ひとは思いこみでできている

思うこと 気づいたこと なんでも書く

苦手な絵本

 

ヨシタケシンスケ氏の絵本や本が苦手だ。

 

年上の友人から、ヨシタケ氏の本をよくいただく。(ありがたき幸せ)

『思わず考えちゃう』(エッセイ)

『ころべばいいのに』(絵本)

…ほかにもあったけれど、今手元にない。

ただ楽しいから、好みだから、もしくは生きるのに役立つように、という気持ちで贈ってくれているのだと思うのだけど、

読むたびに「あっ、やっぱり苦手…」となる。

なんで苦手なのか考察してみよう。

ヨシタケ氏の本や絵本は、生きるのにしんどくなる心の部分をえぐってくるから?読んでいて苦しくなるから?読んでいて楽しくないから?

確かに内容は「まるで自分について言われているようだ」と思えるようなものだ。

でも感覚が合わないのかな?違和感を覚える。すごくモヤモヤする。

このモヤモヤが気持ち悪い。

たとえば『思わず考えちゃう』

一読して数ヶ月経った。内容はさっぱり覚えていない。

でも一読したときなんだかモヤモヤが残って、あんまり好きじゃないな、と思ったのは覚えている。

ちっとも共感できなった。

 

贈ってくれた友人に感想の一言でも言えたらと、本の中のエピソードでよかったと思った部分を探しながら読んでも、やっぱりどれにも共感できなくて、再読もしてない。

このエッセイの中にも書いてあるけど、ヨシタケ氏は心配・不安症で、めんどくさめの人、要領もよくない。

そういう点、自分もそうだから感じ方としてよく理解できる。

たぶん、同じ不安なこと心配なことがあったとき、それを解決したりいなしたりする手段がぜんぜん違うんだろう。

ただその手法が私には遠くて、ほぅほぅそういう方法もあるのね、でも私はその方法は取らないな、と思うんだ。交わらないんだ。

近いけど遠い感じ。

立っている高さが違うのかもしれない。横の方向にはいない。縦方向に離れてる感じがする。

たとえば『ころべばいいのに』

うん。よくわかる。よくわかるよ、こうした気持ち。きらいなひと、いるし。でもきらうと自分の中がぐちゃぐちゃになって、余計に苦しくなるんだよね。だから、なくそうってもがくけど、なくならない。なくならなくっても、自分を機嫌よくいさせてあげるために、好きなものや好きなこと、避難場所を作っていこうって思うよね。苦しいのは私だけじゃないし、ものごとを俯瞰したり客観的に見られるようになったら、ふと楽になったり、自分なりの解決策を考えたりできるようになるよね。冷静になって。

…うん、よーくわかるよ。

頭の中で思い巡らせていたことを絵本にしてもらって、わかりやすくなってる。

うんうん。

でもなんでだろう、まったく共感できない。そうよねー、とは思うけど、その通りとか、納得とか、そうなの!とか思えない。

***

私は本には「楽しみ」を見つけたい。

その「楽しみ」は、心を動かすものだ。

その「楽しみ」は、苦しく感じても、悲しく感じても、絶望を感じても、でもやっぱり「読む楽しさ」なんだ。

ジャンルや時代は関係ない。

文字を追っていくと、心をぐいぐい揺さぶられる。奥の方に触れる。ギュッとなる。パーッと解放される。

キラキラと光を感じ、トンネルの中のような暗闇を感じ、どこへ連れて行かれるか知れないワクワクを感じる。

主人公たちに共感できなくても、その気持ちを想像したり、そんな見方をするのかと発見したり、本を読んでいる間じゅう、心は忙しい。早く続きを読みたいけど、もったいなくて読み終えたくない。

そういう本が、私の好きだと思う本で、「本の楽しみ」だ。

 

だから、そう感じられない本はやっぱり苦手で、本ならなんでも好きだと思ってたのだけど、違うことがわかった。そうして、それでもいいのかもしれないな。

苦手は苦手、さっぱりした。