ひとは思いこみでできている

思うこと 気づいたこと なんでも書く

ヒマなんだな、アタマは。

身体も休めてて、ごはんもおいしくいただいて、時間に余裕もあって、なにも考えることなく、気持ちもとっても安定してた時、

ザワザワッと、モヤモヤっと、不安のタネみたいなものが湧いて出た。

 

あ〜コレは、わざわざ不安を探して、掘っくり返して、なんでもいいから不安の元を見つけようとしてるんだな!!わざわざ!

あ〜、ヒマなんだな、私。わざわざこんなことして。

 

平和で、満ち足りていて、できることはして、いやなことはしない。身体も楽だし、詰め込もうとする食欲も収まっていて食べることで満たそうとする衝動も出ていない。

なのに、そんなではいかん!と、なにかを必死でさせようとするアタマが、わざわざ不安や焦りを持ち込もうとしてる。

この、アタマってのは休むのがきらいみたいで、次から次へ不安やら焦りやら怒りのタネを見つけてくる。

それで、一瞬ごともしくはその「議題」に飽きるまで、ブツブツと独り言を言って囚われまくる。

 

不安というのは、体力のある、根性のある、耐える強さを持つ、そんな人が持てるものだと思っている。

私は根性なしだし、耐えたいともみじんも思わない! だから、不安なんて持たない! 不安なんかに私の貴重な時間を明け渡してたまるかぁぁ! 今の自分ができることをするんだ! と強くはねのけた。

「不安のタネ」から離れることができた。今までにないことだ。いつもそううまくはいかないけれど、今日はできた。私にもできるんだ。

 

不安や焦り、罪悪感、深刻さ、視界の狭さ、ストレスといったものたちは、ほとんどが体調のよくない時に出る。

まず体調が悪くなってきて、アタマはまだそれに気づいていなくて、気合いなどでなんとかなる、と思ってる。

しんどいな、と思った時にはもう身体も心も重症化してる。

だから、疲れる前に休め、と言われるんだね。

そのあたりのさじ加減は、どうやったらわかるんだろう? いまだに失敗ばかりだけど。

 

今日はたまたま、身体にも心にも余裕や隙間があって、風通しがよかったから気づけただけかもしれない。でもたまたまであってもできたんだ。

できたことひとつ。私にはけっこうな進歩だ。こうやって、不安のタネを育てない練習をするんだ。

ヒマなアタマには付き合わない。