身体と心のつながり(“胃”編)
こんにちは。
ここのところずっと気持ちが晴れない状態が続いていたんです。
脳が酸欠みたいになって生あくびばかり、猫背になっていて、消化不良で胃腸も重い。足先も冷えている。身体全体の動きが鈍い。
これじゃあかんと焦って余計な動きをした結果、空回りして雑になる。
気持ちも空回りになるし、元気が足りないから「どーせ」思考になる。
知らず知らず息が浅く、まるで息をしてないんじゃないか、くらいに浅くなっています。なんか、自分を雑に扱っている…。
それで、自分の舌を鏡で見てみました。
舌全体の色は紅色。舌苔(ぜったい)が、白苔・薄苔だったのに加えて、真ん中あたりが剥苔になってるーーー。
(剥苔…ところどころ剥がれたように地図状になっている。そして舌の真ん中あたりは「胃」を示します)
私の舌には元々歯根・裂紋もあり、それも合わせてすべてが「虚証」「胃の気虚と陰虚」を示しています。(色が紅なのは、胃の熱が強くなっている状態。正常は淡い赤色です)
「虚証」とは、「足りていない」状態をいいます。
胃の消化機能が落ちており、食後だるく眠くなる。急いで食べてしまいあまり噛んでいない。食べ過ぎることもあり、胃を休めていない。…といった状態が長く続いている。消化をコントロールしているのが「気」で、その機能が落ちているので消化吸収できず、栄養や水分である「陰(血・水)」も足りなくなっている。
胃を大切にしていない!
ほんとに身体は嘘をつきません…。自分の舌を毎日見ているわけではないですが、サインを出してくれてるんだ、と実感しました。
思い悩み、ため息をついてしまうのにも、「胃の動きが悪くなってずーんと重い」という身体の理由があったんですね。
状態はわかった。では対処は? …これについては、まだまだ知識もあやふやで、これがいいかな、あれもいいかな、こちらからのアプローチはどうなるの?と一人で会議する感じです。知識を知恵にしていくには、経験を積むしかないんだなぁ…。
それでもその後たっぷり眠って(眠れて)、少しは頭がすっきりしました。ちょっとは気持ちが起き上がってきました。
そうか、私は自分で人体実験中なんだな。そう思ったら、くよくよ悩むのも、眠れないのも、食べたくないのも、自分が身体に気づくために起こっているんだ。身体はつらいと嘆いているけど、今は起こってからしか対処できないけど、きっといつか、起こらないように予防していけたらな…!
好きなものを感じるちから
こんにちは。
自分にとって大好きな、大切なものは何があるかな、と思い出していました。
コーヒー、ようかん、りんごにぶどうに梨、本、…
アレッ、もう出てこない…?!
ショックだ…、数日間か数週間うつうつしている間に、 好きなものを好き、と思う力が薄れている…。
心がスカスカしてる…。
なんか自然じゃなかったんですよ。
これはこうした方がいいらしいからとか、本に書いてあったから、やってみようと思って取り入れたけど、ガソリン切れになったみたいに動けなくなったんですよ。
持ち前の「やってみよう精神」で動けば、わくわくと楽しくできるかと思ったのに、やってみようだけではあかんかった。やらなきゃ、という理屈や理論で動こうとして、動けなくなってしまった。そこからはもう頭だけが空回りして、やっぱりできないんだ、ほらすぐめんどくさがる、と責める責める…。自分で責めて自分で拗ねる。もうなーんにもしたくない。ああぁ、めんどくせぇ。なんて世話ないな。
もし友だちがこんな状態だったら、すごくつらい。なんにもしてあげられないけど、自分に丁寧に、自分に優しくして、自分のペースで落ち着いたらいいな、と願うばかり。その目線を自分にも向けられたら…!
力を入れずに、好きなものを好きと感じ取れるように。 自然に、笑えるように。 今はちょっと力が出ないけれど。
お日さんの光って大事やなぁ〜!
こんにちは。
やっとこさ晴れてくれました☀️
曇ったり雨だったりが続くと、沈んだ気持ちになりますよね〜。頭もスッキリせずお腹の消化もうまくいかない感じでした。
うつうつとして、よどんで、とどこおって、溜まった感があったのが、ピカーッとお日さんが出て青空になっただけで、雲散霧消! スカーッと晴れて、風が渡って、清々しく気分がよい!
私のもやもやした悩みらしきモノなんてこんなもん。お天気のちからにはかないません。
お日さん偉大!
こんな日だ
こんにちは。
雨ザーザー。台風が近づいている。強い雨で暗い空。肌寒い。
オカメインコは「空が暗いよ!いつもの青空じゃない!」と大騒ぎして、不満を訴える。ちょっとだけふきげん。
人によかれと思ってしたことが不興を買う。今日の占いもトラブルあり、とのこと。ふてくされる。(占いは当たってたけど)
昨日は書いたブログをアップしたとたん、消えた。どこにもない。原因不明のままモヤモヤする。
低気圧のためか、身体もシャキッとしない。ここ数日いくつか集中して思い巡らすことが多かった。だから他のことがうわの空。
ぐっと我慢の日。思ったことは溜めないで口にするけど、「できてることもある!」ってことを支えにする。ひとつだけでもいいことがあったら、それでよしとしよう。
さ、コーヒーを淹れよう!
紳士服店でのできごと
こんにちは。
先日、主人のスラックスを買いに行きました。紳士服の量販店です(はるやまとかあおやまとかあおきとか自分がどこで買ったかわからなくなります笑)。
そこで応対してくれたのは女性店員さんだったのですが、あ〜対応マニュアルがあるんだろうなぁと思うことがありました。
紳士服店に来るお客さんって、だいたい本人が一人でか、ご夫婦なんじゃないでしょうか。ご本人だけなら店員さんと一対一で選んでいけばいいですね。でもご夫婦の場合は?
両親や、同じくお客さんで夫婦らしき人を見ていて感じるのは「財布を握っているのは奥様」なのかな、ということ。
そして、「旦那様の洋服を選ぶのも奥様」というご夫婦も多いんだろう、と想像します。(奥様に言われるままに服を着ている旦那様のちょっとぼーっとした姿が思い浮かびます)
だから、紳士服店では奥様がだんぜん主導権を握って動く。アンタこれ着てみて。こっちもいいかな、あっちもいいよね。奥様強い。奥様一番。奥様神様。
だもんで、女性店員さんの出る幕なし。というか、出てはいけないのではないか、と思ったのです。決して奥様と同じ土俵に上がってはいけないのです。
男性店員さんの場合なら、その線引きはもうちょっとゆるやかかもしれません。でも「女性」の店員さんは、妙なライバル意識を奥様に持ってもらってはいけないのです。紳士服を買ってもらうという目的を達成するためには、いかに財布の神様に機嫌よくいていただくか、が勝負なのです。
私たち夫婦も、一般的夫婦への対応マニュアルにのっとり、応対されました。
見事に女性店員さん、寄ってこない。そばにはいてくれてますが、私が商品を探す間、近くに来ない、話しかけない、探してるふりしてるけど、声をかけたら対応してくれるけど、待ってても来ない。でも視線だけ感じる。
うちは、財布は主人が握ってます。商品は一応私が選びますが、着るのは主人だし、好きにしてもらってます。紳士服はわからないことが多いので、できたら店員さんの助けを借りて相談しながら決めたい、もしくは私抜きでもいい、と思っているんです。
うわー、ミスマッチだ〜!すんごい違和感でした。
それでもなんとか無事に選び終え、会計の際。金額などを言いながら私の顔を何度もうかがう女性店員さん。あいまいな笑みを浮かべる私。あ〜、世間一般的な夫婦じゃなくてごめんねー!もう居心地悪くて早く帰りたかったです(笑)
わかってくださる方、いるかなぁ?
本屋に泊まる
こんにちは。
この間、「ジュンク堂に泊まる」っていうイベント企画があったのです。東京・池袋のジュンク堂がそんな募集をしたのです。そのニュースを見た時、「うわぁ〜うらやましい〜」と目玉と心臓が飛び出るような思いでした。
「本屋に泊まる」なんて!そんなことが実現するなんて!夢のようだ!すてき!すごすぎる!(鼻息荒いですが、応募してません)
まさに夢のようなこと。
E.L.カニグズバーグの児童文学『クローディアの秘密』を思い出しました。そして、高野文子の『ラッキー嬢ちゃんのあたらしい仕事』という漫画作品も。
『クローディアの秘密』では、家出したクローディアが向かった先はなんと「メトロポリタン美術館」!
『ラッキー嬢ちゃんのあたらしい仕事』での舞台は「デパート」。夜のデパートで縦横無尽にスパイと戦う冒険活劇です。
***
お客さんが誰もいなくなった本屋さんで夜を過ごす。
閉館して薄暗い美術館で、世界中の絵や彫刻を誰に遠慮することなく眺める。
夜のデパートの中も、あちこちに着てみたい服や靴、アクセサリーや、はたまたベッドやソファ、そしていろいろな産地からやってきたたくさんの野菜やお肉、お酒、スイーツ!
どれもこれも、魅力的です。まったく眠れませんね。いや、眠ってられませんね!
ドキドキ、ワクワク、キラキラした、誰も知らない秘密の世界にいる感覚。
もちろんこのワクワク感は、誰もいない、というのがポイントですよね。普段たくさんの人が行き交う場所が、閉まるとシーンと静かな暗い空間に変わる。聞こえるのは警備員のコツコツという靴音くらい。自分の息もひそやかに、夜の静けさに合わせている感じ。なにかが起こりそうな、胸が高鳴るイメージ。もう想像するだけで楽しくなります。
本屋さん、美術館、デパート。どれか選べるなら、やっぱり本屋さんかなぁ。(しかもジュンク堂ですし)
***
ジュンク堂に泊まった方は、どんな心持ちだったかなぁ。たくさん読めたかなぁ。
読みたい本があんなにあるのに、でも時間は有限で、一晩で全部読むことなんてとうていできやしない。
だから、本を思う存分読めるという自由をもらった、それだけで満足なような気がします。
ちなみにジュンク堂さんの今回の募集は「寝袋付き」だったんです。心憎い演出ですね。
四字熟語・ことわざ・故事成語
こんにちは。
四字熟語、ことわざ、故事成語、といった類が好きです。いわゆる「紋切り型」な表現とか、決まり切った文句とか。
類語も好きで、ひとつのことを表すのに、もっと違う言い方や表現ができないものかと探します。
“ 気ぃつけや あんたのことやで そのバッグ ”のような俳句調の標語(?)も、出くわすと必ず声に出して読んでしまいます。もちろん会話の中にも出てきます。といいますか、ぼんぼん使いたくなります。
別に、昔の人はうまいこと言った!とかを示したいわけじゃないんです。話してる内容や状況が、その表現にバチーッとはまった時にスカッとします。
その爽快感を味わうためにわざわざ故事成語の中から表現を探してしまいます。感じたことを、すぐその場で自分の言葉で表現することが苦手なので、パッと出てこない言葉をうんうん考えるよりも、すでに言い当てている言葉を探す方が楽だからかな?
ひとりで考えごとをしている時も、「これは“ 下手な考え休むに似たり ”だな」とか探して当てはめたりします。
最近その傾向があることに気がついて、あ〜調子のいい時はリラックスしてて、自分の中から湧き上がってくるんだな〜とわかるようになりました。逆に調子が良くない時はぜんぜん出てこないので、自分の状態をはかる目安になってます(笑)
決まり切った表現として、“ 布団がふっとんだ ”的なものも好きです。だから、ダジャレやおやじギャグっぽいものも、拒否反応なく割合ちゃんと聞けます。下手くそだったら冷ややかに流しますが、うまかったらうまい!って言います(笑)
ということで、私の今欲しいものは“ ことわざ辞典 ”です。
パセリみたいな存在
こんにちは。
みなさんにとってパセリってどんな存在ですか?
以前は、外食すればハンバーグやサラダの端っこに、当たり前のように(でもちょろっとだけ)パセリはのってましたね。刺身の大根や菊花のような“ 飾り ”の存在でしょうか。でも最近はパセリがのってることも少なくなった気がします。
小さい頃は食べていいのか飾りなのかわからなかったです。大きくなってからは、新鮮なのかどうかよくわからないクシャクシャした姿だし、洗ってないんじゃないか使い回しされてんじゃないか、などと周りと言い合って食べなかったです。
でもある時パセリはおいしいと気づきました。苦くて、噛みしめるとギュッとしてカサカサ、歯にはさまる感じもする。でも緑を食べてる、って気がします。今ではパセリ大好きです(^^)
旦那さんがプランターで育ててくれようとしましたが、種からはなかなか芽が出なくて、出てもちまっとしか育たず…残念ながら収穫できませんでした。
***
パセリって、目立たなくて、いてもいなくても大差なくて、食べてもらえずに最後に残されたりしますけど、でも栄養豊富で、こんな風に好いてる人もいる。そういう存在、なりたくてなれるわけではないけれど、いいかもしれないなぁと思います。
分をわきまえて自分のすることを淡々としている。
栄養もたっぷり詰まってるけど特に自分からアピールしない感じ(濃い緑色で醸し出してるけど)。
少なくても、魅力を理解してくれる人はいる。
まぁ、あれってまずいよねーって言う人もいるかもしれないけど。でも私は好きです。
*画像はお借りしました。
成熟を目指そう
こんにちは。
ついこの前、旦那さんから私のクセを指摘されました。自分でも自覚していることではありましたが言われるとやっぱり面白くありません。
とはいえ、違和感を感じていることをわざわざ言ってくれるのはありがたいことだってあとで納得したので、ちょっとずつでも転換していこう、と思っています。
いずれにせよ、転換したい姿は自分でしか決められない。自分のなりたいようになってみて、だめだったらまた変えたらいい。 まずそうなってみるというのが難しいけれど。
大きな目標は “ 成熟 ” だ。
具体的にどんな姿かなんてさっぱりわからないけど(ははは!)、野望を持ってもいいかと思う。
“ 成熟 ” なんて生きてるうちに叶うだろうか、と自問すると、ため息ついて遠くを見やりたいような気分になりますが、それでも目指すなら自分のなってみたい姿がいい。
人のよいところ、見習いたいところ、素晴らしいところ、いろんな人の素敵なところを真似ながら、作っていったらいいかなと思う。
小麦粉の思わぬ効用
こんにちは。
少し前に、お菓子作りにはまったことがありました。
『たかこさんのバターを使わない粉ものお菓子』(稲田 多佳子 氏 / マイナビ)
洋菓子なんてついぞ作ったことなかったんですが、バターを使わないレシピの本を買って試してみたら、おいしい! たくさん食べられる!おトク!たくさん食べられる!
バターは高いし、クッキーさえ作ったことのない私はどう扱ったらいいやらわからなかったので、好きなオイルを使うという方法は、心のハードルがぐーんと下がりました。
マフィンやクッキー、ケーキ、スコーン、いろいろ載ってます。(一部しか作ってないですが。)
どれもシンプルでおいしいです。どハマりしてた時は月に3回くらい作ってたもんです。
それで本題です。台所の排水口を洗った時に「あれ?そんなにぬめってないな?」と気づいたんです。主人が洗ってくれたんかな?
さっそく主人に言ってみたら、小麦粉などの「粉」類が、ぬめりの元なんかをくっつけて流れていってくれたようで、ぬるぬるサラバ!こんな効果があったのか!と驚きでした。
パン屋さんとかケーキ屋さん、お好み焼き屋さんなんか、排水口ピカピカなのかもしれないですね。
植物にかわいいってヘンかな?
こんにちは。
先日のこと、あるお店で席についたらちょうど横に大きな観葉植物がありました。私は植物に詳しくないので名前がわからないのですが、オジギソウみたいな葉のついた木です。
*画像はお借りしました。
調べてみますと、ネムノキの種類で「エバーフレッシュ」というそうですね。
オジギソウに似てるな〜、葉っぱ閉じるかな?と触ってたら、「夜になると葉を閉じるんですよ」とお店の方が教えてくれました。
わ〜、夜になると葉っぱがみんなおやすみするって?!おもしろいな〜と楽しくなって、思わず「かわいい」と言ったら、お店の方に驚かれました。おっとっと、植物にかわいい、という形容はあまりしないかもしれんな失敬失敬、と慌てて「私もあなたと同じ普通の人ですよ仮面」を被りました(^-^;
(その話を主人にしたら、主人も「かわいい」と言っていましたので、お気楽似たもの夫婦ですが…)
***
この木の原種は「ネムノキ」、なんてよくぴったりの名前をつけましたよね(^^)
そして、オジギソウは別名「ネムリグサ」、そして「含羞草」と書くそうで、これもまたかわいらしい表現ですよね。幼気やいじらしさを感じますね。
う〜んやっぱりこの木、かわいいですね!
寿司屋を寿司屋で制す
こんにちは。今日は晴れ!気持ちいい青空です(^^)
先日、回転寿司のKpp寿司に行きました。Kpp寿司さんは悪くないんですが、座った席の向かいに大学生くらいの男子3人がいて、このうち1人が口も覆わず大きな咳をゲッホゲッホと連発します。そして大声でしゃべる。いかにも自分本位なバカっぽい行為。というか、ほんまドタマかち割ったろか、くらいのアホ(に見える)お子さんでした。
そんなところで食べてる寿司がうまかろうはずもなく。
早々に切り上げましたが、たいして腹は立たなかったものの気分が悪く、というよりそんな空気を吸ったことへの吐き気がしそうな気持ちの悪さが勝り、このまま家に戻ったらゲンが悪いので、別の場所で口直しすることにしました。
はてどこにしようかと車で走っていると見えてきたHm寿司。ここは行ったことないんだった、じゃあ行ってみよう! そうして、寿司で寿司を制した感じになりました。さらに、こっちの方が断然おいしかった。
***
昨日は朝から晩までどんよりの曇り→雨、で、もう「景気悪そう〜」の一言でした。そんな時は「景気悪いな!」と跳ね返すような気分で口に出すと、ちょっとスカッとしてました。
その時、体調が悪かろうが気持ちが落ち込んでようが、「景気悪い」「気分悪い」と感じるものをわざわざ身のうちに入れることありません。気にせずスパーンと跳ね返しましょうね(^^)
冷えと血行
こんにちは。
秋めいてきましたね(^^)
今週は頭痛が起きなかったんです。大げさかもしれないですが、痛みがないってこんなに幸せなのか、と慄くくらいでした。
10月に入ってから、整骨院で患者さんたちに「温めて」と言う先生の声をどれだけ聞いたことか(笑)。急に冷えてくると、身体というよりは気持ちが追いつかなくて、意識がまだ向かないんですよね。
『冷え』、不調の原因はたくさんあるのでしょうが、今からの季節はやっぱり気をつけるポイントなんですね〜。
以前、“マトグロッソ”というサイトで読んだ漫画『精神科ナースになったわけ』(水谷緑 氏)で、衝撃を受けました。主人公と同じくらい衝撃を。
http://matogrosso.jp/seishin-midori/05.html
医師の「だいたい血行」という言葉、真をついている。
冷えると血行が悪くなる。もともと血流がよくないならなおさらで、血量も足りてないならさらになおさらで。
自分でも取り組みやすいのは「冷え対策」かな、と、腹巻き、カイロ、首もとを温める、厚めの靴下やレッグウォーマー、スリッパ履く、などなど、できる範囲でやってみて、それでも外側からだけのアプローチだし、やっぱり冷えてるかもなぁと感じています。
筋肉量が落ちて体温を作る力が弱まってる、でもそれは今すぐどうにかはできないので、せめてこれ以上冷えないように。
マッサージグッズや手で足や首、肩をさすったり、青竹踏みしながら肩甲骨を開く運動をしたり、お灸も回数を増やして、お風呂にもしっかり浸かって…。
あとは、目をあまり使い過ぎないように。目は「血」をたくさん使うので、血量が減ると、冷えと相まって血行も悪くなる。
日々のなかで、繰り返していくものなんですね。
ひとつひとつは小さい事柄でも、続けていって効果や結果が出るんだなぁと、やらなくていいかな、とついサボろうとしてしまう自分にハッとします。自分をよい状態にしてあげるためにやってるのにね。
身体のことをしていると、こつこつとしか進めない、だからこつこつとするしかない。すぐに結果は出ない。できる範囲でマイペースに続ける。しかないのでした。
HSPだらけだった
こんにちは。
ごく最近お付き合いを始めた方々、お知り合いになった方々がいます。
以前から知り合いだけど友人として話せるようになった方、会いたくて会いに行った方、集まりで偶然出会った方、などなどご縁を大切にしたい方々ばかりですが、ほぼ全員「HSP」でした。(驚き)
HSPのチェック項目に私は懐疑的なので、具体的にどれに当てはまったかなんて確かめてませんが、
人混み(サークルや会合などの複数人がそれぞれしゃべっている場合も)に行き、精気を吸い取られたか使い果たしたかで疲れ果てて帰ってぐったり、なんて、HSP以外の何者でもない気がします。
この近辺にどれだけの人口がいるのか知らないですが、見方を変えればHSPはだれでも当てはまるし、だれにも当てはまらない、ということを再認識しました。
思えば私の母も、病人のお見舞いに行って(何かがついてきたのか)帰って動けずぐったり寝込む、ということが何度かありました。
前の夫は音に敏感すぎて、快適な生活を求めて引っ越しばかりしていました。
今の旦那さんはHSPでありHSSでありエンパスです。
…といいますか、どんなチェック項目に当てはまろうと、その人の「個性」じゃん!と思います。
現に、HSPという概念を知らない方は仕方ないとして、知っているという方々が、「(HSP概念は)なんか違う」「それはそれでいい」、というスタンスなことにまた驚きました。私が聞かなければ、会話に出てくることもない。会話に出してもそれ以上広がらないし、「それで?」といった感じ。
悩まれたことがあるかどうかはわからないですが、現在は自然に受け入れている。…HSPを逃げ道としてないし、大げさに捉えていない。
ものすごく学びました。それぞれの人々のそれぞれの発言や受け答え、表情、知識、経験、そういったことから実地に見て聞いて感じて、学びました。
私の出会ったHSPさんは、母や前夫も入れますと、全部で15名ほどです。もし半分だとしても、私ひとりが1年間ほどで「初対面で」出会い話す人数としては多過ぎるくらいです。
ただ出会っただけなら50人ほどの方がいますが、それでも割合として多いのじゃないかなぁと感じます。
HSPだらけだ。
***
HSPを、自分を証明するための切符みたいに扱って、それに固執して、「私はこんなだから認めて!」と叫んでいた、その頃の自分は、今の自分を想像できなかった。
抜け出られて、心底よかった。自分のことを引き受ける覚悟を決めて、心底よかった。執着や、他人目線を手放せて、本当によかった。
私には、周りにこんなにたくさんの「お手本」「先輩」となる方がいる。上も下もわからずもがいてきて、ふと顔をあげたら予想もしなかったご褒美をもらえた感覚です。
***
少し前までは、HSPと名乗る人の中に以前の自分を見つけて嫌な気分になることもありました。HSPなの、苦しいの、かわいそうでしょう、だから仕方ないの、かまって!といった“HSPを免罪符にしている”声を聞き取ったように思えて。以前の自分を映していたんですね。
でももう、そんなかわいそうぶる私も私だし、それをスタートにしてもいいから、私は私のことをやっていこう。こんな風になりたい、と思える方たちをたくさん見つけたし、それを目指そうって決めたから。やっと本当にこだわりを捨てて、気にしないようになっていけそう。いや、なっていくと決める。私はこれからもっと自由になるよ〜!
今苦しい人たちも、それぞれのタイミングで羽ばたいていかれるといいなぁと思います。