ひとは思いこみでできている

思うこと 気づいたこと なんでも書く

響かない言葉

先日、知り合いからガンジーの言葉を送られた。

ぜんぜん響いてこなかった。もうすでに忘れている。

いくら偉人賢人の言葉だからって、必要としてないときはなんにも感じないんだな。いや、そもそも私から要る、って言ってないしな。

なんて少しひねくれて考えた。

 

私は偉人賢人の言葉には心を動かされない。

以前、犬の表紙がかわいかったから『人生はワンチャンス!』を買ったんだ。水野敬也さんの編著だったし、装丁もきれいで見た目のよい本だった。

いろんな有名人が言った格言を集めたものだった。

内容はいっさい覚えてない。かすりもしてない。

 

こういう「格言集」は、なんだかモヤっとしてるとき、しんどいときについ手を伸ばしてしまう。状況を打開するためのヒントがないかとすがるように読む。

今の自分の状態に当てはまる言葉を探す。

ぴったり当てはまればいい。ちょっと救われたように思うときもある。

でもほとんどの言葉は欲しいものじゃないからすぐ忘れる。欲しくない言葉なんて、ただの文字の羅列にしか見えてない。

そして啓示を受けたように感じた言葉も、読んだことで安心してしまい、その後の行動につながらない。

いったい何のために読んだんだ。

 

だれかにそこだけ切り取られた言葉だけ読んでも表面を撫でるように流れてしまう。

その人がなぜその言葉を言ったのか、前後関係や状況がわからなかったら理解できない。

なぜそう言ったの? 

そのひとはなにがあってそう思ったの?

そのひとはいったいどんな考え方をする人で、どんな思いを持ってるの?

私にとってはこちらのほうが重要項目だ。

 

ことわざや慣用句や四字熟語は大好きだ。

よく口をついて出てくる。言いたくて仕方ないからことわざ集をいつも手に持っておきたいくらいだ。

ことわざは好きなのに、似たような格言は嫌い。なんでかな。

 

だいたい、たった一人の言ったことがほんとうに真理なの?

 

ことわざと偉人の格言との納得感の違いは、言った・思った人の「数」なのかなと思う。

名もないたくさんの人々の思いの集まったことわざや慣用句だから、知恵の集結のような言葉たちだから、説得力もあるし納得するんだ。

だから同じような理由で、俳人歌人の有名な俳句短歌より、川柳のほうがおもしろい。

 

あ、そうか。送ってきた知人は、自分が今その言葉が必要だったんだ。それでその言葉を見て欲しくて私に送ってきたんだ。とわかった。

贈り物、と捉えたらいいのかな。

でもね、わざわざ格言を送ってくるのは説教くさいし押し付けがましいよ。私はそう感じる。

私は偉人賢人の言葉より、あなた自身の言葉を聞きたい。

幡野さんの本(感想のやりとり)

『なんで僕に聞くんだろう。』の感想を知り合いに聞いた。

私はまだその時は読んでいなかったが、視点や捉え方がまったく違っていて、それはそれで面白く感じた。


知り合いの感想は、内容のことではなかった。

「リアルタイムで読むには良い回答者だと思います。でも、折り詰めの寿司のように、人生相談というものはまとまるとつまらない」といった趣旨だった。

それは回答者がだれであっても同じだと。本というまとまった形になることで新鮮さが失われるからなのか、返答はもらえなかったからわからないけれど、文脈からそう判断した。

折り詰めのお寿司…? わかるような、わからないような。

この「折り詰めの寿司」に対しての思いも知り合いと私とではまったく違っているんだ。

知り合いは、たぶん、新鮮さが失われた状態だと言っている。お寿司は握ってくれるその場で食べるのが最上だといっているのだ。

しかし私には折り詰めのお寿司は、宝石箱のように感じられる。いろいろなものがギュッと詰められていて、色とりどり。新鮮ではないかもしれないけど、持ち帰って食べるぶんには十分な鮮度だし、カウンターで握られた寿司を緊張しながら食べるより持ち帰りの方がかえって好きかもしれない。

いずれにせよ、幡野さんの言葉たちについての感想ではなかった。私はそれを聞きたかったんだが。


幡野さんのネット上での人生相談→回答は今も読んでいる。とても面白い。なにが面白いのかわからない。胸をえぐるようにつらく感じる時もある。

だけど私は、幡野さんのやり取りは人生相談ではない、と思っている。

そういう形式をとっているだけで、相談者は幡野さんに具体的な回答を求めているわけではないと思う。

もちろんこの人ならどんなふうに答えてくれるだろうか、とは思うけれど、でも、それぞれの答えというものはそれぞれの中にすでにあるものだ。

それに気づいていないだけか、自分では言い出せないから引き出してほしいのか、気づいていることへの後押しをしてほしいのか。

いずれにしても、回答をしてもらってその通りに動くとは思えない。考えるきっかけにはなるだろうけど、考えるかどうかもわからない。決めるのは相談者だ。


言いにくいから言わない、見ないふりしている、聞かないふりしている、

そういう「耳に痛い言葉」がある。本質的な、ズドンとくる言葉。

人はそれを、幡野さんの言葉に求めてるんだと思う。


まぁまぁそれは言わずにおこうよという政治家の答弁のような、論点をすり替え結局何が言いたいのかわからなくさせるような、ケムに巻くような言葉の数々。

人々はこれに飽き飽きしているんだ。


幡野さんの人柄が信頼できるから相談する、ということでもないと思う。だってほとんどの人が幡野さんのことをなにも知らない。私だって、幡野さんが今までどんなふうに生きてきて、どんな考え方をし、どんなものを好むのかまったく知らない。そして知らなくてもいいと思っている。


ただ、寿命がわずか数年ということを受け止めざるを得ない人の、無駄なことなんてしてる場合じゃない人の、とても貴重な時間の中での言葉の重みは強い。

そしてそれが厳しいものであっても、嘘ではないだろう、心の奥から出てきた言葉なのだろう、というすがるような気持ちで読む人は捉えているんだと思う。


幡野さんなら何を言ってくれるのか。

耳の痛いことも言ってくれる=心の底の話をしてくれるのでは、と思うから、

ふだん人に心の話をすることのない人々は、勝手に期待するのだと思う。


心の奥の話なんて、友人同士の間でもめったにしない。

親兄弟なんてなおさらしない。少なくとも私はしない、決して。


そんな心の奥のことは、人はそれこそ心の奥底にしまいこんで、育てる。

ふだんは見ないふりしてやりすごして生きている。でも消えたわけじゃない。

言えない・話せない分、どんどん育つ。

そしてどうなるのか…出てこないままか、自分の内におしつぶされそうにパンパンになって苦しむか、暴発してまき散らすか…どうなるんだろう。


幡野さんに言う=自分との対話、なんだ。

自分の考えに囚われていきづまっている人に、ちょっとした視点の違いから風穴を開けてくれるのが幡野さんという存在だ。


たいがいの答えは自分の中にしかない。

耳に痛い言葉だって、自分の中にしっかりある。みんなわかっている。

だけどごちゃごちゃになって混乱していると見えなくなるので、ちょっとした気づきの言葉があると、ようやく冷静になれるんだ。

 

よくよく考えたら、私に残る寿命など誰も知らない。今日のうちに死ぬかもしれない。幡野さんが余命数年だ、と聞いてつい深刻な気分になったりするけど、まったく大きなお世話だ。人のことを心配する前に、自分のことをしっかり見ろ、と自分で思う。

しかしどうしたって今日に続く明日、を信じてしまうし、何よりも貴重な時間を無駄遣いすることもしてしまう。

だから、体も心も自由に動けるのはあとどれくらいか、と具体的に計算し行動する、「生きる」ことを輝かせようと動く幡野さんの姿勢はまぶしいし、目を見張らせる。


いろいろな内容の人生相談だけど、だいたいの内容はうわべのことだ。

今起こっていること。今まで解決できなかったこと。もう起こってしまったこと。

そのうわべの内容にいくら回答があっても、問題の本質はそこではないのでまた同じことが起こるだろう。

そしてそのうわべのことに囚われて逃れられなくなってしまうほど、混乱しているのだと思う。

 

みんな、話したい、聞いてもらいたい、吐き出したい、ということなんだと思う。

私の話を聞いてほしい、ということなんだ。

だからあの本は、「人生相談本」ではない。


話して放すことで、自分を立て直したい。

その手助けが幡野さんからの言葉なんだ。

ひとつひとつのケースが重要ではなくて、相談者と回答者とその間の空気感を見る読者、の3つでできあがるものなんじゃないかと思う。

 

私は写真にはまったく興味が湧かない。

でも幡野さんの著作を読んで、日々発信している言葉を読んで、

それらの内容や言葉から、何を写真に焼き付け、どんな言葉を添えるのか、ということには興味を持った。ファンではないが、動向を見ていたい人のひとりだ。

生きることをどう表現するのか、を見ていたい。

この人の「感覚」に自分をすり合わせ重ね合わせると、自分はどうなるのか、ということに興味が湧く。主体は自分だ。

 

#なんで僕に聞くんだろう

#幡野広志さん

自分の感じることがいちばん

「搾取子」「愛玩子」という言葉を知った。それぞれの特徴について調べた。
私は「搾取子」だった。


ここ最近、親(母親)について考えている。もう関係を切りたいからだ。
日本の法律では、子から親を切り離すことはできないそうだ。(なんて遅れている国だろう)


具体的にあったことを思い出す。
だけど思い出して頭の中で記憶をふたたび上映しても、それはただの出来事ではなく、自分の「思い」も絡まったものになっている。だから事実ではない。思い出で補正されているから。
だけど、自分が思い出して感じていること、それが自分にとっての真実だ。
自分が感じていること、湧き出す感情、ギュッと縮むような感覚、よぎる思い、自分だけの思いは自分のものであって、それがいちばんだ。


一度は、親も親になれてなかったのだから仕方ない、と流そうとした。流せると思った。
無理だった。
親への怒りが再燃し、怒りを感じる自分にも怒り、とてもとても嫌な気分だ。


できるだけよかったことを思い出そうと努力した。
だけどどんなに小さなことでも、
つらかったこと、淋しかったこと、嫌な思いをしたこと、バカにされたこと、認めてもらえなかったこと、ここにいてもいいと思わせてもらえなかったこと、決めつけられたこと、頭からできないと止められたこと、信用されなかったこと、人の人生に口出ししてきたこと、
苦しい思いをしたことが心から離れない。
だいたい、一回だけでこんなに恨みに思い、憎く感じるはずがない。
何度も何度もされたからだ。


日常生活に紛れてほんのささいなことでもそういう毒が言葉のはしばしに、行動に現れていたんだろう。
ただでさえ子どもは親の動向、顔色を見る。敏感に察知する。
親の思いを察して、自分がピエロになってまで親を笑わせ満足させるようにする。
自分の気持ちなんてそっちのけだ。


ごく幼いころから社会に出るまでの長い期間、ずっと閉じられた家庭という場で、繰り返し繰り返してきたんだ。呪縛だ。


離れている今でも、記憶という刃物になって私を傷つける。あの心ない言葉や表情が憎い。それをはねのける力がなかった自分が憎い。悔しい。


自分にもよくないところがあったから…、自分がいい子にしてなかったから…、
もうそんなこと思うまい。


私は、私の感じていることをいちばんにする。
私が嫌だと感じれば、嫌なんだ。
私がきらいだと思うなら、きらいでいいんだ。
私の心は私が守るんだ。
そして、私は私の思うように立つ。

 

#搾取子 #愛玩子

子どもを産みたいと思ったことがない

ひどく怖い夢を見た。

夫が子どもを作って、遊びたい時や世話したい時にどこかから連れてきて、いらなくなったら箱にでもしまっている、という感じの夢だった。

いったいどういう状況だ。

子どもは、産まない私に代わって別の女性との間に設けた子で、私がその存在を知らないうちにその子どもは走り回るくらいの年齢になっていて、夫が「ちょっと外に出して世話してみよう」と思い立ったから連れてきた、みたいな状況だった。

めちゃくちゃだ。

 

夢だからつじつまも合わないし、前後関係も設定も無理がある。だけど、ありえないとは思えない。しょせん自分の頭でこしらえる話だから、そうそう突飛なことは出てこない。そして、その時の会話も普通だった。

そんなペットみたいな扱いして、世話もできないんなら産むな!と私は言い募っていた。

子どもは走り回っている。車の通る危険な場所でも構わずに生き生きと笑っている。

でも我々には追いかけたり、危ないからと引き戻す体力も気力もない。

危ない、と思いながら走っていく子どもをハラハラと見ている。

ほら!自分に世話する力量もないのに簡単に子どもなんか持つから!と怒っていた。

勝手に作った設定だけど、私はよそで作ったということに傷ついていた。私が産まないからこんなことになったんだ。私のせいなんだ。

私は子どもを産みたいと思ったことはないけど、結果夫にはその意向に従わせてしまったことになるから、申し訳ないという罪悪感がある。私と一緒にならなければ、子どもを持つ人生があったかもしれないのにね。

今思えば、夫も、子どもも、私自身の投影かもしれない。

 

なんでこんな夢をみたか。

昨日私はあらためて、今まで子どもを欲しいと思ったことがないな、と思い出し、同じことを思う人がいないかネットで探していたんだ。

 

子どもがいない女性には、ひとりひとりありとあらゆる思いがあって、それは子どもがいる、もしくは子どもを欲しいと思っている女性の思考とは雲泥の差だ。

ひとりひとり違うからだ。

子どもが欲しいと思う女性は、つきつめれば「ただ欲しいから」、なんだと思う。

生物としての本能?

種としての存続?

家庭を持ったら当たり前?

いろんな理由づけをしているけど、それぞれなんだかよくわからないけど欲しいと思うから欲しいんだ。

だけどその思いは絶対的だ。絶対ではないけど数量が多すぎて、今のこの世の中や世界でのスタンダードだ。

 

子どもが欲しいと思いながら産めないもしくは産まない女性もいる。

子どもがいないことは私と同じ。

だけど私からすると、それらの女性は「産みたい」という思いを持っているから、私とはぜんぜん違う。

産みたくて産めない女性も、産みたくて産まない女性も、私からすれば世のスタンダードでジョーシキだ。

 

このスタンダードから外れるとどうなるか。

私は自分がおかしいんだ、と思って生きてきている。絶対的多数のジョーシキの前には声も上げることはできない。否定され、狭い価値観を押し付けられ、追いやられるだけで、理解なんてお互い無理だ。

そうでなくても絶対的多数になれなかった私は、自分をものすごく責めている。

え、せっかく女性として生まれてきたのに子どもを産まないなんておかしいんじゃない?

え、家庭を持ったら子どもを持つことがフツウなんじゃない?

え、女性ならだれでも子どもが欲しいと思うんじゃない?

社会のために産まなきゃならないんじゃない?

自分の遺伝子を遺したいと思うんじゃない?

愛する男性の子どもなら欲しいと思うんじゃない?

 

どれひとつ思ったことがない私は、この世界で生きてはいけないのかもしれない、と思うほど自らを責める。

生きていく上でのジョーシキは持っているけど、人間としての情緒に欠けるのではないか。

 

自分を責める自分も、世の中の価値観に縛られているってことなんだろう。

フツウ、当たり前、と人々が言うそのフツウ、当たり前は、あんたたちがその少ない経験の上から言ってるだけで、聡明な人はそんなしょうもないことは言わないよ。

しかしがんじがらめになってしまっている私は、まだこれを個性だとは思えていない。

自分で自分を蔑み、下に置き、知らぬふりをする。

子どもを産みたくない、と思う私が自分はそれでいい、と思えるようになるために今日も生きるしかない。

 

↓これがスタンダードな世界になったらいいのにな。

◎「子供を持たない選択」をした人について、知ってほしい5つのこと

https://www.google.co.jp/amp/s/www.huffingtonpost.jp/amp/entry/childfree-decision_a_23344135/

◎「結婚はエラい、子供がいればもっとエライ」と思う人へ...

さわぐちけいすけさん

「まとめられる筈の無いこと」

https://twitter.com/tricolorebicol1/status/870971066595778560?s=21

 

人間関係のバランス

自分にとって相手が過剰にプラスだと、自分がマイナスになってバランスを取ることがある。

相手の過剰さ加減にもよるけれど、今の“低く下がっている”自分に対して、あまりに情報過多だったり、キラキラと輝いていたりしたらダメだ。自分は卑屈なほどにマイナスに「なろうとする」。

それは逆の立場になることもあって、こちらが元気いっぱいな時、相手に負担をかけてしまっているかもしれない。そんなことがないか、自分の行いをできる範囲ででもチェックすることは、礼儀と思いやりだと思う。その礼儀と思いやりは、相手だけでなく自分にとってもだ。

しかしなぜ、まるで「あなたの輝かしいことに私は釣り合いませんよ」と言わんばかりにマイナスに低く下がってしまうのか。そんなもの、相手はただ言いたくて言っているだけのことなのだから、聞き流せばよいし、そもそも聞かなくたってよい。過剰な状態ということは今のところ向かうところ敵なし状態ということだ。私が合わせたり聞いてあげなくたって敵なしだ。

自分にとって守るものは自分なのだから、過剰さにやられて「どうせ私はそんな話には乗れない」「楽しい話を楽しく聞けない」なんて感じる前に、自分のことをいつくしんであげるほうがよほどよい。

だいたい、人間関係はバランスだ。どちらかが一方的に強すぎると続かない。

いつもなら、ひとつのボートにふたりで乗って、ゆらゆらバランスしながら関係を続ける。ひとりがボート上でジャンプしたり踊ったりしたら、一緒にボートに乗れない。

あ、今日相手は過剰だ、と感じたら、その楽しげな情報過多なキラキラな会話に乗れないことに、申し訳なさや苦しさや自責は感じなくていい。ただそんな時に遭遇してしまっただけ。

今の自分は低く下がっていて重いかもしれない。でもいつもじゃない。

そして、高く上がっていて軽い相手にこちらがわざわざ合わせて、より低く下がらなくていい。今よりマイナスにならなくていい。

苦しいのに無理やり上がらなくてもよい。今の自分ができることを、自分のためにすればいいんだ。

 

苦手な絵本

 

ヨシタケシンスケ氏の絵本や本が苦手だ。

 

年上の友人から、ヨシタケ氏の本をよくいただく。(ありがたき幸せ)

『思わず考えちゃう』(エッセイ)

『ころべばいいのに』(絵本)

…ほかにもあったけれど、今手元にない。

ただ楽しいから、好みだから、もしくは生きるのに役立つように、という気持ちで贈ってくれているのだと思うのだけど、

読むたびに「あっ、やっぱり苦手…」となる。

なんで苦手なのか考察してみよう。

ヨシタケ氏の本や絵本は、生きるのにしんどくなる心の部分をえぐってくるから?読んでいて苦しくなるから?読んでいて楽しくないから?

確かに内容は「まるで自分について言われているようだ」と思えるようなものだ。

でも感覚が合わないのかな?違和感を覚える。すごくモヤモヤする。

このモヤモヤが気持ち悪い。

たとえば『思わず考えちゃう』

一読して数ヶ月経った。内容はさっぱり覚えていない。

でも一読したときなんだかモヤモヤが残って、あんまり好きじゃないな、と思ったのは覚えている。

ちっとも共感できなった。

 

贈ってくれた友人に感想の一言でも言えたらと、本の中のエピソードでよかったと思った部分を探しながら読んでも、やっぱりどれにも共感できなくて、再読もしてない。

このエッセイの中にも書いてあるけど、ヨシタケ氏は心配・不安症で、めんどくさめの人、要領もよくない。

そういう点、自分もそうだから感じ方としてよく理解できる。

たぶん、同じ不安なこと心配なことがあったとき、それを解決したりいなしたりする手段がぜんぜん違うんだろう。

ただその手法が私には遠くて、ほぅほぅそういう方法もあるのね、でも私はその方法は取らないな、と思うんだ。交わらないんだ。

近いけど遠い感じ。

立っている高さが違うのかもしれない。横の方向にはいない。縦方向に離れてる感じがする。

たとえば『ころべばいいのに』

うん。よくわかる。よくわかるよ、こうした気持ち。きらいなひと、いるし。でもきらうと自分の中がぐちゃぐちゃになって、余計に苦しくなるんだよね。だから、なくそうってもがくけど、なくならない。なくならなくっても、自分を機嫌よくいさせてあげるために、好きなものや好きなこと、避難場所を作っていこうって思うよね。苦しいのは私だけじゃないし、ものごとを俯瞰したり客観的に見られるようになったら、ふと楽になったり、自分なりの解決策を考えたりできるようになるよね。冷静になって。

…うん、よーくわかるよ。

頭の中で思い巡らせていたことを絵本にしてもらって、わかりやすくなってる。

うんうん。

でもなんでだろう、まったく共感できない。そうよねー、とは思うけど、その通りとか、納得とか、そうなの!とか思えない。

***

私は本には「楽しみ」を見つけたい。

その「楽しみ」は、心を動かすものだ。

その「楽しみ」は、苦しく感じても、悲しく感じても、絶望を感じても、でもやっぱり「読む楽しさ」なんだ。

ジャンルや時代は関係ない。

文字を追っていくと、心をぐいぐい揺さぶられる。奥の方に触れる。ギュッとなる。パーッと解放される。

キラキラと光を感じ、トンネルの中のような暗闇を感じ、どこへ連れて行かれるか知れないワクワクを感じる。

主人公たちに共感できなくても、その気持ちを想像したり、そんな見方をするのかと発見したり、本を読んでいる間じゅう、心は忙しい。早く続きを読みたいけど、もったいなくて読み終えたくない。

そういう本が、私の好きだと思う本で、「本の楽しみ」だ。

 

だから、そう感じられない本はやっぱり苦手で、本ならなんでも好きだと思ってたのだけど、違うことがわかった。そうして、それでもいいのかもしれないな。

苦手は苦手、さっぱりした。

 

 

私の原点

高校生の夏休み、国語の宿題で「小説、随筆、詩、俳句、短歌、読書感想文のいずれかを書いて提出」というのがあった。(うろ覚えで、俳句・短歌はなかったかもしれない)

それらは学年ごとに添削されて、選ばれたものは学校発行の小冊子にまとめられて配布されるというものだった。

 

文才などないし、読書感想文は大の苦手で、毎年提出するだけで精一杯だったが、3年の時に「随筆」らしきものを書いた。

随筆、なんていうと大仰だ。エッセイでも大げさだ。ただただ思いの丈を短い文章でまとめただけのものだったけど、小冊子に載せてもらえた。

原稿用紙たった数枚でも、夏休みの間じゅうヒィヒィ言って、ああでもないこうでもないといっぱしに悩んで書いたものだ。

まさか選ばれるとは思ってなかったけれど、3年生だし、最後に書いてみよう、と思って書いたんだった。

先生の校閲も入り、活字になった自分の言葉は、まるで録音した自分の声を聞いたみたいに気恥ずかしく、自分のものではないみたいで、でもまじまじとそのページを眺め、手の指で撫でた。

友人は小説で載っていた。彼女の文章は美しく幻想の世界を描いていて、こんなものが同い年で書けるなんてすごい、と憧れた。

 

もともと美術系の大学の姉妹校で、美術コースにいけたら、と入学した高校だったが、選抜の時(いやそれ以前の授業でも)、基本的な手技手法も知らず、デッサンもできない私は、絵を描くこと自体が無理な話だった。単にお絵描きが好きだっただけだ。

技術はもちろんだけど、なにより欠けていたのは「自分のなかから生み出す力」だった。

私には描きたいものがなかった。湧き上がる表現力も情熱もなかった。

今も、何もないところから何かを表現することがどうしても不得手だ。どちらかといえば、既存のものを模倣したり、変化させていくほうに面白みを感じる。

 

美術コースに行けなかったことは、かえってよかった、とあとで思った。

ぶつけたいなにかも、抑えられないなにかもなくて、芸術の世界で生きられるとは思えないからだ。

今のようにその道へ進めば違う道が開けるというようには思うこともできなくて(情報不足)、私は人里離れた場所で生きる無骨な絵描きになりたかった。そんな世界に憧れただけだった。

生み出すことは苦しく、でもそれだけ喜びだと憧れ渇望する気持ちはあるけれど、私の領分じゃない。

 

それでも、絵と同じように好きな本みたいに、自分の言葉が形になるなんて、宝物のようだと思った。

なにも言いたいことがない、と自分で思っていたけれど、ちゃんとあった。小さい声で訥々と話したことも、形になることで私の身になった。そして自信にもなった。

本を書く作家の方々ってこんな気持ちなのかなぁと想像する。求められていることの嬉しさ、書きたいことを表現することの喜び。すごいことだ。

 

高校3年生の想い。そのころも今も、千々に乱れる想い。

書いた内容は、そのころから成長していない。今もおんなじことを思っている。ちょっと情けない。でもそれが私の原点なんだろう。

 

その冊子は今も家のどこかに置いてあると思う。

弱音 その2

甲状腺の腫瘍について、手術してしまったのにいまさら考えても仕方ないけれど考えてしまった。

 

腫瘍ができたはっきりした原因はわからない。

…というか、医者はそんなことなにも聞かないんですね?

できたことだけを見て、それをどうするかだけを考えるんですね。

私のことはどうでもいいんだ、と感じた。えっ?現代の医療ってこんなんなの?

 

医者は原因を探らない。

 

それがよくわかったので、医学的知識のない私は、無知な私なりになんで腫瘍ができたのか想像してみた。

 

秋からホットヨガを始め、もともと気が巡りにくい体質だったのが、ヨガをきっかけに解消された。ふだん動かすことのなかった身体を動かして、気も発散されるし体力を作るにも役立つ運動だったと思う。

よくなかったのは、ホットだったことと、急激に回数を増やしたことかもしれない。

ホットだったことは、私の体質がのぼせやすくホットに向いてなかったことで、汗をかきすぎて気が一緒にどんどん流れてしまい、一気に消耗してしまった。

代謝がよくなったことはよかったのだけど、その変化が急激であり、代謝を担う甲状腺に多くの仕事がやってきてしまった。

 

もとの体質は気滞ではあるけれど、やりすぎてしまい気虚に陥ったんだ。そして、運動すると鉄分も多く消費するから、当然のこと血虚にもなる。

そして私はもともと貧血だった。

自分で自分をしんどくなるように追い込んでいた。

 

そうしていても、補充をしなかった。

大人になってから初の運動のようなものだったのに、動くこと出すことばかりで、メンテナンスや栄養分の補充が追いつかなかった。

身体に無理をかけて、消耗していった。

結局、負荷がかかりすぎたんだ。

 

首のところが腫れているのに気づいたのは、ヨガを始めて半年過ぎた頃だった。

 

慌てて甲状腺のクリニックに行って、腫瘍ができているから手術を勧めると言われたけれど、

その時点では甲状腺の機能には問題なかったのだから、そして急激に現れた症状だったのだから、ヨガをいったんやめるか回数を減らして様子を見ることもできたんじゃないのか。

今ではそう思えて悔しい。

わざわざ切る手術をしなくてもよかったんじゃないのか。

切る手術をして、別の病気を引き起こすなんて本末転倒じゃないか。

そもそも、切ったらこうしたことが起こりうるなんて、クリニックでは一切言わなかったじゃないか。

悔やむ。知識がなかったことが悔しい。

 

いまさら手術していない人生を選ぶことはできない。

だけど、考えてしまうんだ。

弱音

甲状腺の腫瘍が見つかり、手術で右葉を切除してから2ヶ月半経った。

日に日に元気がなくなっていくことがとてもつらい。

 

 

手術後の傷の経過は良好。

手術前に聞いていた外科的な副作用として、ひきつれや嚥下の際のつっぱり感が現れたが、時間とともに穏やかになってくれたらいい。

傷口も、ゆっくりと目立たなくなってくれたらいい。

 

それよりも、残り半分の甲状腺ががんばってがんばって、でもがんばれなくなった。切除したことによる「甲状腺機能低下症」に陥ったことがショックだった。

 

入院前は、甲状腺の機能自体は問題なかった。ただ、しこりができただけ。

そして入院中は普段の生活よりよほど元気だった。

からしこりを取って退院しても、こうして元気のままいられるんだと思っていた。

 

退院後すぐ、なんだか調子が悪い。

だるく、動くとすぐにしんどくなる。息切れがする。なんでだろう? 

入院中も動くようにしていたし、階段での上り下りも積極的にして、体力が落ちないように心がけていたけど、やっぱり落ちるものなのかな、と思っていた。

 

退院してから1週間目、外来での血液検査で「甲状腺機能低下症」になっていることがわかった。TSHが基準範囲内の数値から大きく出ている。

チラーヂンSの25μg×2(調整可能なように。実質は50μg/日)を服用し始める。

 

甲状腺機能低下症は、甲状腺ホルモンの量が足りなくなって、徐々に身体の働きが落ちていく。

甲状腺は「代謝を担う重要なホルモンを出す臓器」であり、なくなると死ぬ、と外科医に言われた。

ホルモンの量が足りないので、薬で補充する。

甲状腺ホルモンが足りない状態は「なんともいえないしんどさ」と表現されるそうだが、本当にその通りだ。

動こうとしてもすぐにガス欠になる。常にだるい。寝ていたい。

本人にしかわからない苦しさだと思うけど、身体だけでなくて、精神症状に大きく症状が出るのが私にはとてもつらい。

 

その2週間後の外科外来で、腫瘍の病理結果と血液検査を受ける。

腫瘍は良性だった。

 

手術をする前の細胞診検査では、クリニックで「不明」、外科病院では「良性」と出ていた。けれど、はっきりと結果として聞かされることがこれほど安心に感じるとは。

血液検査では機能低下の「傾向がある」までは回復した。TSHの数値は基準値ギリギリだった。

たしかにその頃にはしんどさが少しマシになっていた。移動や動くことを最小限にして、ひたすら休むようにしていたから、ということもあるかもしれない。

 

手術をした病院での外来はここで終了し、以後は初めに行っていたクリニックでフォローしてもらうことになる。

けれど、終了後からまたどんどん調子が悪くなっていった。

 

ひと月後、クリニックへ再来。先生にどうかと聞かれたが、「しんどいです」の言葉しか出てこなかった。

今回は血液検査なく数値がわからない状態だったけど、チラーヂンの量が少ないのじゃないか、という私の訴えには「うーん」と明確な返答はもらえなかった。

とりあえず、食事が取れているか、睡眠が取れているかを確認された。

食欲はなかったし、眠りも浅く眠れた感はない。食事は食べないことも増えていて、内容も極端に量が少ないか、栄養を無視したメニューが重なっていた。

体重が減っていることを指摘され、食事が取れるように漢方などの薬もありますよ、と言われたが、減ったといっても半年で3kgぐらいである。そんな急激なものじゃない。

でも、食べないと体力の回復にはつながらないことも理解したので、受診後はなるべく食事をするように心がけている。

食べたら食べたで、やっぱり身体が元気になってくることもわかる。食欲が湧くこと、おいしさを感じることがまだ少ないけど。

睡眠は、睡眠導入剤を処方してもらう。持っているだけで安心だ。

先生としては、普通の生活を送り、基盤をしっかりさせることを言っていたのだと思う。

だけど私はしんどすぎて、でもそのしんどさを縷々訴えても明確な答えを返してくれない先生に不信感を持ってしまった。

 

現在は、婦人科の治療も併せてしており、その影響もあって、ホットフラッシュや血圧の上昇、精神面での症状が強く出現している。

 

素人の私には、どっちがどっちの症状なのかわかりゃしない。

とにかく身体に振り回されている毎日。

知らないことは恐ろしい。無知は悪いことを引き寄せてしまう。

 

ともかく次回の甲状腺クリニックの受診では血液検査がある。TSHほか、現状態を診断してもらうこと。

そして、未来のなりたい姿について思いを話すこと。私はチラーヂンを飲まない身体になりたいが。

あとは、現状の私に合う薬を処方してもらうこと。(チラーヂンだけでなく、食欲や精神症状に効いた漢方薬があるから)

 

長くなったので、思ってしまった怖いことは次回に。

 

幸せってどんな感覚?

旦那さんと話していた。

「幸せと思う時ってどんな“感覚”がする?」

 

あれをしたから幸せ、これをして幸せ、というのではないんだ。

幸せだなーと思う時の、身体の感覚、五感みたいなものを知りたくて。

旦那さんは、華やかな気持ちになる、と言った。派手さはないけど、ふわっと身体が浮き立つような感じ。

ぜんぜん違った。

 

私の場合は幸せだと思ったと同時に“おそれ”が湧いてくる。

だから、何かから身を守るように背中がちょっと丸くなったり、手をグッと握りしめたりする。

この今の幸せがすぐに消えてしまうんではないか、と思うから、身を潜めるような動作をしてしまう。けして手放しで解放された気分にはなれない。身体の感覚は硬いままだ。

幸せは一瞬のことで、すぐになくなってしまう。この今の幸せを逃したくない、とギュッと縮こまる感覚だ。

 

そこでちょっと客観的になってみよう。

こういうことを言う人が、幼いころの自分だったら。またはごく若いころの自分だったら。

そうか、もしかしたら、幸せだー、楽しいーと思った時に、なんらかの事情でそれを取り上げられたり、中断されてしまったのかもしれないね。もしくは取り上げられたと感じてしまったのかもしれない。

事実はどうあれ、私の中の私は、今にもそれがなくなってしまう、ということにフォーカスして、それがずっと続いているんだな。

何度も何度も重なって、そう思い込むようになったんだろう。

ちょっとかわいそうだな。

 

そう、幸せは瞬間的なものかもしれない。これからも取り上げられたり中断されたりするだろう。

だけどね、幸せは何度でも感じていい。ずっと続かなくても、何度でも感じたらいいんだ。

たった今から、今の自分の幸せの感覚を持ったらいい。

 

どんな感覚を味わいたい?

ふんわりと緩んだ感じ? 

あたたかいお風呂につかっているような? 

光が眩しい感じ? 

きれいな音が聴こえる? 

表情は力が入っておらず優しい感じ? 

身体のすみずみまで空気が行き渡る感じ?

横たわって、とても楽な状態?

 

誰に明け渡すことのない、自分だけの感覚。

どんな感覚でもいい。今から作っていける。

 

 

人に明るく楽しい言葉をかけると

人に明るく楽しい言葉をかけると、自分が明るく楽しい気分になる。

人に軽やかに接すると、自分が軽やかにいられる。

 

その人への心配は、自分の心配。

その人の気になる部分は、自分の気になる部分。

人のために、なんて嘘。自分のためにやってる。

人は、自分の見たいようにしか、世界を見ない。

 

そして、その人を信じるということは、自分を信じるということ。

 

自分がそうしてほしいように、人に対することだ。

だんだん実感するようになってきた。

新しい出発の仕方

若干執着していることがあった。このまま今をなんとなく過ごしていると、まだしばらくは心を縛られてしまいそうな、そういう気がしていた。といっても、それをとめようという意識も働かない、どっちともつかない心の状態だった。

 

身体はどういう感覚でいるのだろう?

身体は、これから進む方向を向いている。前を向いている。

でも感情が、まだ行きたくないと、うしろを振り返っている。

 

過去や思い出にとらわれることは、今の自分には甘く、その場所から動かなくてよいからぬるま湯にずっと浸かっているような感じで、とても心地よい。

その執着や心残りは、別段断ち切らなくてもいいものかもしれない。抱えていたって今のところは問題ない。

だけど、これから別のところへ行くと決まったから、気持ちとしてはまだそこに居たいけど、ずっとそうはしていられない。

やわやわとごまかしながら消えていくのを待ってもよかったかもしれない。しかしそうすると、その執着している事柄ごと、きっと輪郭がぐずぐずに溶けてしまって、形も思いも曖昧なものになるようにも思えた。

 

居場所が変わることで、えいやという気持ちで自ら変えていったことも今までは多かった。

どう変えるかといえば、飽きるまでやり切ること。もういいか、と思えるまで続け切ることだ。

今回は期せずしてそうなった。自分から選んだわけではなかったけど、巡り合わせがそうなった。結果、それでよかった。飽きたことで、今までのことを思い出として抱きしめることができた。

 

うしろを引きずることはもうないと思う。といって、力を込めて前を向いているわけではない。

それほどの力みがないことが、今までの私とは違う。偶然に助けられることってあるんだな。

飴を舐めるようにそのころの甘さを時々は思い出すだろう。もう少しひたっていたかった。でももう出発だよ。

愛おしい私の臓器

以前とは、身体が変わってしまったな。

ついふっと思ってしまう。

そりゃそうか、手術したんだもんね。

今まであった臓器が半分なくなったんだから、今までとは違うんだ。

 

今までと同じような動きはできないかもしれない。身体の中でのはたらきも今までとは変わってしまった。

身体は変わったのに意識はぜんぜんついてけない。

 

なくなってしまってから、感謝があふれてくることを実感した。

私の身体への感謝だ。

私の臓器への。

とても愛おしく思う。

がんばってくれてたんだね、って思う。なんにも言わずにひとり、私のためにがんばってくれてたんだなぁ。こんな私でごめんね。

 

そんなふうに思うなんて思わなかった。

腫瘍となった悪いところを取れば元通りになる、とか思っていた。まったく大間違いだった。

まず良い悪いではない。

そして「悪いもの」と捉えるのはいやだってはっきり思った。ぜんぜんそう思えない。

悪いものじゃない、私にとっては。

 

人の言う、腫瘍は何かのサインだ、とか、◯◯したからそうなったんだ、とか、怒りの感情の現れだ、とか、そういうのいらない。

原因探しも、なにかの意味づけもしない。

腫瘍は腫瘍。

なにかのきっかけでできてしまい、大きくなってしまった。

偶然やタイミングが重なっただけだ。

 

できたら私の臓器をもう一度返してほしいけれど、それは切除してしまったからそう思うのであって、手術しなければそんなこと思わなかっただろう。逆説的だ。

外来で先生に画像で見せてもらった。全体像と、病理検査に出すために薄くスライスされてるものと。

もちろん見たことなんてないから、こんな形、こんな色をしてるのか、とまじまじ見たけれど、

画面に写った写真では、実際の大きさや形、重さ、質感はわからなかった。

 

気持ち悪いとは思わなかった。

思えるはずはない。

腫瘍ができてしまっていようと、変質してしまっていようと、これは私のものだ。

 

血を見るのが苦手な私が、取り出した臓器に対してこんなに愛おしく思おうとは。

たったひとつのもの。私だけのもの。

手術しなければ一生見ることのなかったもの。

 

検査のあとはもう捨てられてしまっただろうけど、願わくば、未来に医師になる方々のなんらかの役に立っていたらいいな。たくさんの臨床の中のひとつの例として。

私のたいせつなたいせつな臓器。

自戒を込めて

HSPだったり、心がしんどくなってしまった方は、

たったいまから何もかも置いて、呼吸をする。10回くらい息を吐いて、吸って、深ーく深ーくなるようにやってみる。

そうしたら頭がちょびっとだけモヤモヤから遠ざかれると思う。

 

東洋医学には「心身一如」という言葉があるけれど、心のことって、心だけのことじゃない。

必ず、身体。

心のことに集中して、心のことしか見えなくなっているときは、ほぼ身体を無視してる。

 

スマホやパソコンに向かって、いろいろ言葉をこねくり回しているときは、身体は置いてけぼり。

「頭の中」だけでワーキャーやってる。

いろんな自分やいろんな人とヤイヤイやり取りしてる。すごく忙しくしてる。でもそれは忙しいつもりになってるだけで、身体は固まってる。身体は冷えてる。

 

頭の中が堂々巡りになってるなら、今すぐスマホを置いて、なんでもいい、好きな動きでいいから身体に目を向けて、動かすこと。

足の裏をさすってもいい、大きくのびしてバンザイするのでもいい、首をゆっくり回すのでもいい、かかとを上げ下げするのでもいい、

そうしたら、頭がちょびっとだけモヤモヤから遠ざかれると思う。

 

悩みはなくならない。

悩むことで得ているものもある。

苦しくつらいときは、そう思いたくはないし思うこともできないけど。

 

でも、たったいま生きている自分のことを見てあげられるのは、自分しかいない。

悩みの中にどっぷり浸かるのは、いまいる自分からそっぽ向いているのと同じこと。自分がいちばん自分から遠い。

 

大丈夫、たった5分10分のあいだ違うことしたって、悩みはなくならない。

悩みたいときはいつでもどーんとそこにいる。

だけど、悩みに自分の領地を明け渡したくない、と思うなら、ちょっとずつ距離を取るんだ。

いつでも悩みには帰ってこれるんだから。

 

悩んでないと私じゃない、なんて、自分の思い込み。

悩んでない私も必ずいるし、悩んでない私になれるし、そうなりたいと決めたときから、心は自分の味方になってくれる。

自分が自分の味方になる。