ひとは思いこみでできている

思うこと 気づいたこと なんでも書く

緊迫感ある人

こんにちは。今日は本の話です。

 

河合隼雄氏について書かれた本です。

河合隼雄氏が書いた本は、すべてではないですが、見つけたら読む、忘れたら読む、を繰り返してきました。エッセイのような軽めの本でも、河合氏の書いたものならば未知の世界を見せてくれるという信頼で手に取ります。 

この本は、河合氏が書いたのではなく、河合氏と関わりのあった方々がそれぞれの視点や経験から書かれたものです。

河合氏は、ユング派心理学を日本で初めて広めた人で、箱庭療法や夢の分析を取り入れた人ですね。

河合氏自身の生涯についてはほとんど知りませんでしたが、国の機関に関わり多忙な時でも、そして亡くなる直前まで、ずっとクライアントを持つ臨床心理家として活動されていたと知り、驚きました。

f:id:piyosuketochocotoume:20170615204526j:image

『臨床家 河合隼雄岩波書店 2009/9/11(息子の俊雄氏が編集したものを図書館で見つけました。) 

大学教授や心理学に携わっている方々の話と、文学者や詩人、指揮者、企業会長など文化に携わる方々の話が載っています。

中でも、専門家として実際に心理学に関わる方々が「教育分析」という形で自分自身や、自分の抱える症例についての心理分析を受け、そこでの河合氏の姿や発言を書いているのですが、非常に緊迫感があります。

文体は論文調で硬いのに、内容は小説よりもすさまじく、ダイナミックだと感じます。人の、心(無意識)の中の動きはこれほど大きく激しいものか、と感じます。

 

河合氏は、あのほがらかな笑顔をネットの画像でも見ることができるけれど、実際にはとてもとても厳しく強い、暗部を見据えるような眼差しを持っているんだろう、と感じていたのですが、やはりそうだった。

素人考えですが、人の心に分け入るには、相当な覚悟がいりますよね。自分の心だってよくわからないものなのに、ましてや人の領域なんて。

だから河合氏がよく言ったとされる「わかりまへんな」は真理を突いてるなぁと思うのです。

心理療法家、カウンセラーという人は、ただその相手に覚悟を持って寄り添って、横に並んで一緒に進んで行くしかできないんだろうと思います。

講演の途中で絶句してぶわっと涙が溢れ言葉が出なくなった、駄洒落が好き、フルートを本格的に演奏する、などなど、心のありようの幅の広さが魅力的な方だなぁと感じます。

両極端、陰陽をみずから体現されているように感じます。

 

物語や、児童文学についてやさしい言葉で書かれたエッセイのような本もたくさん出ていますね。やさしい言葉だからって理解できるかどうかは別で、私は理解できてないなぁと思うのですが、人間の心の深淵を覗くような感覚で読むのが面白いです。

折にふれ、また読んでみよう。

最近の気づいたこと

こんにちは。いつもありがとうございます(^-^)

今日は、最近気づいたことについてです。

 

 ◇自分の範疇にないものでは勝負してない

夜、車に乗っていて、旦那さんが遠くを見やって「山の稜線に(何かの施設の)光が見えるね」みたいなことを言いました。

私は、ものすごく目が悪いです。視力(0.01くらい)だけでなく、軽い乱視、夜はひどく見えにくい鳥目、さらに老眼がやってきた?と最近感じる、目が悪い歴30年以上のおばさんです。(近視だから、老眼がやってきたら中間地点で逆によく見えるようになってくれへんかなぁと都合のいいことを願っています。)

------

たとえば眺めのよい場所に行き、遠くの方に何があって…、とか、街中で向こうの方にある標識とか説明されてもほとんど見えていません。

ですので、ほとんど聞いていません。よそ見しながらふーん、ってなもんです(失礼)。

そこで気づきました。「ラクだな」

そう、自分に備わっていない能力では、そもそも勝負してないんだということ。焦りも、嫉妬も、負けたという悔しさもないんだということ。逆に、いたわりといったものも求めていない。

私にとって視力は悪いのが当たり前でして、それがほしいとあがく対象でもなく、といってないからつらいと嘆くものでもない。

だって仕方ないですよね。この「仕方ない」は諦めの言葉ではなくて、「ないもんはないしね」とカラッとしたものです。

これが他のことにも及べば、力を抜いて生きていけるなぁって思ったんです。

◇創作ダンスの苦痛からの立ち直り

大げさなタイトルですね。古い話題なんですが、私は運動全般が苦手で、学生時代の体育は苦痛でした。

「創作ダンス」、やりますよね。あれも、リズム感はないし、頭と身体がバラバラでぎこちなくてガクガクしてました。

練習中、クラスメイトにも動きが変だと笑われました。自意識過剰な思春期の時期でしたから恥ずかしかった。でもまぁそれも仕方ない。他の子と比べれば一目瞭然でしたのでできてなかったのは仕方ない。ただ自分に、「運動ができないレッテル」を貼ったみたいです。

もともと運動(身体を動かすこと)が本当に嫌いなのか? 確かにボール競技やチームプレーなんてとても苦手です。 あんまり興味も湧かず、実家に暮らしていた時家族がバレーボールやら観て盛り上がってるのを見ても、ふーんってなもんです。

しかし先日、映画『SING』を観に行って、たくさんの音楽を浴びて、楽しい経験をしました。家でサントラを聴いていて、自然に身体が揺れました。もちろんダンスのようなステキな動きではないけれど、にこにこしながら揺れたり手振りをしたりして、楽しかったんです。

「あれっ、楽しい。身体を動かすのって楽しいんや」

またまた気づきました。私は、〇〇が苦手・できない→全部が苦手・できない、にしていた。自分で、封印した。できないし苦手だし恥ずかしいし笑われるしチームではみんなに迷惑かけるし……いっぱいいいわけが浮かびます。

でも運動の中の「ダンス、ボール競技、チームプレーのもの」といった一部ができてないだけで、運動ってほかにももっとありますよね。

なーんだぁ。また自分の思い込みかぁ。かちこちやなぁ。

苦手分野から得意分野にはなりませんし、興味が湧くようにもなりませんが、でも気づけてよかった。いろんなものいっぱいくっつけてるから、ひとつでもはずせればそれだけ軽くなれる。いつまでも古いもん背負ってんねんなぁ、私。

もうなくなったよ。また一歩、楽に近づけるね!よしよし!

 

自由だ!そしてあらためてのお礼

こんにちは。

 

このたびは、さっそくコメントをくださったり、ID登録してくださったり、とつながりを大切にされる方々に恵まれて、その優しさをわけていただいて、私は自分で思っているよりもはるかに幸福で、気づかないままで優しくされているんだなぁと感じています。あらためましてありがとうございます!

 

先日、近くの川の橋を渡っていて真ん中で止まり右・左を見たら、水の流れが両方に長くうねうねと伸びています。

その時に、「あぁ、このまま上流に向かい、山の中を分け入り源流まで深く入って行ってもいいし、

下流から大海に出て、広く様々なものを見聞きしに行ってもいいんだな、なんて自由なんだろう」と思いました。

空は青いし雲は白くて太陽が輝いていて、そこに私がひとりでいる。

自分で縛らないで、自分で狭めないで、自分で選んでいいんだな。さぁ、まずはどっちへ行こうか、やってみようか。楽しみです。

 

生きた声

こんにちは。

今日は本と歌の話です。

 

先日エレファントカシマシ宮本浩次さんの言葉たちを集めた『宮本語録集』を読みました。

 

生きた声だなぁと感じました。

文脈なく、言葉だけをポンと載せているので、意味を追ってしまうと理解不能です。しかしそれでも宮本さんの思考回路のかけらが感じられます。

 

テレビ出演などで、話を振られた時のあの独特の「間」。はじめの頃は、見ているこちらがヒヤヒヤするというか、息を詰めてしまいました。今は何が出てくるのかな?とわくわくします。

 

たぶん変えられないそのペース。

人柄のよさ、青年期そのままなところ、真面目で熱いところ、伝えたいという思い、などなど感じることができて、嬉しかった。

f:id:piyosuketochocotoume:20170615204253p:image

『宮本語録集』2冊

 

それから、なんせにわかファンですから「ROCKIN'ON JAPAN」(5月号)も買ったわけですよ(笑)

そこでもインタビューや宮本語録が載っていてその中にあった、

重いってどういうことですか? 演奏が重いとか。内容が重いとか。

だけどさ、真面目に生きればやっぱ重いですよ。

そういう意味での重いだったらわかる。真面目にやれば必ず重いですよ。

(1989年9月号/『浮世の夢』)

共感しました。

人間として、真面目に生きることのどこに恥じることがあるんだ、と感じました。こういうこと言ってる人だから、ファンになったんだろうと思います。

 

私は今年に入ってから、「変えていこう」と決心し、わからないままにいろいろと動いたり、わかった上で実行したり、と行動を重ねてきたのですが、その後押しをしてくれた歌手がふたりいます。

ひとりはKREVAさん、もうひとりが宮本さんです。

今までどんな歌を聴いても歌詞を読んでも一過性で、よほど昔からファンでないと心に残らずにきていましたが、このおふたりの歌詞については聞いた時から自分から全注意を向けて受け取ろうとしていました。

出会ったきっかけはそれぞれ偶然のようなものです。でもタイミングがバチッと合った、そんな感じなんだろうと思っています。

 

KREVAさんなら、「居場所」を聴き、次いで「かも」に心を動かされました。私の中に決意のようなものが湧きました。

「居場所」より

思い描け そこに目がけ

つもりだけじゃなくて動き出せ

無駄な事は無い それはウソだね

ただボーっと眺めるだけの時間を減らせ

(中略)

その手動かせ

黙ることはできないんだろう

壁を動かせ

守るだけじゃ増えない居場所

 

「かも」より

このままこうしていられるなら 他には何もいらない

そんな風に思えてしまったなら

終わりが近いのかも

あの時本気で挑んでいたら 今こんなとこに居ない

そんな話あなたのその口から

聞きたくないのかも

がーんとしました。KREVAさんの他の曲も、自分で決めて進め!という歌詞が多く、なにかのせいにしてやらない、言い訳してやらない、とただ日々を過ごし、「生きる」ことも借り物のようにしていた私は、横っ面を張られたような感覚でした。

そして、自分自身にこの歌詞を受け取るだけの度量があるのか、という恐れや震えみたいなものも感じつつ、とにかくやるんだ、と決意を固めました。

 

その後出会った宮本さんでは、「さあがんばろうぜ!」と「俺たちの明日」でも歌っているとおり、まっすぐ、ドーンと、輝きを求めて行こう、という強さ(それは優しさから出るものなのかなぁと思いますが)がありますね。けして「がんばれ」ではなく「がんばろう」というところが、「そうだね、私もがんばろう」と心和ませ、素直に思わせてくれます。

 

おふたりとも、なによりもまず自分だ、と感じさせてくれました。人のことなんてほっとけ。まず自分なんだ。

 

そう決意しても、人のことを気にしないでいることはなかなか難しく、自分自身の頭の中では絶えずいろんな声がしていてまさに喧喧囂囂。何人もの自分がやかましくしゃべっています。(人格がたくさんある、ということではなく、同じ自分があっちからもこっちからもああ言えばこう言う、という感じ。)も〜〜うるさいわ!となることも多いです。誰か決めてくれよ〜って。

そのうち、人の目なのか自分の目なのか混乱してわからなくなり、ひとりで消耗しています。よほど暇なんですね〜…、私。

 

以前のブログでも、誰の目を気にしていたのか、当たり障りのないことを書いて「いいね!」もらってホッ、なんてことしてましたけど、そんなもん、ほんまに欲しいの?自分の心が満足しないままするのって自分に小さい嘘ついてるやん、って思いました。誰のためにブログやってんだか。また出ましたよ、自分で勝手に作り上げた人の目。

 

…着地点が見えないまま長くなってしまいました。まとまりませんでしたが今回はこの辺で。。読んでくださってありがとうございます。

次の記事では、最近の気づいたこと!を書こうと思っています(^-^) 

 

お礼

こんにちは(^-^)

昨日は突然の申し出にも関わらず、私の意向をお聞き届けくださって、ありがとうございました!

ご連絡くださった方々、私には身に余るほどの光栄で、感謝でいっぱいです。

じわわ〜んと嬉しさを噛みしめています。みなさまの期待を裏切らないようにしなくちゃ…これまたこの気負いがあかんのやっちゅーに!

 

妙な高揚感、淋しさ、ちょっとした不安感、大したことしてないのに大それたことをしたような気分になっているな、とも感じていますが、それを超えて、清々しさや風通しのよさがあります。

 

今までの人生で、作っては壊す、を続けてきたかもしれません。

みなさんもそんな時もあるでしょうし、じっくりひとつのことを続けている方もいらっしゃるでしょう。

私は物事を続けられない、例えば一つの会社で何年もやっていけないことに引け目や劣等感を感じていました。(長くて5年くらいです)

続けることはやろうと思えばできるのです。新しい環境、新しい仕事や作業を覚える方がよっぽどつらいし、覚えも遅くてどんくさくビクビクしている自分がいやになるくらいです。

でも、ある程度すると、そこから出ていきたくなる。変えたくなる。

 

自分が心の底からはたして何を求めているのか・何が大切としているのかを見つめることをせず、アタマだけの考えで行動してきました。自分で作った価値観でがんじがらめです。

 

それが何でなのかわかったのはつい最近です。

そして今回は、自覚的に意識的に「枠を壊して飛び出る」をやってみました。

前回の場所は別にいていられない場所でもない、ぬるま湯的な居心地のよさもあり、楽でもありました。だから、ふっとした時にきゅうくつだと感じたのは私のとらえ違いかもしれません。

しかしやっちゃいました。そうこれこれ、こんな風にやってきたんだ私。

職場でいうと、3年くらいでモヤモヤとした不満なき不満を抱えて、仕事というより環境に慣れきった感じを持ち、「何も変わらないな~」とむずむずしてくる。

辞める頃には不満が爆発して、「続けなきゃ、でも続けたくない」とぐるぐる思考が始まり、不安を自分で煽りつつ、自分を責め環境を責め、体力も気持ちも使い果たしていました。「あぁ結局仕事を極めることもできなかった。自分でチャンスを潰したかもしれない」辞めてもそんな不満は残ったままです。勝手に傷ついたようになってました。いろんなことごちゃまぜにして、わけわかんなくなってました。

結局は自分で選んだのにね。

それを自覚してなかっただけなのにね。

 

現在は、今までのように、それまでの関係性までを壊す、とつっぱしるところはアカンよ、と自覚しています。我慢ができず待てしばし、ができないところが結構アカンよ、と。自覚したからといってできるわけではありませんが。人との関係性を壊すことは、自分を痛めることでもある。自分を大切にしていないことのひとつの表現である。「私なんて人から大事にされるわけない」といったような思い込みから、ならば先に切ってやる、という極端な思考へ走るのだろう、と認識しています。…いやいや、何を冷静に分析してるねん、ですよね(笑)

ももう自分にそうやってダメ出しして、勝手に落ち込んで勝手にふてくされて拗ねてなんてやめましたから! いやもうアカンところだらけの大したことのない人間ですから!それでも私なんですから。つきあうって決めたんですから。

 

いきなり長くなってしまいました。中途半端ではありますが、いったんここで終えます。少しずつ、自分を開示していこうと思っています。どうぞこれからもお付き合いのほどを…!

お読みくださって、ありがとうございます ^ ^

 

 私を見上げる眠そうなピヨスケ君

f:id:piyosuketochocotoume:20170616085404p:image

はじめましてはてなさん

こんにちは。

はじめまして、はてなブログさん(^-^) お引っ越ししてきました。

過去の記事もなんとかアップできているようでホッとひと安心。

惰性はやめて、書きたいことを書きたいように書いていきたいです。

楽しみながら、ちょっとずつバージョンアップしていこう。

 

実践中のつぶやき(歩く編)

こんにちは。

{45ADCD44-6002-433E-A1FE-3442B427A90A}

今回のお花も名前を忘れましたよ!
グリーンがとてもきれいですね〜。
まだがんばってくれている白いアナベルさんとぴったりな気がします。
 
コーヒーコーヒーコーヒー
 
ちょっと気持ちが落ちてるな、
と気づいたら、おそらく体調が変化してる時。
 
先日、さわやかな晴れの日、たくさん歩いた。
気分よく出発して、どんどん歩いて、思いがけない楽しみにも出逢えて、
帰り道もどんどん歩いていた……ら、
 
風がずっと強く吹いていて、それにさらされていたから寒くなってきた。
汗もかいたので冷えている。
なんだか目がぼんやりする、
足が痛くなってきた、もつれるようだ
……
気持ちだけ先走って前へ進んでないようなモヤッとした気分になってきた。
さっきまで機嫌がよかったのに、
だんだん気分が落ちてくる。なんで?
 
↓↓↓
 
疲れたんですよね。身体が。
 
ここで、いつもなら疲れて機嫌が悪くなっていく自分を「嫌だな」と思いつつ
放置してましたが、今回は違いますぞ。
 
身体が冷えたり痛みがあると、それに気を取られて気持ちに余裕がなくなる。

ということがわかったので、頭であーだこーだ勝手に理由をつける前に、
まず先にすることは、止まること。
落ち着く場所で休むこと。
冷えたと自覚していない身体を暖めること。
なんですよね!
私はぜんぜんそれに気づけていなかったー。

…みなさんには、自明の理ですよね…。お恥ずかしい。。

私はいっつも 
身体・心
だったんです。

コーヒー

根を詰めて考えている時、頭が働いている時、私は必ず呼吸が浅くなっています。
そして目や首、肩にちからが入っています。
歯を食いしばっている時もあります。

以前は、目・肩・首のコリがあればアリ○ミン飲めばいいや、と思ってたのです。
ずっとずっと以前なんて、食事だってサプリメントですめば楽なのになぁと思っていたのです。
アホですね、ホント。
完全にガチガチの頭万能主義になってるじゃないですか!

そういえば、お腹が空いているとだんだん機嫌が悪くなるんです。子供か。
これにも気づいていなくて、なんでなのかわからなくて、
しんどいな、ってただ気分が悪いまま放置していたんです。
血糖値が下がってる、とか体温が下がってる、とかいろいろあると思いますが、
身体の変化 →→ 心の変化、に直結してますよね。
なのに、結びついていなかったんです。おかしいですね。

コーヒー

頭もがんばってくれているけどさぁ、
身体の感覚を忘れちゃ、いずれ身体が悲鳴をあげるんだ。わかってくれーって。
頭だけじゃあ自分とは言えないんだ。

でも感じる感覚を忘れてしまっている。
感じたって無視してきたから、感じることに鈍くなっている。
頭だけでつっぱしって、身体と心を置いてきぼりにしてきた。

身体・心

こうなるように練習しています。
私にはたくさん練習が必要で、ひとつひとつ確認しながら実践中です。
 
落ち込んだり気分が沈む時は、
たいがいは身体の調子がよくない
そう思います。
 
コーヒー

家に着いて、水分を摂り、座って休みました。
目がしんどいな、と思ったのは、外での光のコントラストが強すぎて、
必死に目を慣らそうとしていたからだと感じ、室内ではカーテンをひきました。
身体も冷えていたので、夜はしっかりお風呂につかって温まりました。
ヒーターにもお世話になりました。
そして、よく歩いてくれた足にがんばったなぁ、と感謝しました。

疲れて機嫌が悪くなることで、一日が台無しになったと考えていた時もあったけれど、
歩いて楽しかった、風も感じることができた、空がきれいだった。
そんな風に、楽しかった思いはそのままにすることができました。

(前 略)
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
 
「自分の感受性くらい」茨木のり子

とっても有名な詩ですね。
最後の一部だけお借りしました。
このままを自分に言って聞かせよう。
自分のご機嫌くらい、自分で片付けよう。
 
コーヒーコーヒーコーヒー

歩みの遅い私の話を読んでくださって、いつもありがとうございます。

 

 

実践中のつぶやき

こんにちは〜。
 
少し前のボッサピヨスケです。
きゅうり大好きで、おいしいところから上手に食べますよ〜。
 
{2DC8902C-4D6F-4D41-8D67-AE3D92FCEEC6}

 
最近あらためて気づいたのですが、
人に言う言葉って、自分が言ってもらいたい言葉なんだな、ということ。
 
「大丈夫?」って言ってくる人がいたら、その人は自分が「大丈夫?」って言われたいんだな、ということ。
 
悪口のような、決して聞きたくないし言われたくないようなイヤな言葉だったとしても、
結局自分に向けている言葉だということ。
 
だって、そこが気になるから悪口になるわけで。
自分の問題を人に重ねて見ているだけで、人のこと言ってるんじゃないんですよね。自分に言ってる。自分を痛めつけている。
 
だから、心地よいと心底感じるような言葉
(それは耳に痛い言葉であることもあるかもしれない)を、
自分の目に入れるようにすること、
みずからに話しかける、ということ。
 
しんどい時に無理に元気出す必要なんてない。
といって、しんどいのを我慢することもない。
しんどい時は、「しんどいんやなぁ」って自分に言葉をかけて、労わること。大事だなぁと感じます。
 
大切だなぁと思う言葉をたくさん自分にかけてあげたい。
綺麗で、のびやかで、みずみずしく、暖かく、さわやかで、柔らかい。
 
うんと自分のことにかまけていれば、人のことは人のこと、
と距離を置けるような、
人の目を気にしなくなっていけるような気がします。
 
当たり前のような話でした。
いつもお付き合いいただいてありがとうございます♬

メガネにマスクにヘッドフォン


こんにちは〜

突然ですが、ふだん「耳」って意識してますか?

私はメガネをかけていて、ふだんから耳栓生活なので、耳は意識してるつもりでした。

でもふと考えたら、やっぱり他の箇所ほどは意識がいってないんだなぁと思います。
あんまり気にされてない、忘れられてる存在。
(そういや楳図さんの漫画で「耳」という短編がありましたなぁ。もの悲しいお話です。それはまた別のお話)

外出する時、メガネかけて、マスクして、イヤフォンまたはヘッドフォン…、って、どんだけ耳使ってるの?!
と、急に気がつきまして。

きのこ

私の耳は残念ながら(?)福耳ではないので、耳たぶがあまりないためにマスクの紐がきついと耳たぶも折れる、みたいになるんですよ。
だからどうだ、ってことではないですけども。こんだけ酷使しといて文句言うな、って感じですね。

関係ないですけど、「茸」ってくさかんむりに耳ですね。
やっぱり見た感じとか触感が似てるからでしょうか。
きくらげなんて「木耳」ですもんね。

そんな話より、上に書いてある、
耳栓生活ってどういうこと? って思われた方もいらっしゃるんではないでしょうか。
そう、耳栓生活なんですよ。
ふだん耳栓して生活しております。

突然の大きな音に驚かないようにつけています(ほぼ家の中でだけですが)。
耳は閉じることができないので、必要以上の刺激を受けて苦しくならないよう、心身の安心のためにつけています。

きのこ

耳栓をすることで、余計に物音に敏感になることもありましたし、今もあります。
気にすれば意識がそこへ集中するので余計に気になる、それはそうですよね。
だから、逆効果かな、と思うこともありましたが、今は音がしんどかったらつけるし大丈夫だったらはずす、とできるようになってきました。

ややこしいことに、耳栓は「自分を守るため」につけているのに、それに対して嫌悪感か罪悪感なんかも持ってました。
こんな弱っちろくてあかんわ!みたいに。
「自分を守る」なんて甘やかしてる、と思ってたんですね。

HSPと同じで、それにぶら下がったようになって、支配され振り回されていた時は、少しの音も気になって気になって仕方なかったけれど、
自分は感じてしまうんだ、と腹で認識してからは、自分で選ぶことができるようになりました。

ひと月で体調も大きく変化しますし、時期によってはちょっと耐えられないと思うこともありますが、
過敏さに従属していない感覚を得られるようになったのでよしとしています。

それに今は、音がするという現象があった時に、
・自分がどう反応してるのか
・どんな感情を持ったのか
を観察するよう練習しているので、いい実験です。

こうやって身近なことで練習して慣れていけば、いい方向へクセづけできたり、いざという時に慌てなくてすむかな、そうだったらいいな、なんて思っています。

きのこ

そんなこんなで耳栓生活には、メリットデメリットどちらもありますけれど、自分がいいならそれでいいか、と思うようになりました。

耳栓は合う合わないがあると思うので特別オススメはしませんが、
耳マッサージはオススメです(^-^)
たくさんツボがあるそうですね。
耳ひっぱりをし、軽く全体をこすって、身体もついでに胸を開くように伸ばせば、気持ちいいです。

いつかどなたかとお会いすることがあったとして。
ほぉ〜これがものすごく働いてる耳かぁ〜、と、まじまじ見られたら恥ずかしいかもしれませんね。なんのこっちゃ。

きのこきのこきのこ

いつもお付き合いいただきまして、ありがとうございます。

エレカシさんのこと

こんにちは〜

 

今日は、音楽のことです。

友人Yちゃんがとてもファンのエレファントカシマシ

 

折りしもエレカシさんはデビュー30周年とのことで、二月にはいつも聴いているラジオで

ひと月特集を組んで放送していました。


{3320EC01-363C-489E-8FCA-B45A136E4A3A}

(画像はお借りしました)

 

エレカシの宮本さんは以前に歌番組で見ていて知っていたし、

真面目な人だなぁ〜と好ましく思っていたし、歌声もすばらしいし、

だけど、知ってはいたけれど聴き込んではいなかった!

 

ラジオで流れる歌を聴いているうち、Yちゃんがハマるくらいなら、といった後押しもあって、

さっそく30周年ベスト盤が出るのを待って聴くと…、もうドタマぶっとぶ、でした。

こんなすごい人たち知ったふりしててごめんなさい。

にわかファンですが、許してください。…といった心境になりました。

 

魅力は語り尽くせないですね。(放棄)

宮本さんの歌声は”荒野を吹く風”のようだなぁと感じていたけれど、歌にも”風”がよく出てくるんですね。

高い声、深い声、まっすぐ突き抜けるように届く声。

心の真ん中にドーーンと届く声をしているんですね。

 

実直で確実な、奇をてらっていない演奏も安心感があります。

歌詞や、歌い方の表情も、気分が湧き立つような高揚感があったり、素直に受け止めたいと思うものがあったり。

 

YouTubeでもたくさんアップされているので順繰りに聴いては楽しんでいます。

年代を追って聴いてきていないので、昔と今の歌をごちゃまぜにまとめて聴いています。

 

そしてなんと! 

Yちゃんが私のために30周年ライブのチケットを取っておいてくれたというではありませんか!(ありがたくって泣けます)

ライブなんて、10代の頃に戸川純さんのコンサートに行ったきり、まったく行ってないです。

爆音はしんどいかもしれないから、耳栓持っていきます。

 

いらん情報でしょうけども、私が気に入った曲をズラリと。

・ガストロンジャー

・生命賛歌

・RAINBOW

・悲しみの果て

・友達がいるのさ

・四月の風

・風に吹かれて

花男

・珍奇男

・so many people

・桜の花、舞い上がる道を

これからもどんどん増えていくといいなぁ。

エレカシさんを聴くようになって、私も輝きを求めて行こう、とすんなり思えるようになりました。


Yちゃん、いろいろ教えてくれてありがとう。 ニタリとしてくれたかな?

『宮本語録集』、買っちゃったよ、とても楽しみ。

また魅力を聞かせてもらうのを楽しみにしてるね。

胸を張ってさ、そう! ドーンと行こう!


マイクギタードラム


いつもお付き合いありがとうございます。

まだまだ自分を広げていくよ

こんにちは〜

本日は、piyosukeの決意表明!(^∇^)

 

その前に、昨日の記事でご心配くださったみなさま、ありがとうございます!

気にかけてくださって、とても嬉しかったです。大丈夫です。ありがとう。

 

お茶お茶お茶

 

自分を知ること---自分の成長、自分の広がり、自分の深み、自分の喜び。

これを目指している時が大好きだ。

 

自分にどっぷりはまるんだ。

誰かになろうとしたってできないから。

清濁ぜんぶ自分のものとして引き受ける決意をした時、

自分の人生に責任を持つ時、

やっと自分の枠から飛び出せる。

飛び出して、新しいステージに立ってる。

 

お茶

 

HSPについて。

HSP概念を知ったことで、一旦は安心した。自分を知った気になった。

そこからものすごく考えた。じっくり考えたり実践しているうち、

HSPだけではとうてい自分を説明しきれやしない、ということに気づいた。

そう、ひとつを知ったからといって、何でもそれに当てはめようとしたって、無茶だ。

私という人間をそれですべて語れるわけはない。

HSPは私を作っている「たった一部分」でしかないのだから。

 

HSPを、顔色を窺うように及び腰で見ていた時は、怒りや悲しみが湧いた。

「周りがわかってくれない」などと人のせいにした怒りや悲しみ。

ちがうね。

 

ではHSP(敏感さ)がなくならないのなら、いっそ突き詰めてやろう、と決めたら、

とたんにあまり感じなくなった。

いや、感じているけれど、そこに焦点を当てなくなった。

 

お茶

 

人間は多面体。

ひとつの見方だけで満足するより、たくさんの面を持ってるんだ、と思う方がだんぜん面白い。

 

一部分だけ見て、つらいつらいと自分に同情するのはもう飽きた。

ひとつだけにフォーカスしたってつまらない。つまらないこともうしない。

それが楽だからって執着しない。

 

たとえば、私の一部分に「真面目」というものがあるわけです。

これを私は、私自身のフィルターで「カタイ」とか「融通が利かない」とか、つい短所として認識してしまうわけです。

しかし「真面目」だけ読めば、よいも悪いもない。そんな二元論で言えることでもない。

真面目っていいやん。

 

そうしてHSPも、私のものとして呑み込んだ。引き受けた。

その上で、私にはまだほかにもたくさんの面があるし、HSPだけの見方にこだわるよりも、ほかを知っていくこと、見方を変えていくことが楽しい、と思っている。

 

多面体だとわかったことで、怒り・悲しみの次にある、喜び・楽しみが湧いてきた。

 

HSPはもう自分の中にある。

「あ、あるね。それで?」

 

お茶お茶お茶

 

人の目を気にして動かずにいた。

でもその「人の目」だって、自分のフィルターを通して、自分で作った「人の目」。

 

勝手に作ったものにがんじがらめになって、

これダメあれダメ直さなきゃ、って、誰のために?

直した先に何があるの?

誰かがほめてくれるの?

ほめてくれるの待ってるの?

 

今を否定し続けて、では

自分の幸せは未来にあるの?

 

そんなのこそヤメ!

私は今、ごきげんになる。

私は白い部分も黒い部分も両方あって私である。

誰のための私でもない。私のための私である。

私が私を満足させる。

 

私は私を極めるんだ。きっと面白い。

私が私を面白いと思ってるんだから、もう人は関係ない。

 

お茶

 

気づくまで、きゅうくつな枠組みが必要だったんだ、とわかった。

もう呑み込んだので、枠はなくなった。これが自由っていうんだな。

 

自分にどっぷりはまって、さまざまに考えたり動いたりしていけば、

きっと見えてくるものや感じるものがあるはず。

いろんなやり方を試して、見つけて、やってみる。

失敗したってそれはそれだ。

そうやって私の経験になり、広がりや深みになり、喜びとなる。


気づいたことで、ようやくHSPに感謝の気持ちが湧いてきた。

私には持て余す気質だけど、でも気づかせてくれてありがとう。

 

お茶

 

今、やっているのは、

自分の感覚や直感をとことん信じて従うこと。

短所と思うところを突き抜けるまでやってみること。

私にとって、気持ちのいい言葉たちを目に入れること。

 

私は自然の一部である、ということをしっかと感じること、味わうこと。

 

お茶

 

そうそう、HSPは危機察知能力としてとても役立ってくれているので、

そこでおおいに活躍してもらおうと思ってます。

 

ご清聴いただき、ありがとうございます。

かみなりと陰干し

こんにちは〜。


昨夜は突然のカミナリと大雨でした!

カメラ主人が撮影してくれました雷
{3ECD87A5-BDF8-4361-9B0F-4797F63EF055}

空いっぱいに走る龍のような。

{EA0437DC-2233-4CAD-B6CA-9614FF06DA85}

ビカッと光った時はそれはもう明るくて、
ザーーーッと降る雨音を聞きながら眺めていました。
なんだか楽しくて気持ちよかったです。

話変わって、こちらは宇宙人くんの陰干しです。

{E359C41C-A73E-4ED7-9D36-24327307F584}

だいぶ前にご紹介しましたが、友人Y氏よりいただいた、水の中でプカプカ立ち泳ぎみたいに浮遊する宇宙人(妖精?)です。

彼の中にも水が入っていって、容れ物の水とバランスを取るんだと思うんですが…どこから水が入っていくのかわからない(o_o) 
だからどこから抜いていいやらわからないので陰干しです(^-^)
そろそろ梅雨ですしね、新しい水と入れ替えてあげましょう。

雷

雨といえば、私は美容院に行く時に限って雨が降るんですよね〜。
ゲリラ豪雨の中を歩いて、着いたらやんだ、みたいなことありました。
どちらかといえば晴れ女なんですよ、でも美容院に行く時だけ、雨男か雨女さんの雨がやってくるのかもしれませんね〜。
面白いです。
そういうこと、ないですか?

雷

これからの梅雨、少しでも楽しく過ごせるといいな!

今日もお付き合いいただきまして、ありがとうございます。

癒しの罠

こんばんは。
いつもお読みくださってありがとうございます。
 
今日は毒吐きますよ。
(今までもチョイチョイ毒(愚痴?)は吐いてきたと思いますが、これからはビックリさせないようなるべく予告しますね〜)
 
バイキンくん
 

「癒し」って言葉、定着しましたね。

 
私は「癒し」という言葉を、
疲れた体を癒す、傷を癒す、心を癒す、というように、主に「身体」において、傷を受けた状態を回復させるときに使う言葉だと思っていたので、
今のようにモノやら現象やら、何から何まで「癒し」を当てはめて使うのを見ていて居心地の悪さを感じていました。
 
 
こちらの記事で「癒し」の歴史?がわかります。)
 
世の中、疲れ過ぎてるんじゃないでしょうか。
戦略的に広めたのは雑誌や広告、メディアとはいえ、受け入れる土壌があったんだなと思いました。
 
記事では、癒しブームには四期あった、と書いてありましたが、
最近の時代では、ニーズとメディア戦略がおおいに合致したんですね。
マーケティングに使われ、多くの業界で「癒し」とつければ売れる商品がたくさん現れたようです。
 
バイキンくん
 
私は「癒し」という言葉はあまり好みではありません。
受け身でお手軽な言葉だな、と違和感を感じています。
 
普段の生活でも、このブログでも、使わないようにしています。
頭が固いもんで、使い方もよくわからないです。
できたら、違う言葉で表現したいなって思っています。
 
なんとなく気持ち悪いんです。
そんなお手軽簡単に癒されるの?
ほんとうに?
 
バイキンくん
 
「言葉」はどんどん形も意味も変えていき、新たな言葉として使われるようになっていくもので、いいも悪いもないのでしょう。
 
だから、「癒す」→「癒し」「癒される」と変化した言葉がどうだ、ということではない。
私が気持ち悪いと感じたのは「メディアが作ったものに踊らされてる」感が強いからだと気づきました。
 
メディアから垂れ流された言葉や情報を、自分の中で咀嚼せずにそのまま吐き出すのは、やめたい。
 
ブームにはいつも乗れないし、メディアの操作には常に嫌気がさしています。
ほんと、メディアもブームも嫌いなんですよね〜。全員右向け右、みたいなところが。
 
(メディアと一括りにしてますが、新聞とテレビの二大巨頭を主に指してます)
 
メディアって、ほんとうに私たちの知りたいこと・得たいことをちゃんと流してる?
そんなことないですよね。
国民の代弁者だみたいな顔してえらそうに自分たちの都合に合わせて切り貼りしたり、流す流さないを勝手に決めてることも多いですよね。
玉石混交で、ほんとうがどこにあるのかわからない。
それに対して、見る方が検証することは実際には難しいです。つい信じちゃう。
世の中を洗脳するのなんて簡単だって思ってんじゃないか、と思います。
世の中は一人一人の人間でできているのに、ひと括りにして右向け右、としたいんじゃないかと。
 
いい部分もあるのに、埋もれてしまって見えづらくなってる。
すべてのメディアが、自分たちの欲にかられた操作をせずに、流せる範囲でまっとうに情報を流している、と信頼できるのなら、こんなに嫌いにならなかったかもしれないけれど。
 
そして、ブームを作るため操作された流行り言葉には必ず「儲け」が絡んでるものなので(コレも気味悪さの一因です)、
太い線を引いて、遠巻きに見やっておこうと思います。小さな存在のささやかな抵抗として。
 
…ということで、結局「癒し」という流行り言葉に私も踊らされてるやん!ということがわかった、の巻でした。ははは。
 
 
鳥たちで癒されてください♬
 
{9C913798-848B-41EF-9859-05F7BD923A3D}

ツバメのあご
 
{BD83B559-6F26-4CB7-B5E4-B4E1F39C0903}

鵜さんです。口を開けて飛ぶんですね〜。
 
 
バイキンくんバイキンくんバイキンくん
 
お付き合いいただきまして、ありがとうございます。
 

文鳥ピヨスケくんの大事なこと

こんにちは。

いつも読んでくださってありがとうございます。
 
今回の花は…
えーと、…名前を忘れました!
マメ科のような、ランのような花びらで、葉の緑が濃くて、
輪郭のくっきりしたキリッとした花だなぁと感じさせます。
 
{648E55B9-2B36-424D-A5B0-0FE5671FE357}

文鳥ピヨスケくんに教わったことがたくさんあります。
 
それぞれ、
「おぉそうか」と感じたり、
「なるほど〜」と腑に落ちたり、
「そうだったのか!」と発見となる。
しかしそのひとつひとつのことを、言葉や文章にするのは……(沈黙)
 
さくらんぼ
 
言葉にしてしまうと、感情の取りこぼしがあったり、
言葉という制約に押し込めて、なんとか当てはめようとしてしまったり。
なんとか言えた!と思っても、やっぱり言葉は足りてなくて、
アレ?言えてないな、薄っぺらだな、という気分になったり。
 
言葉は大切にしたいけれど、言葉では言えないことって本当にたくさんあるんですね。
伝えるってそうそうできないものなんですね。
でもだからこそ、心を言葉で表せた時って、輝くような喜びですね。
 
さくらんぼ
 
話がそれましたが。
ピヨスケが望んでいること。
それを言葉にしてみると、
 
クローバー 自分がごきげんでいること
クローバー 私と一緒にいること
 
このふたつがあれば他はいらないようなんです。
 
あとのことは、枝葉末節。
もちろんご飯や健康、眠るところがあってこそだとは思いますが、
たとえ体調が悪くとも、このふたつを追い求めているように思えます。
 
おもちゃもいらない、日光浴していてもぜんぜん外に興味を示さない、
旦那さんは風呂係…。
完全なる内弁慶で、もうちょっといろんなことを経験させてあげたかったなぁとは感じますが、
 
ピヨスケにとってはこのふたつでいいんだなぁ。
ストレートに大事なことを教えてくれるなぁ。
と感じたのです。
 
{40AC2DE1-D8A9-4F62-B42F-FD970F6BFF2D}

日光浴が嫌で髪を逆立てている、くちばしにチンゲンサイをつけたピヨスケ
 
さくらんぼ
 
本日もお付き合いいただき、ありがとうございます。

それでも面白かった

昨日の記事について。


ブロ友さんとのやりとりで、ふと思いつくことがあって考えていくうち、どんどん加速して止まらなくなった。(Eさんありがとう〜)

さながら暴走機関車か。
おかげで血が頭にのぼり、思考があちこちに飛び、眠りにつくのが遅くなった。
しかし、一気呵成に書きなぐり、なんでもいいから「出せた」ことで私はすっきりした。
読んでくださったみなさん、長くてすみませんでした。。

でもわーっと出すって面白いですね。
日々いろんなことを思い巡らせているんですよ。みなさんもそうだと思いますが。
仕事してようがヒマにしてようが関係なく、考え出すと止まらないし、結論の出ないことは澱のようにちょっとずつ溜まっていくんですよね、心の中に。
結局問題は棚上げで、なんにも解決してないけど、面白かったからいいや、って気分になりました。ご機嫌よし!

うずまき

こんな風に高揚してる時は、あとで急降下するかもしれないけど、書ける(出せる)時に書いておこうって思います。

ついてけないやって方はどうぞ読まずにスルーしてくださいね。
よろしくお付き合いください。