ひとは思いこみでできている

思うこと 気づいたこと なんでも書く

エッセンスが残る

いろんな方々がいろんなところで言っていること。

最近、あっみんな同じこと言ってるんだ、と気づいた。

その時々に読んで、なんだか心に引っかかったこと。そうだ、と思ったこと、耳に痛いな、と思ったこと。詳細を忘れてしまっても、気になったところがなんとなく自分の中にとどまる。

自分の中にそれぞれのエッセンスが残る。

その時自分の言葉にならなくても、残しておこうと無理して言葉にしなくても、時間が経てば、自分の身になっている。

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ずっと心理や意識の物語(様々な方々が語る言葉や記事)を読んでいると、味方ができたような気持ちになる。
心に馴染むような、言えなかったことを言い表してもらったような安堵感。知らなかったことを知った驚きや発見。私もそうしてみたい、と願う気持ち。

もちろん書いている人により、「?」と思う記述もあるので、自分と合うか合わないか、なのだけれど。受け入れたくないなら、自分の声に従った方がいい。

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言葉って大切だな。

自分の身になる言葉なら、やっぱり心地よい言葉を内に入れていきたい。

自分を守るために、心地悪くなる言葉を見ない聞かないようにした。

テレビをなくしたことは私には有意義だった。いらない映像・音・色…。その場に縛り付けられることもなくなり時間もできた。(でもお笑いを見て、頭を空っぽにして大笑いする機会も減ってしまったので、ちょっとだけ残念)

充分満たされ余裕ができたら、少々嫌な言葉でも、「受け入れるか」「流すか」「拒否するか」を選べるように少しずつなってきた。

いったんシャットアウトすることが、私にはとても重要だった。アクセルとブレーキ両方を踏みながら、がんばってない自分はダメだと思い込み、休むなんて贅沢だと走り続けてしまうタイプの私には、自分自身からの責めに加えて、外部の情報を見続け、聞き続けることは、自分に対し非常に残酷な仕打ちだった。

自分で自分を守ることをしてこなかった私は、自分の叫びを人からの責めだと捉え、自身を追い込むばかりだった。

自分を守ったり手当てしたりなんてことをずっと知らなかったから、今もそういうところはなくなっていないけれど。

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今も、たくさんの言葉や物語が私の中にある。自分の言葉になるのを、私は待っている。

私が選んで、近づいて、つかまえた言葉のエッセンスが、私自身の言葉になるのを待つ。

たくさんの言葉を濾過したり、発酵させたりしてるんだと思っている。もどかしい時間だけど私には必要な時間です。

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たくさんの方のたくさんの文章を読んできて、ご紹介したいけどしきれない、そんな中、最近拝見したカウンセラーさんの記事です。

思考で感情を抑えることが習い性になっている私に、ヒントをもらいました。

『根本裕幸オフィシャルブログ』「本当は○○した方がいいのに、私は△△だ」は自己否定に他なりません。

https://nemotohiroyuki.jp/everyday-psychology/21961