ひとは思いこみでできている

思うこと 気づいたこと なんでも書く

読んでる本についてのメモ

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村上春樹『職業としての小説家』(エッセイ)

 
示唆に富む、今考えていることに通ずる内容があり、周りの人々も同じことを言っている部分あり。
個人的なことも突き詰めれば普遍的なものになる、ということかと思う。
 
「…そのような自分の体験から思うのですが、自分のオリジナルの文体なり話法なりを見つけ出すには、まず出発点として「自分に何かを加算していく」よりはむしろ、「自分から何かをマイナスしていく」という作業が必要とされるみたいです。考えてみれば、僕らは生きていく過程であまりに多くのものごとを抱え込んでしまっているようです。情報過多というか、荷物が多すぎるというか、与えられた細かい選択肢があまりに多すぎて、自己表現みたいなことをしようと試みるとき、それらのコンテンツがしばしばクラッシュを起こし、時としてエンジン・ストールみたいな状態に陥ってしまいます。そして身動きがとれなくなってしまう。とすれば、とりあえず必要のないコンテンツをゴミ箱に放り込んで、情報系統をすっきりさせてしまえば、頭の中はもっと自由に行き来できるようになるはずです。
 それでは、何がどうしても必要で、何がそれほど必要でないか、あるいはまったく不要であるかを、どのようにして見極めていけばいいのか?
 これも自分自身の経験から言いますと、ごく単純な話ですが、「それをしているとき、あなたは楽しい気持ちになれますか?」というのがひとつの基準になるだろうと思います。もしあなたが何か自分にとって重要だと思える行為に従事していて、もしそこに自然発生的な楽しさや喜びを見出すことができなければ、それをやりながら胸がわくわくしてこなければ、そこには何か間違ったもの、不調和なものがあるということになりそうです。そういうときはもう一度最初に戻って、楽しさを邪魔している余分な部品、不自然な要素を、片端から放り出していかなくてはなりません。」
「…「自分が何を求めているか?」というよりはむしろ、「何かを求めていない自分とはそもそもどんなものか?」ということを、そのような姿を、頭の中でヴィジュアライズしてみるといいかもしれません。…」
 
ただ暮らすだけで周りから影響を受け続け、情報過多も一因と気づき、テレビも見ない、新聞はもっと見ない、できるだけ余計なことは容れない生活をするようになり、ずいぶんと楽になった。
「外」と接するだけでエネルギーが吸い取られていた。
そして、内にエネルギーをたっぷり溜めるためには人以上の時間と休息が必要だとわかった。
時には目をつむり耳をふさぎ、静かにうずくまっていないと気づかないこともある。
そうすることが私の中にエネルギーを溜める大切な大切な作業。
笑顔で、楽しく、わくわくしながら暮らすためにできることは、
私が楽しく感じ、わくわくできることをすることだ。
そして、今あることにひとつずつ集中して、楽しんですることだ。
簡単だけど、難しい。