ひとは思いこみでできている

思うこと 気づいたこと なんでも書く

響かない言葉

先日、知り合いからガンジーの言葉を送られた。

ぜんぜん響いてこなかった。もうすでに忘れている。

いくら偉人賢人の言葉だからって、必要としてないときはなんにも感じないんだな。いや、そもそも私から要る、って言ってないしな。

なんて少しひねくれて考えた。

 

私は偉人賢人の言葉には心を動かされない。

以前、犬の表紙がかわいかったから『人生はワンチャンス!』を買ったんだ。水野敬也さんの編著だったし、装丁もきれいで見た目のよい本だった。

いろんな有名人が言った格言を集めたものだった。

内容はいっさい覚えてない。かすりもしてない。

 

こういう「格言集」は、なんだかモヤっとしてるとき、しんどいときについ手を伸ばしてしまう。状況を打開するためのヒントがないかとすがるように読む。

今の自分の状態に当てはまる言葉を探す。

ぴったり当てはまればいい。ちょっと救われたように思うときもある。

でもほとんどの言葉は欲しいものじゃないからすぐ忘れる。欲しくない言葉なんて、ただの文字の羅列にしか見えてない。

そして啓示を受けたように感じた言葉も、読んだことで安心してしまい、その後の行動につながらない。

いったい何のために読んだんだ。

 

だれかにそこだけ切り取られた言葉だけ読んでも表面を撫でるように流れてしまう。

その人がなぜその言葉を言ったのか、前後関係や状況がわからなかったら理解できない。

なぜそう言ったの? 

そのひとはなにがあってそう思ったの?

そのひとはいったいどんな考え方をする人で、どんな思いを持ってるの?

私にとってはこちらのほうが重要項目だ。

 

ことわざや慣用句や四字熟語は大好きだ。

よく口をついて出てくる。言いたくて仕方ないからことわざ集をいつも手に持っておきたいくらいだ。

ことわざは好きなのに、似たような格言は嫌い。なんでかな。

 

だいたい、たった一人の言ったことがほんとうに真理なの?

 

ことわざと偉人の格言との納得感の違いは、言った・思った人の「数」なのかなと思う。

名もないたくさんの人々の思いの集まったことわざや慣用句だから、知恵の集結のような言葉たちだから、説得力もあるし納得するんだ。

だから同じような理由で、俳人歌人の有名な俳句短歌より、川柳のほうがおもしろい。

 

あ、そうか。送ってきた知人は、自分が今その言葉が必要だったんだ。それでその言葉を見て欲しくて私に送ってきたんだ。とわかった。

贈り物、と捉えたらいいのかな。

でもね、わざわざ格言を送ってくるのは説教くさいし押し付けがましいよ。私はそう感じる。

私は偉人賢人の言葉より、あなた自身の言葉を聞きたい。