関わらないことも愛情 その1
こんにちは。
こちらに引っ越してきてから1週間ほど経ちました。
先日の記事で、移行について「自覚的に、意識的に」行動した、と書きました。少し振り返って、私なりの思いを書きます。
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動くに当たっては、前々から計画していたわけではなくて、やってみようという衝動のようなものでした。
さよならの記事は、こちらへの移行ができてから書いたわけですが、その時に、読者になってくださっていた方々とのやり取りやつながりを思い浮かべ、どんな反応があるのだろう、と意識しました。
読者登録してくれていてもまったくやり取りのない方もいましたし、ましてや私に知らせず登録してくれている方はどういった方なのか知る由もありません。何度かやり取りをしたけれど、ふいに連絡のなくなった方もいます。
一度でもやり取りした方は、その方の文章の雰囲気で覚えます(^^) アイコンや名前より、文章って強い印象を残します。顔が見えないことによって、それだけ際立つところもあるなぁと思います。文面に個性が出るというのでしょうか。みなさんはどうお感じになるでしょう。
顔が見えれば言葉以外の情報が目に入るので、身振り手振りや表情で察することもできますが、文字や言葉だけでニュアンスを汲み取るのはやはりなかなか難しいですね。
もちろん人様の反応を見るためにブログ移行をしたわけじゃありません。自分の中に動きがあって、実際の行動となっただけです。ただ、それでもやはり気になってしまいますね。
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ついついその人の意図を汲み取ろうとしたり、気を回したりして空回りすることは今までの人間関係でありましたが、ヘトヘトになりますよね。あげくに想像と違ったりして徒労感もあったり。そりゃそうですよね、相手の思いは相手に聞かなきゃわからない。同じものを見ても、感じることはぜんぜん違ったりしますね。
無駄に傷つかないようにするには、相手の感情は相手のもの、私が考えることではない、と自分に言い、「気にしない」と決めて、実践をすることでしょうか。
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ブログを始めてたった1年ほどですが、初めのうちは「自分の勝手な解釈で」変な気を使ったりしていました。
少しずつ、私自身の思考のクセややりがちな行動を認識しつつあったので、相手は相手、と思えるようになってきています。(ブログを書くことで気づくこともありました。書くってすごい効果ですね)
人の本当の気持ちはわからない。そして、わからなくてよい。
そして、私も勝手に想像したり期待したりしてもいい。
本当は、相手にすぐに聞ければいいけれど、そうもいきません。だから、勝手に期待してもいいけど、自分がそれに固執しないで振り回されないで、違ったからって勝手に傷つかず、流せる余力を残しておきたい、と思っています。
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今回の移行で、やり取りをしていた方々がどんな反応をするのか気になると書きました。
けれど、人様の気持ちは私にわかるわけありませんから、連絡をもらえればとても嬉しいだろうし、なくてもこんな一介のブログですしまぁそんなもんだろうと思っていました。というか、まったくなくても仕方ない、残念だけど、と思っていました。そうならそうで、やっていくのみだ、とも。
フラットにいられたのは、自分自身がそれでどんな気持ちになるのか観察してみたいという意識が大きく働いたからです。
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長くなりました、続きます。(3記事あります)