『ボヘミアン・ラプソディ』
話題になっているクイーンの映画『ボヘミアン・ラプソディ』を観てきました。
旦那さんがクイーンの昔からのファンで、私は世代が少しずれていてほとんど知りませんでした。
フレディ・マーキュリーがエイズで亡くなったことはうっすら聞いた記憶があるようなないような、それくらいの知識しかなく、
旦那さんはクイーンの曲を、「ボヘミアン・ラプソディ」も数百回聴いて、でも私がこんなだから張り合いがなかったようです。
フレディさんの印象が、奇抜、奇特、奇妙、といった、オリジナルでしかないその表現方法や見た目で、なんにも知らない私はただそれだけで退けていました。
歌すごいうまいけど変わってんな〜、という、フレディさんのファンに殴られそうな感想しか持ってませんでした。
今回もレイトショーで行きましたが、封切りからしばらく経っているのに座席が半分以上埋まっていて、そして一番驚いたのが、エンドロールが流れてもほとんどの方が席を立たなかった。最後まで見切ってしまわない方は一定数いると思うのですが、この映画は違った。
映画を観て、フレディさんの印象はガラッと変わりました。
この人、繊細すぎる。
哀しさを背負って、自ら愛情をたくさん持っているのに、でも「ない」と信じ込んでいる。だから渇望して、求めて求めて。
愛で満たされた瞬間はあったんでしょうか。あるのに、ない。とずっと思い込んで生きていたのかと感じました。
守ってくれる、寄り添ってくれる人々はすぐそばにいて、いつでも見ていてくれてるのに、本人が「ない」と思ってるから通じない、伝わらない、渡せない、受け取らない。悲しいことです。
外に求めても満たされないのかもしれませんね。苦しい日々だったのでは、と思う。
見た目やパフォーマンスで誤解されやすい人だったのかなぁと思いました。
内側は、ひどく優しすぎ、弱く、か細く、いつも震えているような、そんな印象に変わりました。
ともかく感動しました。ちゃんとクイーンの曲を聴いてみよう、と旦那さんに借りて、ふたりで聴いています。
世をはかなみ、斜に構えて、社会を呪うような歌詞なのかとこれまた勝手に思っていました。ロックってそんな反骨の精神の部分もあると思うから、世の中に抵抗するところを強く出しているのかとイメージしてました。
ぜんぜん違った。なんにも知ってなかった。
世を信じ、人を信じる歌だった。自分を信じる歌だった。
フレディさんの最期が、信頼できる人々にそばにいてもらえて救われるような気持ちがしました。
陳腐な感想だけど、私は感動した。
ちなみに、フレディさんておとめ座かなぁ?と思ったらほんとにそうだった。