ひとは思いこみでできている

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人間関係のバランス

自分にとって相手が過剰にプラスだと、自分がマイナスになってバランスを取ることがある。

相手の過剰さ加減にもよるけれど、今の“低く下がっている”自分に対して、あまりに情報過多だったり、キラキラと輝いていたりしたらダメだ。自分は卑屈なほどにマイナスに「なろうとする」。

それは逆の立場になることもあって、こちらが元気いっぱいな時、相手に負担をかけてしまっているかもしれない。そんなことがないか、自分の行いをできる範囲ででもチェックすることは、礼儀と思いやりだと思う。その礼儀と思いやりは、相手だけでなく自分にとってもだ。

しかしなぜ、まるで「あなたの輝かしいことに私は釣り合いませんよ」と言わんばかりにマイナスに低く下がってしまうのか。そんなもの、相手はただ言いたくて言っているだけのことなのだから、聞き流せばよいし、そもそも聞かなくたってよい。過剰な状態ということは今のところ向かうところ敵なし状態ということだ。私が合わせたり聞いてあげなくたって敵なしだ。

自分にとって守るものは自分なのだから、過剰さにやられて「どうせ私はそんな話には乗れない」「楽しい話を楽しく聞けない」なんて感じる前に、自分のことをいつくしんであげるほうがよほどよい。

だいたい、人間関係はバランスだ。どちらかが一方的に強すぎると続かない。

いつもなら、ひとつのボートにふたりで乗って、ゆらゆらバランスしながら関係を続ける。ひとりがボート上でジャンプしたり踊ったりしたら、一緒にボートに乗れない。

あ、今日相手は過剰だ、と感じたら、その楽しげな情報過多なキラキラな会話に乗れないことに、申し訳なさや苦しさや自責は感じなくていい。ただそんな時に遭遇してしまっただけ。

今の自分は低く下がっていて重いかもしれない。でもいつもじゃない。

そして、高く上がっていて軽い相手にこちらがわざわざ合わせて、より低く下がらなくていい。今よりマイナスにならなくていい。

苦しいのに無理やり上がらなくてもよい。今の自分ができることを、自分のためにすればいいんだ。