ひとは思いこみでできている

思うこと 気づいたこと なんでも書く

おもしろくない私

いつも穏やかにいたい、と思ってたけど、どうやら違うみたい。

私は怒り(いかり)たいようだ。

我慢してることを見てないフリして蓋をして、ルールを守らない人や好き勝手してる人に怒りをつのらせる。

私はちゃんとしてるのに。ルールを守ってるのに。…なんて、自分でギッチリ縛ってる。

 

いつも穏やかでいたい、と思ってたけど、毎月の生理での体調の乱高下や、気候に振り回される日々。疲れるほど動いてないし眠ってもいるのに溜まる澱のようなもの。

どんよりする。もうしんどい、しか言葉に出てこない。

 

いつもなにかに興味を持って、してみたいことをしてみる、って憧れるけど、身体がついていかない。お金も潤沢にあるわけじゃないし。

すると、それを言い訳にして動かない私なんて無価値だ、なんのために生きているんだ、と気持ちがささくれ。

ふさぐ心。そうしてなににも興味を持てなくなってくる。そうして面倒くさい、が口癖になっている。

 

つまらない日々。つまらない人生。

どうにも気力が出ず、すぐに疲れ、休めば罪悪感。

頭の中では自分を責め、怒る自分が騒いでいる。

勝手に作っている人の目におびえ、手負いの犬のように攻撃的になり、いったい私はなにをしたくて生きているんだろう、と直す気力もなくただ思うだけ。

 

したいことなんかない。

ずっと眠っていたい。

面倒ごとも馬力のいることも、したい人がすればいい。

ごめん、できないわ。

 

こんな人間と付き合って、だれが得する?

自分でも持て余してるのに、自分でもこんな人いやだなと思ってるのに。

表面だけ笑顔でいたって、それはウソだと自分が騒ぐし断罪しようとする。

 

私を責めない私はいないのか。

 

そうやさぐれてた時に『フジモトマサルの仕事』を読んだ。

「人ごとと思えばむしろよい点も、その対象が自分に近すぎると冷静な判断力を失ってしまう。
これから先、心穏やかに生きたければ、なにごとも遠い視点から、のんびり俯瞰しなくてはいけない。焦るな、その傷もいつかまた味になるのだ、と。」

 

対象は自分自身だから、近すぎて近すぎて離れられない、と思ってたんだろうな。

でも本当にそうかな?

私は私に近づき過ぎなくていいのかもしれない。

いつまでも自分べったりでいてはいけないな、と思った。

ただ私は、私自身やだれかにかまってほしくて、不機嫌に当たり散らしてただけだったのかな。

自分のことだけにかまけて暇つぶししてる。ほんとに暇なんだな。

なーんだ、やっぱりおもしろくない人間だな。おもしろくあろうとしてできないから拗ねてんだ。

 

それはもうしかたない。

今はもうしかたないこと。

ちょっと置いときましょう。