ひとは思いこみでできている

思うこと 気づいたこと なんでも書く

行ったり来たり

 

自分の機嫌は自分でなんとかしよう。

人の言葉や顔色声色、しぐさなんかに「当てられて」、気分が悪くなったり、なんでこの人はこんな言い方するんだろうと考えたり、気を回したりするけど、その人の言動はその人のものだ。

八つ当たりみたいに「当てられる」と、実際に衝撃や影響を受けてしまうけど、本来は私とは関係ないこと。

その人の機嫌は、その人にしかどうにもならない。上げ膳据え膳してゴキゲン取ったって、その時だけの付け焼き刃。クセになって振り回してくる。

不機嫌な人には近づかない。表面上だけ合わせるくらいでいい。

オトナなら、それくらい自分の責任でなんとかしよう。

まずは自分をすこやかに保つこと。

すべて、自分が基準で決めていい。間違ってるなら、それを引き受けるのも自分がする。人のせいにしない。

という考えができるようになって、よかった点も多いのだけど、こんなすっぱり割り切れるもんでもない。私は冷たいんだろうな、と思うけれど、こうしたことを言いながら人のことを思い切り気にしている。

他者に近づきすぎたり離れすぎたり。

ちょうどいい距離感がつかめない。つかんだと思っても、その時々で同じ人であってもまた変わるものだから、毎回捉え直しになる。

まだまだ自分の身を守ることに精一杯で、自分の身の回りにトゲトゲをいっぱい生やしている。

真正面から対しすぎている。横から、斜めから、背中合わせで、人と対することは自由自在なのに。

そして、できないとか、間違いとか、そうした、きちんと決めたがる思考がやっぱり顔を出してしまう。

成長や進歩というのは、行ったり来たり、進んだと思ったら引き戻されて、まったくもって順風に進むものではないんだな。

進んだ! と解放を感じ、自由や喜びを手に入れたと思ったら、こうしてまたブツブツ考え思い悩む時期になる。

しんどい時はこれがずっと続くかもしれない、と怖くなり、苦しいともがく。自分が許せなくてあがく。

でもね、同じ苦しくてあがくのなら、思いっきりあがいて、もがいたらいいんだね。そうしたら、自分の機嫌の取り方や、すこやかにいる方法がわかってくるかもしれない。

逃げることが必要な時はある。でも中途半端に逃げるとまた同じことが起こる。

同じようなことが続けて起こるんなら、そろそろ自分のために懸命にあがく時なのかもしれないな。

 

…ところで、トゲトゲって虫をご存じですか?