ひとは思いこみでできている

思うこと 気づいたこと なんでも書く

感受性のことを歌う

こんにちは。今日は音楽の話です。

 

一時、椎名林檎ちゃんがすごく好きでした。30代前半くらいからです。

いい歌いっぱいありますね。あの華やかでエキセントリックな、常に舞台に上がって勝負してるような感じがものすごくプロだなぁと思わせられます。

細部にまで神経を張り巡らせた“椎名林檎”的世界観。聴く方も覚悟がいります。

林檎ちゃんの歌は「常に張り詰めてる」ように感じます。歌詞もメロディも。こちらをヒリヒリしたような気持ちにさせるのが巧いですね。

たくさんのヒット曲があってそれももちろんいいけれど、アルバムの中のほかの多くの曲も作り込みが巧みです。

 

私はズバリ恋愛のことを書いている歌詞が苦手です。(恋愛を描いているようで本当に言いたかったことは違う、という歌もありますが)

恋愛は人間関係の縮図で、個別のことを言いながら実は普遍的なことを言ってる、というのはわかりますが、歌詞の中に好きだの恋だのが入ると興ざめしてしまいます。エキスくらいにしておくれよ。

下の曲は恋愛ものではありません。「感受性」についての歌詞、としてすぐに浮かぶ一部分をご紹介します。

(「虚言症」より)

そして何故に 雨や人波にも

傷つくのかしらね

10代の頃に作ったというこの曲は、10代らしくみずみずしく、たどたどしい感じもあって、でも強く生きる気持ちが素直に出てると感じます。私が聴いたのは30代でしたけれど、歌詞のこの部分にとても共感しました。

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感受性が豊かで傷つきやすい人は、心が10代くらいなんだろう、と思います。世間に慣れてしまえなくて、傷を受けても手当ても知らずそのままむき出しにしていて。

それはもうしんどいでしょう。まわりが気づかない微かなことにも気づいてしまう心は、ほんの小さなすり傷だって大きな傷と変わらない。

出てきた言葉や、目に見える表情や態度だけでなくて、発散される空気や波動、匂いや音、それらをかわせず総身で受けてしまう。

 

小さな自分を守るために、身の回りにどんどん鎧をつけていって、その重みで小さな自分が苦しくなってる。

もしくは、小さな自分は置いてきぼりで、頭でできた自分がでしゃばり前に出ている。ほんとの自分はどこでしょう?

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心のなかにきれいな泉があって、いつでも豊かに水をたたえている。

緑深い森の中みたいに、もの言わぬたくさんの世界を内包している。

人波にも傷ついてしまう人の内的世界は、こんな風に静かで優しく、とても気持ちのいいところだろうと思います。できることなら、私はそんな人になりたい。

 

徒に疑ってみたりしないで 大丈夫

いま君が孤りで生きてるなんて云えるの

君は常に 常にギリギリで生きる

あたしは何時も君を想ってるのに

 (「虚言症」より)