ことりのように

旦那さんと文鳥とオカメインコと暮らしています。日々のこと、思うこと。ことりのように自由にはばたいていきたいです

理解に苦しむのはざっくりしすぎだからだ

こんにちは。今日はHSPについて気づいたことです。

夫が言いました。「HSPという分類はざっくりしすぎてる」。ぴかーん💡

 

そう! ひとくくりにできないのに、ばくっと「HSP」でまとめちゃうからわかんないんだ!

 

どういうことかと言いますと、HSPの項目の中には、分野ごとにたくさんの項目があるのだと思うのです。

項目 ー 項目(少し細かく)ー項目 (もっと細かく、かつ多く)……

例として、私が気になる「音」に注目すれば、それは「大きさ」なのか「音波」なのか「振動」なのか。「人の声」なのか「車の音などの機械音」なのか。音でもいろいろありますよね。

「音」だけでなく、ひとつひとつのチェック項目を、もっと細かく、そして感じる度合いの深さや頻度や種類など、それぞれをクローズアップして見ていかないと、本当にその人がHSPなのかはわからないと思った。

今の分類では大きすぎて乱暴

この、大項目だけで本やらサイトに載ってるから、「あ〜当てはまる〜」人口が多いんだと思うのです。どこに、どのくらいで当てはまったのかを理解しないと、対処法もわからないし、同じHSP同士でもわかりあえない。

例えば、音に反応する私と、人の気持ちに敏感なあなたとでは、同じHSPでも違いすぎませんか?

項目も違えば、強弱、深度、濃淡、感じる頻度、全部違う。

「HSPあるある」を聞いてもイマイチわからなかったのはこういうことか。当てはまらない部分を言われても理解できないのは当然ですよね。

 

HSPって、外界(人やモノ)から受け取る受容体が細かく鋭敏で、いつもアンテナが立っていて、人の声の調子や含まれる「気(怒気とか)」、空気やその場の雰囲気など、目に見えず言葉にしづらいものを大量に全身に浴びているんだと思うんですよね。

ただそれは、受け取る受容体が、どの分野で発達してるか、の違いであって、項目が違うだけでみんなHSPとも言えるし、HSPとも言えないんじゃないか

分野による受容体の違いとは、つるんとしてるか、小さな突起がたくさんあるか、というような違い。

つるんとしてると、そこに当たったものは弾かれたり滑って落ちたりします。水だってさらっと流れ去る。内部には入りにくい。

小さく細かい突起がたくさんあると、いちいちその部分に引っかかるし、スムーズに流れてくれないし、留まる。じわじわ内部にも浸透してくる感じ。

これがその人それぞれで、感じやすい分野・感じにくい分野、そしてさらには、感じ取りやすい分野・苦手意識のある分野、などにも分かれ、ここにも濃淡があるのではないか

 

そして、内部(心と身体)に入ったモノが、体内で影響したり、心での捉え方を変化させたりする。

お腹が弱い → <身体>元気な時なら大丈夫でも、不調の時に冷たい物を食べる → 過度に反応してもっと痛くなる → <心>やっぱりダメだ…みたいに捉えてしまう → 私はお腹が弱いから〇〇できない、のように心がセーブする …

私は心が傷つきやすい → 人に何か言われた → <身体>元気な時なら気にしないけど、不調な時や気になっている時は過敏に捉えてしまった → <身体>頭が痛くなったり、胃が痛くなったり、言った人をみて緊張する、ビクビクする、などの反応 → <心>恐い、拒否反応、「いつも」こうだといった認知の歪み → 私は傷つきやすい、などなど……

簡単に乱暴に(笑)書きましたが、同じようなことが起こったら同じ反応をする、と繰り返しが積み重なって、自分の身体や心が覚えてしまったのではないか。

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私はHSP勉強会に出たことはありません。ですので上記のようなことは自明の理かもしれません。ただ、「HSPだけ」にこだわっていた時の自分の心の状態がまったくよくなかったので、なんとか突破したかった。

それで、どうせ逃れられないのであれば「HSP」を突き詰めてやる、と決意し、実際に無我夢中で「自分なりのHSP」をつかみました。するとHSPから解放された、と思えるくらい楽になりました。

枠組みをとっぱらった感覚です。そして自分のHSPを取り込みました。

以前の「HSPだから」と固まって若干排他的になっていた頃の気持ちも覚えています。不健康だ、と今なら感じますし、わかります。ひとつのことにこだわりすぎるのは、いい面も悪い面もありますが私には悪い面が出てきてしまった。

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人それぞれ過敏に反応するポイントを持っている。

深い浅い、濃淡、広い狭い、痛みや快感、感じる頻度、そういうその人が感じている細かなことが織り交ざっている。

心や身体が反応したり感じ取ったりする時の「個性」があるだけ。

自分の物差しと、人の物差しは違うもの。感じるポイントも違うもの。同じ訳はない。

それを「HSPかそうでないか」で括ろうとするから排他的にもなるし、特別意識も生まれる。HSPだから傷つきやすい、守って、ってなるのっておかしい。非HSPはどうせ理解しないから、なんて意識でいるのもおかしい。HSPをただの自分の慰みにしたいだけならそれでもいいですが、私はそんなのはいやだ。

「HSP」分類に対して感じていた違和感。「HSP・非HSP」といった二元化への違和感。

みんな、HSPであり、HSPでない。

現時点ではこんな結論に達しました。(考えを進めたらまた書きます)