ひとは思いこみでできている

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「うち」にかえる

こんにちは。 

「うち」ってどこを思い浮かべますか?

私のかえるところ。あなたのかえるところ。

単なる場所だけのことではない、心の居場所、住みか、戻れるところ。

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私は子供の頃、親の仕事の都合上、何回か引越しを経験しました。幼すぎて覚えていない場所もあります。そして結婚して離婚するまでの5年間で4回ほど移りました。一番長くいたところで2年くらい。

そういうこともあってなのか、住みかはここでないとダメ、というこだわりがありません。いろんなところに住んでみたい。いろんな景色を見てみたい。

 

引っ越して、新しい場所で、違う景色、違う道、違う駅、違う空気・・・

視線の先は未来だけど、まず足元を見て踏みしめること。不安の中にも何かが始まるような気がする。ここから作っていくんだ、とわくわくしながら暮らしのスタートを切る。

・・・でもそんな風に捉えるようになったのはごく最近のこと。

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「うち」「家」は、自分の羽を休ませる場所で、肉体的・精神的に、存分に閉じこもって次に羽ばたく準備ができるところ、と捉えています。

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今までの「うち」は、人に与えてもらった場所だった。親や前夫に。要は、自分が決めなくてよい、責任を取らなくてよい、他力本願的なぬるま湯。表面的な感謝。自分で決めていないからカンタンに出てくる文句。自ら未来を作っていこうとしない怠惰。そんなだったと今更ながら気づいた。

精神的な居場所がない。帰っても落ち着けない。家でくつろげない。いつも何かしら淋しく不安だ。

こんな風に思っていたのは、ずっと自分自身に責任を取ってこなかった自分の問題だ。両親のせい、前夫のせい?  違うね。両親にも、前夫にも、何も言うことはない。私が、私の場所だ、と言い切る気概を持たなかった。人のせいにしておけば楽だった。両親や前夫と、本音の関係性を作ってこなかった私の問題だ。ぬるま湯を享受していただけだ。

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今の旦那さんとの住まいは、旦那さんのお給料から家賃を払ってもらっており、だから金銭的には「私の」住まいとは言えないけれども。でも私はその形ある住まいだけでなく、旦那さんと、私自身の中に住みかを見つけた。

なんとなく生きるのじゃない。何が起こっても、なんとかする、なんとかしよう、と自分で決める。すると本音でいられる。

本音でいると、困った時もつらい時も怒った時も、隠さずにそのまんま表現できる。私の気持ちは、隠さずに表に出していいんだな。そう思ったら、受けとめてくれる旦那さんには感謝しか浮かばない。そして私も、私を受け止められるんだ。

どこへ行っても、ここは私の場所だ!って決めてしまえばどこでも居場所にできる。心寛げるそんな場所を、これからもちょっとずつ増やしていくつもりです。楽しもう。

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ピヨスケくんの「うち」は私です(^-^)