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強烈な母の呪いの言葉 パート2?

元号について、発表される前からなんだか大騒ぎだなーと思って、大阪は選挙も重なっていて空気がざわついていた。少しうんざりとした気分だった。

しかし、

実際に新元号が発表されて「令和」と知った時、気分がスカーーーッとした!

品があってきれいな、清々しさを感じる言葉だな、と思った。私はこの言葉を好きだ。

実は「平成」になった時、このなるべく意味を持たせない二字の言葉を、だれが言ったのか「最悪の時代だ」なんて、占い師なのかマスコミなのか◯◯党なのか、言葉に責任を持たないもんが言ったらしいんですよ。

そしてそれをテレビで聞いた母親が、私にそのまんま言ったんですよ。

「平成って最悪やねんて」

…うっさいアホか。

と、今なら言える。でもその頃はまだ高校生。母親の影響バリバリで、なんなら母親の言うことは当然だなんて思ってた頃だったから、私もそのまんま受け取ったんですよ。

ほんで、呪いの言葉に化した。化けた。

 

ほんと、言わなくていいことをわざわざ言って、いやまぁ口から出るのはもう仕方ないけど、でも言い捨てたまま、または自分がそれについてどう思うのかを考えず言わず、マスコミが垂れ流したことをそのまま人へスライドさせるのはどうなのよ? ただの世間話のつもりだったから? 自分の発言がどう捉えられるか考えたことある? 平成に謝れ。

 

最悪だって思ったら、それを証明するために証拠探しをしてしまう。

災害や事件事故、そうしたことは時代関係なく起こるのに。

それに、

最悪の時代だろうと、私は生きていかなきゃなんないんだよ。

そう、「生きていかなきゃなんない」と今は自分の意思で思う。

だけど思い出した。

一番強烈な母からの呪いの言葉。

私の姉が5歳で交通事故で亡くなったことで、私は死ねなくなった。

「あんたは親より先に死んだらあかんよ」

楔のように、私を動けないように縛りつけた。

常識として〜、世間では〜、云々。そういうのは要らない。本当に、親より先に死んだらあかんの? いつ死ぬかなんて、誰にもわからないのでは? 死にたいって思うこともあるのでは? 実際にそうすることと思うだけのこととでは、とても距離のあることだとは思うけれど。

母の言葉で私は「自分の意思で死ぬ自由」を奪われた、と物心ついた時、思ったな。

でも、その言葉で今も死なずにいます。母の必死さ、切なさ、つらさ、といったものも、呪いだと思うと同時に強く感じたから。お母さん、私はお母さんお父さんより先には死なない。生きます。

なぜなら、自分の人生を生きたい、と思っているから。

周りの意見や感想やただのつぶやきを真剣に聞きすぎて、よくわからない影響を受けまくり、自分の意思って何だっけ?と思っていた私だけど、人生後半になってようやく自分を生きたいって思うようになったんだ。

だからお母さん、数々の、私に影響を与えた言葉(それを私は「呪いの言葉」と呼ぶ)を、思い出すたび棚卸しして、どんどん捨てて参ります。

自分で選ぶこと。これこそ強力な断捨離だ。