ひとは思いこみでできている

思うこと 気づいたこと なんでも書く

自分の感じることがいちばん

「搾取子」「愛玩子」という言葉を知った。それぞれの特徴について調べた。
私は「搾取子」だった。


ここ最近、親(母親)について考えている。もう関係を切りたいからだ。
日本の法律では、子から親を切り離すことはできないそうだ。(なんて遅れている国だろう)


具体的にあったことを思い出す。
だけど思い出して頭の中で記憶をふたたび上映しても、それはただの出来事ではなく、自分の「思い」も絡まったものになっている。だから事実ではない。思い出で補正されているから。
だけど、自分が思い出して感じていること、それが自分にとっての真実だ。
自分が感じていること、湧き出す感情、ギュッと縮むような感覚、よぎる思い、自分だけの思いは自分のものであって、それがいちばんだ。


一度は、親も親になれてなかったのだから仕方ない、と流そうとした。流せると思った。
無理だった。
親への怒りが再燃し、怒りを感じる自分にも怒り、とてもとても嫌な気分だ。


できるだけよかったことを思い出そうと努力した。
だけどどんなに小さなことでも、
つらかったこと、淋しかったこと、嫌な思いをしたこと、バカにされたこと、認めてもらえなかったこと、ここにいてもいいと思わせてもらえなかったこと、決めつけられたこと、頭からできないと止められたこと、信用されなかったこと、人の人生に口出ししてきたこと、
苦しい思いをしたことが心から離れない。
だいたい、一回だけでこんなに恨みに思い、憎く感じるはずがない。
何度も何度もされたからだ。


日常生活に紛れてほんのささいなことでもそういう毒が言葉のはしばしに、行動に現れていたんだろう。
ただでさえ子どもは親の動向、顔色を見る。敏感に察知する。
親の思いを察して、自分がピエロになってまで親を笑わせ満足させるようにする。
自分の気持ちなんてそっちのけだ。


ごく幼いころから社会に出るまでの長い期間、ずっと閉じられた家庭という場で、繰り返し繰り返してきたんだ。呪縛だ。


離れている今でも、記憶という刃物になって私を傷つける。あの心ない言葉や表情が憎い。それをはねのける力がなかった自分が憎い。悔しい。


自分にもよくないところがあったから…、自分がいい子にしてなかったから…、
もうそんなこと思うまい。


私は、私の感じていることをいちばんにする。
私が嫌だと感じれば、嫌なんだ。
私がきらいだと思うなら、きらいでいいんだ。
私の心は私が守るんだ。
そして、私は私の思うように立つ。

 

#搾取子 #愛玩子