ひとは思いこみでできている

思うこと 気づいたこと なんでも書く

ひさしぶりの涙

 

今日でヨガを始めて20回目だった。

少しずつできることが増えていくのが楽しい。

今日は特別クラスで「月礼拝」を教わった。まさに女性のためのヨガだ。

昔ヨガは主に男性がすることだったそうで、身体を縦に伸ばす動きが多いダイナミックなもの。パワーヨガで行うのは太陽礼拝だ。

男性は、ひと月のうち、身体の内部の変化は女性に比べれば少ないだろう。

けれど女性はひと月のうち、生理の準備、生理、排卵、…内側では相当な大きな動きがある。月のリズムと言われたりする。外には見えづらいものかもしれないけれど、男性の外向きのダイナミックさに比して、女性は内向きのダイナミックさだ。

男性のものだったヨガを、徐々に女性もするようになり、身体を横(左右)に広げたり伸ばす動きの多い月礼拝ができたとのこと。

月に向かうため、照明はほぼ落とした暗い中、いつも以上に自分の身体のことを感じながら行うものだった。

 

今週初めから、気分が沈んでいるな、と感じていた。笑えないし、胃の消化力も落ちている。前かがみになりがちで、うるさい音に苛々する。なんか苦しいな、と思う。

こんなに恵まれているのに。こんなに何不自由無く暮らしているのに。日々温かいご飯を食べて、温かいお風呂に入れて。ご飯を作るのは楽しいし、ケーキを作る余裕もある。食べものも飲みものもおいしいと感じられる。青い晴れた空を見上げてきれいだなと思うのに。

こうした気分の時は、そんなすべてが自分自身とはちょっと離れてしまって、

自分ひとりだけが薄い膜のようなものの中に入っているようで、すべてがぼんやりと鈍い。なんかしんどいな、と思う。うっすらした気分。

 

ヨガをするようになって、身体を動かすことの面白さ楽しさ明るさを体感した。気持ちが下向きでも運動すると自然と前へ進む力が湧く。

私は運動は苦手だし嫌いだと信じ込んでいた。違った。自分の身体を放っておいたんだ。興味も持たず、苦手だからと決めつけて。身体を知ることもいたわることも癒すこともしてこなかったことがよくわかった。身体に対して済まなくてつらく思う。

 

今日は、その週初めからの沈んだ気分のまま受けていたら、合い間の姿勢の時に、勝手に涙が流れた。インストラクターさんの落ち着いた説明や優しいガイドを聞きながら、そうなんだねそうなんだ、と身体に向かって話しかけるように呼吸をし、ポーズを取っていた。気分が高まり出るものとは違う、自然にさーーっと流れる涙だった。

流れていたのは数秒だろうけれど、その間、小さい自分が出てきて、「怖い」「悲しい」といった感情が胸の内側に起こり、それはとても熱く、「そうだね怖いね」「つらかった」とまるでもうひとりの自分と話すような心持ちだった。胸の内がぎゅっと熱くなった。

いったい私自身はどこにいるんだろう。毎日毎日、日々のタスクを順々にこなす自分は自分なんだろうか。自動操縦された私は、私という乗り物に乗っているのだろうか。小さな自分ははたして自分なんだろうか。

私は何のために生きているんだろうか。私が生きていていいのだろうか。私が役に立つようなことは今までもこれからもあるんだろうか。

答えのない問いが次々浮かぶ。

答えがないからもう考えないようにしよう。いつかきっと気づく時が来てくれる。