“余裕とは?”
こんにちは( ´ ▽ ` )ノ
今日は、HSP関連の記事です。
鮮やかに紅葉した大きなメタセコイアです。こんなツリーがあったら立派ですね
人を観察していると、うまいこと気分を切り替えてるなと感じることがあります。
できごとのひとつひとつにあまり捉われないのでしょう。
さらさらと流れる水のようです。
もしくは、できごとから気持ちを離すことを意識して、習慣にしている。
強い意図の力なのか?
どちらも、それぞれのできごとにとどまらないから、
執着やわだかまりや、もしくは問題意識を持つことがなく、
しかし結果的に「余裕」「隙間」が生まれる。
私は、何事に対してもつい考えたり思い巡らせてしまうクセがあり、
自分を変えるにはまず意識を変えること、とアタマでわかりつつも、まだまだ練習・実践ができていないです。
HSPを知ったことでそれに固執してしまい、時には排他的な気分になることもあります。
しかし、今までも、HSPではない人たちに、たくさんの元気や明るさや強さや、素晴らしいものをもらっている。
それはもう、数え切れないほどに。
どちらで読んだのか失念してしまい、記事をあげた方に了承を得ず引用いたしますが、
という記載がありました。
私個人の考え方や思考のクセを何とかしない限り、心が狭いままになります。
私はどうありたいのか。
私が目指す姿とはどんなものなのか。
瑣末にとらわれず、大きな希望と目的をもって進むこと、と自省しています。
できることは小さいし、できないことも多いけれど。
しかしまだ肝心の、心の奥底にある思いにまでは、手が届いていないようです。
以前、自分だけの思いに執着して
(その時点では執着していることに気づいていませんでした)、
あとでアタマをぶつけたようになって気づきました。
何をやってるんだ、と恥ずかしさと悔しさとバカさ加減に呆れることがありました。
偉そうに言ったって、目を曇らせているのは自分でした。
それからは、私の思いは排除して、その人の行動、出てきた感情だけを見るように心がけています。
もし言外の何かを感じ取ったとしても、それを表さないのはその人が選んだこと。
私が先回りして心配したり、感じ取って嫌な気持ちになっても、
その人にはその人の思いがあり、行動の自由があります。
当たり前のことですよね、それをぜんぜんわかっていませんでした。
人から優しい思いをもらったら、自然に私も優しくなります。
反対に、私が接すれば相手にも優しい気持ちになってもらえるような、そんな人間になれたらな、と思います。
なにかがあれば、いつでも手を差し伸べるくらいの「余裕」を持てるような人間になれたら。
ただし、期待の押しつけはしないこと。
その人がどう捉えるかはその人の領分だから、私の思惑と違う捉え方をしても
そこはそれ、その人の個性だと「余裕」を持って流していきたいです。
できたらいいな。
今日もお付き合いいただき、ありがとうございます。
どうぞみなさまも心安らぐクリスマスをお過ごしください