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無気力・無関心・無感動

無気力・無関心・無感動

1980年代の若者を表す言葉として流行った「三無主義」ってこれだったかな?と検索してみると、違った。

無気力・無関心・無責任、だった。

のちに、この三つに無感動・無作法を足して五無主義などとも言われたとネットに出てきた。

 

1980年代の私は小学生〜高校生で、三無主義の年代ではないのだが、まぁこんな心持ちになることはあるよ。

 

あれをしなきゃ、これをしないと、と追われるように生き、でもそれをしなくてもどうってことなかった、ということに後で気がつき、燃え尽き症候群のように途方に暮れるんだ。

 

今日も、世の中の不安、不満をわざわざ自分から見に行っては勝手に眉をひそめ、気分も機嫌も悪くし、では見なければよいのに手元が落ち着かなくて数分も置かずに覗きに行く。

自分で不安を煽っているんだね。

 

ふとして「疲れた」という言葉しか出てこなくなって、ぬけがらみたいに横になった。

三無主義の権化みたいになった。

 

しばらく経って起き上がったら、ちょっと楽になっていた。

それからルールやルーティンに縛られ勝手に苦しくなっていることも腑に落ちたので、自分に課したルールやルーティンを破ってやっとこさ少し地に足がついたような気持ちになっている。

 

気持ちよく、気分よく過ごそう、ということでさえ、ルールやこうすべき、というガチガチの思考が入り込んでくる。

自由にするってむずかしいもんだね。やれやれ疲れました。