ひとは思いこみでできている

思うこと 気づいたこと なんでも書く

人の言うことは聞かなくていい

つい先日腹の立つことがあった。

近所の顔見知りってだけのおばちゃんから無礼なことを言われた。

おばちゃん(というかおばあさん)って、人の気持ちとか状況とかに頓着せず、想像もせず、自分が言ったことがどんな風に受け取られるかもわからず、アホみたいなこと平気でいいますな。

恥と思う心(自分の言動を振り返って、ですよ)、慮る心、表情、言葉づかい、そういった「外に出ている自分」になにも注意を払わない、

そんなこと自分の娘に言える?と思えるようなことを平気で言う。

老い衰えたからなのか、鈍くなったのか、もう怖いもんなんかないからなのか、ただ単にそういう人間だったからなのか、あ~こういう人が多いから「老害」ってひとくくりにされるんだよ、そんなことないひともまとめられて。

それで、腹が立って、その場で言い返すことは自分のタイプでは無理なので、あとで考えた。

もし、自分が言いたくなったら、言いたくなった時に、「この前こう言われて不快だった、アンタ無礼なこと言ったね」と言う、と決めた。

でもその時は訪れないかもしれないし、その頃にはどうでもよくなってるような気もするけど、「私は、私のタイミングで言いたいことを言う。そいつの都合?そんなもん知るか」と決めたら少しスッキリした。

まぁそんな仕返しみたいなことしなくても・・・とか、言い返せなかったクヤシー、とか、なんでそんなこと言われるんだろう私が悪いのかしら、とか、昔ならウジウジ考え続けて2~3週間囚われまくってたけど、

その時間が、その「私にとって取るに足りない、無礼な、失礼な、想像力のない人間」に囚われているってこと! 自分の時間がもったいない! 何かあったとしても助けてくれたりしない人間のために! アンタが年金を無駄づかいしてんだよ早く死んでくれない?と思うような人間のために!

人の言うことはまずはきちんと聞く。

私はこういう性質を持っている。

まずはその人の言うことを理解しよう、できたらそう言ったことの背景や心情を理解し共感しよう、という行動がほぼ自動的に出る。

これは使いようを間違えるとすごく自分を傷つける。

今回は使い方を間違えた。聞かなくていい種類の人間の言うことに耳を傾けた。

そして人は、そんなに人の言うことを聞いていない。聞いてるふり、聞いてるつもり。私がどれほど真剣に聞こうと、それは相手には伝わらないことの方が多い。そういうもの。

人の言うことはまずはきちんと聞く。

これは私の性質だ。ただの性質だからよいも悪いもないけど、よいも悪いも使いよう。

ということにしっかりと気づいた。私は、自分の大事だと思う人についてだけ、その力を使おう。練習だ。

この怒り、悔しさ、情けなさ、そういう渦まくモヤモヤを、今までなら見ないように、あまり考えないようにしてきた。そのために、そうとう後になってぶり返しのかゆみみたいにチクチク胸を刺されてきたけど。

嫌なことがあった時に浮かんだ痛み、つらさ、感情、息の浅さ、背中の丸さ、そういうことをもう見ないふりしない。

痛みやつらさをがっちり感じ切る。ムカつくことも、気のすむまで考え続ける。頭がグルグルしたって考える。そして吐き出す。出し切る。

この「やりきる」をする。

今だって書いていて頭に血がのぼって腹がムカムカするけど、やりきる。吐き出す。

私はそうやって自分を大切にして、メンテナンスする。練習だ。

 

まぁ、問題がこんな小さいものでよかった。

そして、そのおばちゃんは私の見える世界、私が私を作る世界といったものから消えてもらうよう意識の外に置くことにしました。私の世界には、私の大切に思うものしか入れない。

…ちょっと違うか。私の世界、と周囲と切り取りたくても切り取れるものではないから、私自身がそのおばちゃんに執着することがなくなれば、私の世界はあたたかなままだ。そのおばちゃんは私になにかの気づきを与えてくれたんだよねー。感謝はしないけどそれに気づけてよかったんだ。

なにごとも、自分次第。