ひとは思いこみでできている

思うこと 気づいたこと なんでも書く

続かないことは悪いこと

何をやっても続かない、という意識にこのところ責められている。

仕事だって派遣で最長3年くらいだし。同じところにずっといたのは5年だった。

20〜30代のころは、人間関係だって続かなかった。続けようとしてなかった、という方が合っている。

そういえば、小・中学のころにだれがいたかと思い返せば、ひとりふたりしか思い浮かばない。

高校も大学も、今や友人と呼べる人はほとんど残ってない。

こんなんだから、同窓会とか、行ったことがない。行きたくはないけど、それ以前に私の連絡先をだれも知らないと思う。

えっ、私って本当に存在してるのかな、と一瞬ひやっと涼しい気分になった。

同級生からすれば、私はいないようなもの。積極的に覚えておこうと思われない人間ということかな。あらあら…私は透明人間か。

でもまぁ私だって誰ひとり覚えてないわけだから一緒か。もう50代も近いですね、みなさんお元気かしら。

 

人との関係も、仕事も、その時その時を必死で、それからある程度慣れ、理解したような勘違いをする。そうすると、また次を見たくなるんだ。新しいことを知りたくなる。

人との関係は、家庭環境の変化もあるし、どちらかがどうこうできるものではないけれど、

仕事については、ある程度必死で行動したあと、やりきったな、と思ってしまう。一段階、二段階、とステップを踏んでいかない。ひとつかふたつめで、もういいや、と思ってしまう。

力の配分もおかしいと思う。ゆっくり時間をかけてができなくて、焦ってしまう。自分が理解力もなく要領も悪いのはよーくわかってるから、早く知らなくちゃ、できるようにならなくちゃ、と追い込み過ぎる。必死過ぎるんだ。

できないことは悪いこと。

続かないことは悪いこと。

こういう思い込みで動いてしまってるんだなぁ。

 

続いたことを思い出せば、小学6年間通ったお絵描きだけ。小学生の足には少しだけ遠いところに、自転車で毎週通っていた。楽しかった。何をしていたかさっぱり覚えてないけれど、きっと好きなようにさせてもらっていて、大切な場所だったんだろうな。なんでこんなになんでもかんでも忘れてるんだろう…。

 

続かない、ということにすごく罪悪感を感じるし、自分を不信に思う。なんにもつきつめられないんやん、という責める気持ち。

だからなにかをはじめることも、どうせ飽きるんでしょ?と頭の声が聞こえて、躊躇する。本当にできるの?したいことなの?なんてことも言う。頭の声はとてもうるさい。