切りにしてた。

どんどん痩せた。

痩せたら洋服選びが楽しくなった。今まで入らなかったサイズも入るし、痩せたら見栄えがよくなる。食べられないなんて一石二鳥だ、よかった。と思っていた。

今まであまり買わなかったスーツも買って、これからの新しい仕事も楽しみにしていた。ふわふわした解放感と高揚感の中にいた

 

職場の友人に「やつれたんじゃない?げっそりしてるよ」と言われた。

この言葉と友人の心配そうな顔はとても覚えている。今思えば、そのことはちゃんと心の奥底に届いたのだけど、その気持ちを無視した。自分を無視した

 

食生活はずっと不安定で、この頃は特に「サプリで食事がまかなえたらいいのに」と思っていた。栄養のことをなにも知らないのに足りてないことはわかっているから、栄養補助食品を食べてればいいだろうと、お菓子まがいのものを食べたりしていた。

 

いよいよ新しい仕事の研修が始まった。おおまかな研修を本社で受けて、あとはもう実地だ。研修期間は数週間で、東京の本社へ出張だった。知らない土地にいるキラキラとした高揚感で初めは楽しかったが、研修も終わりになるにつれ、緊張と不安で眠れなくなってきた。頭だけが働いて、ぐるぐるとずっと不安なことを考えていた。

でも不安だという気持ちにフタをした。

 

そして配属になり、仕事が始まった。まだ現実感は薄かった。高揚感も続いていた。知っている環境で働くのが安心だったことで、背伸びをしようとした。

早く覚えなくちゃ、早く慣れなくちゃ、チャンスをもらったんだからがんばらなくちゃ。

 

だんだん頭が働かなくなった。身体の動きが遅くなった。

あれもこれもしなくちゃなんないのに、時間が足りない。能力が足りない。

遅くまで会社にいることでまかなおうとした。

よくわからないことも聞こうとせずに、自分だけで抱えて頭の中で処理しようとした。

 

ついていけてないのに、それは他の人から見れば明白だったろうに、恥の気持ちが先走り過ぎて、弱音を言えなかった。営業成績の結果を出す段階でもないのに、なけなしの虚勢を張ろうとしていた。

 

前日の夜遅くても、朝はなんとか起きられる。むしろあんまり眠れていなかった

だけど会社へ行く足が重くて重くて、もう絶望的な気分で、表情もない。愛想笑いはできるけど、ぜんぜん楽しくなかった。

怖い怖いいやだいやだ私なんてもう無理だ何もできないダメだダメだ厄介者だ期待されているのに何も応えられない恥ずかしい怖い怖い怖い。

そしてある朝の通勤の途中で、もう一歩も会社に足が向かなくなって、心療内科に入った。

新しい仕事についてから、半年も経っていない。

離婚してから細々とあったはずのサインを無視し、新たな仕事を始めたことでそのプレッシャーもかかり、急速に症状が進んだように思う。 

ジェットコースターに乗って、上へ上へのぼって、てっぺんでレールがぱっと消えたような感じだ。空中分解。

 

ドクターストップをかけてもらった。たった今から休職せよ、というお達しに、情けなさと恥ずかしさはあったと思う。でも感情が鈍麻していた。逃げたいという切羽詰まった感覚だけで、上司に医師に書いてもらった用紙を提出した。

何も言えなかったし、何も聞かれなかった。

ただただ鈍い気持ちだった。

これで逃げられる、とホッとした気持ちや泣きたい気持ちもあっただろうし、休みたい眠りたいという身体からの訴えもあったと思う。

でも実際は、感情もぶつけず、冷静に応対する自分がいた。いや、「普通通りに応対できている」と思っている自分が。

 

なにも感じられなかったというのではない。でも感情も感覚も、もやがかかったように遠くに感じた。自分のものではないみたい。

身体はものすごく重くて、足が上がらない感覚。靴を引きずりながら歩くような、そして数歩歩くだけでも息が切れる。

なにかを見ているようで見ていない。かすんでいる。聞いているようで聞いていない。水中にいるようだ。

その時の感情は覚えていない。混乱し、ただ鈍かった。

 

ただ、「うつ状態」という「病名」がついたことで、荷を下ろせた。 病気のはじまりだとしても。

 

うつ症状への直接のきっかけとなったのは、

慢性的な睡眠不足と、栄養不足。

過度な緊張状態。

これが半年くらい続いた上でのことだった。

 

ただそれはきっかけというだけのこと。根本原因は自分の身体と感情を無視し続けたことだ。離婚したときのつらい気持ちをなかったことにしたことが根っこにある。

私は私を隠し、要らないものとして扱った。表面上だけで生きていたし、それでなんとかなると思っていた。どんな感情や考えを持っていても「私」なのに、見たくないところは押しやって、キレイな部分だけで生きていこうとした。

うつという症状が出たことで、強制的に立ち止まらないとならなくなった。一歩先も見えない、不安の暗闇の中に入ってしまったように思ったけど、

けれどこれは、「ないもの」として見ないようにした私と、表面上生きている私とを、ひとりの私自身に戻すために必要なことだったんだと今では思う。

 

うつというのは、病名ではあるけど、症状のことでもあると思う。名がつくことで明らかにはなるけれど、身体と心の状態はしばらく前からそうだったはずだ。

だから、どこからが病気なんだろう、と現在の私は、先日病気が見つかったことで不思議に思った。

病名が判明することで、新しいスタート地点に立った、ということか。今度は治療という地点に。

 

書いてみたら長くなってしまった。だけど順を追って書いてみたら、あちこちにサインが出ていたことがわかった。自分が自分ではない、どうしようもない、という感覚は、今もうっすら覚えている。

 

無題

今日くらいは

大切な人に寄り添うように

私にやさしくしてあげよう

 

つらさも

苦しさも

そのままにしてていいから

息がゆっくりできるように

そばについていてあげよう

 

よろこびや

うれしさには

よかったね、って一緒に

笑ってあげよう

 

不安定で

いつも大きく揺れる感情も

今日くらいは

それでよかったんだよ、と

言ってあげよう

善い言葉に触れたい

私は私に話すようにブログを書いている。

今思っていることを、自分に言い聞かせるように。

誰のためでもない、自分のために書いているんだな。

 

私もどなたかのブログを読んで、それが個人的なつぶやきであっても、共感したり感動したりする。

文章の良し悪しなどはわからない。素敵な言葉が連なってなくてもいい。ただ、私の心のどこかに触れる言葉や文章の表現だったら読み進めるだけだ。

書いてあることが本当か嘘かはわからないし、どちらでもいいんだと思う。

 

ただただ、人の、心の柔らかい部分から出てきた言葉を読みたいと思う。

言葉の優しさや力強さを感じたい。そして、人を騙したり扇動したりおとしめたりするものではなくて、善い方向へ使われる言葉に触れたい、と強く思う。

それらを見分ける力を持った自分になりたいし、そうなるように努めるのが、私の目指す方向のひとつだ。

どこへ行きたい?誰に会いたい?

どこへ行きたい?

誰に会いたい?

 

どこか行きたいところ、あるかな?

見てみたいところ、感じてみたいところ。

 

今、会いたい人いるかな?

会っておきたい人、直接話したい人。

 

浮かばない。でもこれは「ない」ということではなくて、

行ってもいいし、行かなくてもいい。

行けたら楽しいだろうけど、行かなくても楽しい。

会いたい人は、いるけど、いない。友人や知り合いや先輩、会えたら嬉しいけれど、会えなくても不足感はない。

 

実際になにかをしてもしなくても、今の私はここにある。

不動でもあり、流動でもある。

気持ちは揺れ動き、身体も変化し、変わっていくものだけれど、私は私として変わらないものでもある。

 

どこへ行っても、誰と会っても、私は私でしかない。私に戻る、といえばいいのか。

どこかへ行って、誰かと会って、その刺激や感動で、私のなにかが揺れ動き、ざわめくことはあるけれど、

そういった刺激を受け止め、受け入れるかどうか決めるのは私で、なにかに影響されたとしても、私は私である。ほかの誰かになることはない。

そう思うと、私は、今の私自身とおしゃべりするだけで充足しているように感じる。

 

私は私のことを知っているようで知らない。

知らないからといって、ほかの人間関係で関係性を作ろうと焦ったり、人の顔色を伺ったり、気を回したり、できなくて空回りしたり、そういうこと、しなくていい。自分相手だから。

だからって、今の私が「閉じている」とは思えない。開いてもいないかもしれないが、ただ静かに、自分を感じている。

 

どこかへ行きたい、とよく思うのだけど、行かなくてもじゅうぶんに足りているんだな。

焦りの気持ちでそう思ってしまったんだ。場所や、人や、もので、深いところまでには届かない。外側のもので、私は満たされることはない。

なにをしても、私は私だ。

どこからが病気なんだろう

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※画像はお借りしました

 

病いが見つかった。

今の今まで持っていたものでも、明らかになると「病気」になるのが不思議で、

明らかになることですぐに、じかに、しっかと向き合わないといけなくなることが焦りになる。

「病人」の私と、まわりにいる人との違いってなんだろう?

 

今すぐ命に関わる病いではないけど、不調の原因になっているものもあって、手術することになった。

まだなにも決まっていないが、ひとつずつクリアしていかなくちゃならない。

今は手術は3ヶ月先というのはザラだそうで、知ったからには早く、と焦るのは自分だけであり、世の中にはそれだけ待っている方がいるということだろう。

気がはやることと、足踏みしてしまうことは矛盾しないのか、気持ちは今まさに逡巡している。

だから、数ヶ月先になることは、気持ちを落ち着かせる期間だと思うと、それだけ冷静になれる時間があってホッとしている。

 

どうして病気になったんだろう、ということは考えない。これから考えてしまうかもしれないけど。

それより、自分はようやく健康になれた、と思っていたから、そんな自分がバカみたい、というか、恥ずかしい感じ。

見つかってなかったら今も健康だって思ってただろう。

 

今のところは不調はあるものの、痛みや苦しさはないのがまだ救いだ。

それに、時間はまだ与えられているので、不安のひとつひとつ、恐怖のひとつひとつ、疑問のひとつひとつを、少しずつ解消していけるかもしれない。

 

病気になったとたん、病いというのはごく個人的なものなんだとわかる。

だれにも代わってもらえないし、自分が受け止めて見つめないとならない。病気に臨むのは自分の仕事だ。

医師の診断や指示を聞くことと、自分の望むことを伝えることをあわせてしていかないとならない。

つい、もうだれか決めてほしい、と思う。自分でぜんぶ決めるのは面倒だと思う。だけど、していかなくちゃならないね。

自分の胆力を試されてるような気がする。怖い。

泣くこと

 

冬くらいまで、勝手に泣けることがあった。

胸がぐっとなってノドもギュッとつぶれたようになって溢れる涙と、パラパラ勝手に流れる涙とあって、どちらかというと勝手に流れるものが多い。わんわん泣くんじゃないんだ。

昔、化粧品(SK-II)のCMで桃井かおりさんが鏡に向かって「よし!泣くぞ」って言ってお風呂に入る、というようなシーンがあって、その時すごく共感したけど、同じ思いの女性は多かったと思う。

外(社会)へ一歩出たら、自分の身を守るのに精一杯で、攻撃、防御、息つく暇もない。自分の弱いところはおいそれと出せない、女性ならではの心情をうまくあらわしてるなぁととても感心したCMだった。あぁ、ここにもがんばってる女性がいる、一緒だ、と。

 

ものごころついてから自然と泣けなくなって、さらに働き始めてからはCMと同じように「よし泣くぞ!」と決意しないと泣けないし、明日が休みで目が腫れても気にならない時でないと、泣けなくなった。

今は歳を経て、自意識過剰さも収まり、人にどんなふうに見られても「ま、しゃーないか、こんな私だし」と、諦め半分開き直り半分で気にしないようになってきたけれど、

今度は「泣く」ということを忘れたか、感性が鈍くなったかで、泣かなくなっていった。

さいころって、手放しで泣いていたかな?

奔放な妹の、甘えるように泣き、機嫌が悪いと泣き、思い通りにならないと泣く姿をうらやましく思っていたくらいだから、あまり親の前では泣かなかったと思う。泣くことは恥ずかしいと思って、こらえていたことは覚えている。

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最近の涙は「こわい」「悲しい」といった感情が湧いて、たったひとりでうずくまるような気持ちになって、そして泣いたからといってスッキリもしなくて「また泣いてしまった…」と余計に落ち込む。

自分の世界に入り込んで、脳内で作った「人の目」それから「自分の目」を気にして怖がっている。

自分が自分の味方ではないんだ。責める対象なんだ。

 

そうした状態が冬くらいまでで、今はまた泣けない。

感情が鈍麻したような、怖がっている自分が奥の方へ隠れて震えているような、そういった感覚がある。

泣けたら少しは楽になるだろうに、と思うけれど。

 

次は“赤しそジュース”!

梅シロップを作ることができたのに気をよくして、次は赤しそのジュースに挑戦!

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自然にこんな色が出ることが不思議だ。

できあがりは、クエン酸を多めに入れてしまったようでだいぶ酸っぱかった。そのまま飲むには濃すぎる感じなので、水や炭酸水で割って、あと少し砂糖を入れたらさわやかなんじゃないか?!


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ヨーグルトにかけたところ。

今回もクックパッド様にお世話になったが、クエン酸を入れた時にさぁーっと色が鮮やかに変化するのが楽しかった。
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鍋やフライパンに入らないんじゃないかというくらいワサワサした赤しそを煮出すと、しそ自体がどんどん緑色に変わる。
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しそをあげて…、
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わかりにくいんですが、黒っぽかったのが、クエン酸を入れたところ、濃い紫色へ!

全部で1リットルほどできました。

これから梅雨に入り暑くなる季節、身体の湿熱を追い払うために役立てます。

絞ったしそは、「ゆかり」にして食べよう!

 

こんなふうな“手仕事”が、自分でもできるとは思ってもみなかった。若いころはしようとも思わなかった。自分がなにかを作り出す、という概念がなかった。

今の自分は昔の自分よりも「楽しむ」内容が変化して、外へ求めることから内側へ入っていく時期になったのだと思う。

時間の使い方自体はそんなにうまくないし、自由なお金も若いころほど持っていないかもしれないけど、こころは今のほうがよっぽど豊かだ。

たいがいのものはお金で買えるのかもしれないが、そうした娯楽や刺激に対し、だんだんと興味が薄れてきた。アレ欲しいコレ欲しい、という気持ちがどんどんなくなっていく。モノはもうあまり要らない。

自分でやってみること、作ってみることって、面白いことなんだ。ようやく気づいてきた。

 

梅を漬けた

人生初・梅を砂糖に漬けた〜!梅シロップ完成まであと少し!

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簡単だった…なんで今までしなかったんだろうか。楽しみが待ってるって思うとこんなにわくわくするのに。

できたら炭酸水で割って飲むんだ。

夏バテ回復にぴったりだ。(まだ早い)

ヨガを始めて無事半年過ぎて、通うのに日々歩いてるため、できることなら徐々にでも夏バテしないような身体になっていてほしいけど、まだまだやっぱりしんどい時もあるだろうから、一歩ずついくんだ。積み重ねていくしかない。

身体がしんどいこと多いなぁと思うけど、そして身体がしんどいと心もつらくなるんだけど、小さいことでも楽しみがあると一息つける。

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梅は、いったん凍らせて(その方が失敗せずに漬けられます、と買った時についてたプリントに書いてあった)、氷砂糖とてんさい糖を混ぜた。

甘くて酸っぱい梅のシロップ、ほんとに出来上がりが楽しみだ。

優しさの配分を決める

私の中の優しさの総量はそんなに多くない。

無尽蔵に優しくできるならいいのだけれど、それほど人間できてないし体力も気力もないのが実状だ。

自分にとってどうでもいい人に、気を使い顔色を伺い愛想よくし、そういった「優しさ」を振りまいてたら、本当に大切な人に優しくしてないということに気づいた。笑いかけることもしていない。なんだこれは。

要らないものにエネルギーを使い果たし、集中すべきところに使う時にはもう残っていない。配分が悪い。

自分にとって意味を持たない人に使う暇があるなら、自分と自分の大切な人に使ったほうがよっぽどいい。

さ、方向転換するぞ。

みうらじゅん氏いいこと言う

www.cinra.net

みうら:何事も続けることが一番大事です。俺もいろんなジャンルに首を突っ込んできましたけど、それって「好き」であり続けるために重要なことなんです。

好きになるまでやり続けることも俺の基本スタイルですから。というのは、はじめから好きなものって飽きるのも早いでしょ。まず、自分から積極的に好きになるスタイルを貫くことも大切です。いま自作の「SINCE」のTシャツを着てますけど、大好きなわけじゃないですよ(笑)。「こんなの誰が着るんだ? 俺だ!」って思ってやってますから。

みうらじゅんが自らデザインした、「Since DYLAN」Tシャツ
―身も蓋もないですけど、たしかに(笑)。

みうら:でも続けていく内、ノイローゼみたいになってくるとね、そのものの面白さがようやく出てくるんです。一時期は「SINCE」が好きになりすぎて、ヒヤシンスの球根を育ててましたから。「SINCE(シンス)」つながりでね(笑)。ある種の暗示を自分にかけていくことで好きになっていくんです。

こわいもの見たさで長年動向を追い続けているみうらじゅん氏、いいこと言ってます。

続けることって、当たり前にできることだと思って生きてきて、でも実際はそうでもないの…? だってまわりを見ても、みんな当たり前のように仕事をし、家事をし、生活をしていること、これは継続だと言えるだろう、だからどの人も当然できることだと思ってきた。

そうでもないの? 続かないことも多いの…? 続けていても、やりきった、と思ったらやめるのはどうなの…?

「続ける」ということがよくわからなくなって、あいまいな感覚に陥っていたけど、みうらじゅん氏、この人が信念をもって続ける、をしているんだ。

 

好きだから続けること、好きでもないけど続けること、その「続けること」で見えることわかること、気づくことはたくさんある。

でもそれは、そつなくこなす、で続けていては見えないものだ。

もういやだいやだ苦しいできないかも、と思いつつ、ぐーっと入っていって、ある時パッと世界がひらけるようにわかることがある。

どうしても合わないなら続けたってつらいだけだからやめたらいい。だけど、そればかりだと自分が薄い上澄み部分だけの存在のように感じてしまうから、もう一歩踏んばって深いところへ入っていけたらいいな。

 

みうらじゅん氏は好きなものをいっぱい持っているんだろうな。

 

この記事とは別に、糸井重里氏との往復書簡ならぬ往復インタビューもおもしろかったです。

みうらじゅん 師匠・糸井重里氏からの破門で見えた道|エンタメ!|NIKKEI STYLE

みうらじゅん+糸井重里 もともとなかった仕事をやっていた。 - ほぼ日刊イトイ新聞

うつ状態だったころ

 

うつ状態だったころ。

今から14〜5年ほど前か。

まだうつとか休職とか傷病手当とか、そういったメンタル系の言葉がそれほど認知されてないころだった。心療内科も今見るほど多くなかった。スマホなんてまだなかったから、駅の看板とかで探さないとどこにあるのかわからなかった。

「一般的」とはまだ思われておらず、違う支社の人が休職したというウワサに周りがヒソヒソ、なんてちょっと偏見の目で見られていた。

でも自分がなってみて「これは流行るだろうなぁ」と強く感じた。

実際私が復職してからは、同じ会社のあちらこちらの人が、倒れたとか休職したとか聞き始めたし、徐々にメディアでも取り上げられるようになった。「一般的」になった。

 

自分が伏せっていた時は早くなんとかしたくてうつについての本を探したけど、たとえば「認知療法」の本なんて、専門書以外は1、2冊くらいしか売ってなかった。

なにかあればまずは本から当たる私には情報が少なすぎて不安で仕方なかった。もちろんネットの情報も薄いものだった。

 

いわば私は流行りを先取りしたわけだ。いやいやただ流行りに乗っかっただけ。

私が「もうダメだ、一歩も会社に足が向かない」と駆け込んだその辺の心療内科では、予約なしのクリニックだったけど待合いにはだれもいなかった。

その1~2年くらい後に、調子が悪くなったと感じて、違うクリニックに行った時、待合室には順番が来るのか不安になるくらいわんさか患者さんが待っていた(そこも予約制じゃなかった)。

急速に流行ったなぁ。。

実家に出戻っていた私は、いざ休職となった時に休める場所があって感謝したけれど、同時に居場所を取っていることに申し訳なく、自分の状態の説明も淡々と事実を述べるくらいしかできず、心情を話す気力もなく、ただ眠っていた。

父母はなにも言わなかったけれど、妹に「お姉ちゃんはうつじゃないよね」とすがるような目で言われた時は、「信じたくないんだろうな」と感じ、理解してもらえないと思い、なにも話せないとうっすらした寒々しい気持ちで心を閉ざした。

 

その頃の記憶はあんまりない。

私はよく眠る(過眠)方で、寝ても寝てもだるく、寝ても寝ても眠れた。

眠っていてもずっと神経は起きていたと思う。うつ用の薬を飲まなければ自分を責めるか「死にたい」という声が頭の中に常にあったから。

 

さいわい、会社の年配の先輩に知り合いの診療内科を紹介してもらい、産業医もついて、回復に向けて安心して休んだ。

いや、安心できるわけないわ。

だって仕事休んだら給料出ない。健康保険のなんじゃかんじゃがあってしばらくは給付された(傷病手当か)けど、たぶん数ヶ月経てばそれも無くなる。死活問題だ。こうして動けなくなったって税金は払わなければならない。病院代だって払っている。

弱り目に祟り目、泣きっ面に蜂。

人ひとり生きていくのってこんなに苦しいんだなぁとよく思った。休んではいけない社会。まるで死ねと言わんばかりだな、とつくづく思った。

 

そのころの記憶がない、と書いた。

だから、うつ状態だったころの話を書き留めておきたいのに思い出せない。

あのころ、私はなにを考えていたんだろう。身体の状態はどんなだっただろう。

薬を飲んでちょっと気力が持ち直し、焦り、元気になったつもり、という時もあった。

動けないし動かないから食欲もなくなり、なにかを食べても味がよくわからないこともあった。

食事することも楽しいと思えず、サプリメントだけで生きられたら楽でいいのに、と思うこともあった。

空を見て、こんな自分が生きているのが辛く苦しく淋しく、こころの中は荒れ狂う嵐なのに、表情には出ず身体もどんよりとして動けない状態だった。

あれはなんだったんだろう。身体の中ではなにが起こっていたんだろう。

 

この文章、たぶんまとまらないしまとめられない。

いつか整理して話せる時がくると思うけど、14〜5年経った今でも順序立てて話せないもんなんだな。

でもこうして残そうと思えたことは、私にとっていいことだと思う。

私が私を否定しなくなってきた、ということだと思うから。

また思い出したら書いてみよう。

 

 

私なりのバランス

朝、コーヒーを飲んでいて、飲み切る少し前に「あっもう要らないや」と飲むのをやめた。

すると旦那さんが「そういうのは大事やね」と言った。

「もう要らないと思った、その自分の(身体の)声を聞くのは大事」

 

ふだんなら、あと一口であれば残さず飲み切ることが多いけれど、その習慣よりも、そして「残しちゃダメ」「ふつう飲むでしょ」といった頭の声よりも、「もう要らないな」と自然に思ったことを優先した。

 

旦那さんは、「そういう直感のような、身体の声というのはとても小さいから、気づくのが難しい。

でも、ふと思った、ふと感じたことをないがしろにしてると、あとで「あぁ、あれがそうだったのか」とよく思う。

流してしまわずに、その小さな声に従うと後悔がない」とも言っていた。

食べるものでは、とにかく身体にいいから、と本当に食べたいかどうかもわからないまま摂っていたりする。

毎日の食事では、栄養的によさそうなもの、旬のもの、身体への不足過剰も考えつつ献立を考えたり料理をする。とても大切なことだと思う。それにいつもいつも好きなものだけ食べてはいられないと思うからそうしてるのだけど、どうしても頭で作った食事は「摂取」という感じだな。

だからといって、今の身体の不足過剰を把握しないままに好きだと思うものだけ食べてたら、それはそれで「ただ食べるのを許している」という感じになる。

どちらに偏っても、身体の声を聞いているとは言いがたい。

ふだんから身体からの小さな声を聞けているわけではないから、本当に必要なのか、本当に食べたいと思ってるのか、と問いかけても、答えはしっかりわからないことが多い。

身体の声を聞くには、せっかく気づいたこの小さな声をできるだけ毎回大切にして、少しずつ自分(の身体)を知っていくことなんだな。

でもまぁそんな難しく捉えなくても、おいしく食事できたらそれが身体にはよろこびとなって伝わるだろう。私というものは、頭と身体だけじゃないから。心もあるから。

この頭と身体と心が、私なりのバランスでいられたら、私は自分というものをもっとよく感じられるんだろうな、と思う。