ひとは思いこみでできている

思うこと 気づいたこと なんでも書く

自己否定は自己防衛

 

自己否定は自己防衛なんだな。

一生懸命すごい勢いで頑張って否定している。

周りから責められないように先回りして自分を否定している。

そうすることで自分を守っている。

…何から?

人や周りの状況を優先する。いえいえ自分なんて後回しでいいんですよ。人を優先してその場をやり過ごし、しかし我がホームへ帰るとすごくすごく疲れていて、苛々して、鬱憤が溜まっている。我がホーム内にいる気の置けない人に八つ当たりをする恐れがあるので、ひとりきりになりたい。でも誰かにそっと見守っていてほしい。ほっといてほしい・見ていてほしい、というわがままな心境になる。

本当の私の心は、自分をないがしろにしていることがわかっているから、苛々し、癇癪を起こして泣いているし騒いでいるし悲しんでいる。

自分に怒っている。自分が萎縮している。感情を持て余す。そんな自分に嫌気がさして、また感情を見ないフリをする。私平気ですから。

身体だってこわばって固まって、首や肩や背中やあちこちガチガチになって、息もうまく吸えてない。そんな状態が「普通」だと信じ込んでいる。

全く緩んでない。常に戦闘態勢だ。これも自己防衛だ。

もし、人がそんな状態だったら何と声をかける? 

そんなに人に気を使わなくていいんですよ。人のこといろいろと考えなくていいんですよ。

全部できなくてもいいんですよ。焦らずにゆっくり行動すればいいんですよ。完璧なんてないんですよ。

自分を痛めつけないでいいんですよ。小さなことでも、したいことがあったらしたらいいんですよ。行きたいところに行っていいんですよ。

嫌いな人がいたっていいんですよ。腹が立ったっていいんですよ。

それから、身体にとっては緩んでだらーんとしているのがよい状態なんですよ。だるく感じるくらい緩んでいることが、本来の「普通」なんですよ。

……

人にだったら言えるのに、どうして自分には言えないんだろう?

もっと明るくなるようなことを書きたいな…。