関わらないことも愛情 その3
長くなりました〜、今回で終わりです。
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個人的な知り合い、他のSNSでもやり取りのあった、割と関係性の濃い方々からの連絡はほとんどありませんでした。
本当に勝手なことですが初めはちょっとショックでした。淋しくもありました。割とやり取りしていて信頼関係も築いていたつもりだったけどなぁ。急だったからかな。私が連絡しなかったことで何か思うところがあったのかな。それとも忙しくて見てないうちに消えたと思われたかな。でもそれらは「私の解釈」であって、その相手の本心はわかりません。永久にわかりませんが、
a・私が相手に抱いていたほどの関心も興味もない
b・気を遣って何も言わない
c・あえて何も言わない
といった感じなのかなぁ、と思いました。
aはもう仕方ないですね。縁がなかったと思う。
さらにこの、「気を遣って何も言わない」と「あえて何も言わない」、そして「理由を聞きたい」という行動は、もし自分が同じ行動をしたとしたらどういった意図があるか?と考えてみました。
すると、どちらにしても最終的には「愛情」があるのかもなぁと思ったんです。
どういうことか?
連絡をくださった方、理由を聞いた方、何も言わない方、みんな「私の意思を尊重するよ」という意思表示をしてくれているのです。
「何も言わない方」も? と思われるかもしれません。私も「何も言わない」だけならただ関心がないのかもしれないと思いましたが、やはりそこは今までの関係性があります。
「気を遣って」「あえて」、それぞれ何も言わないでいてくれてるのかな、と考えました。
私の事情を慮って、私が何か言ってきたら応答する、ということなのかもしれません。積極的に関わらないことも、その人なりの愛情の示し方なのかもしれない。
すべて想像で、仮定の話です。
でも、こんな風に捉えることは今までできなかったし、そんな視点もなかったのです。そう思ったら、みなさんそれぞれの愛情(友情、優しさ、親しみ)を受けられた、と受け止めらたことはすごいことだと思いました。
こんな風な捉え方ができたことで、今までの人生での、腑に落ちなかった別れや勝手な期待での腹立ちなどが昇華されるように思えました。
みなさんを、信頼できた。それは、自分のことも信頼できた、ということだと感じました。
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人様を実験台みたいに使ったようなことになって気がひけるところもあるのですが、新しい視点・違った視点でものを見る、という大きな思わぬ発見がありました。少しざわつきつつもフラットな気持ちでいられたことも今までの自分にはなかったことです。
自分のものさし、思い込み、マイルール、執着、こだわり。
あってもいいけれど、すべて過ぎたるは及ばざるが如し、で、今はできる限り手放していこうとしています。手放したうえで、再構築したいのです。
今回のことは、衝動でしたことではあるけれど、私の「経験」につながりました。
こんな感じ方ができたとは、やっぱり私は人に恵まれているんだなぁ。優しさをたくさんもらっているなぁ。
はたしてその愛情を私が返していけるのだろうか。新たな課題ができました。
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以上が振り返りです。
お読みいただき、ありがとうございます!