言葉にならないこともある
生きるってすごいことだ。
先日のこと、年配の女性がごく個人的なことを話してくださった。
「私、病気をたくさん持ってるけど、最近になって、今日も生きてるのかぁっていう心境になってきたわ。そんな風に思うようになるなんて思わなかった。」
「そうですよね、生きているだけで、息をしているだけですごいことだって思います。」
「えっ?! あなたはまだ若いのに、そんな死生観を持ってるの。そういった考えを持つと、しんどいでしょう?」
「はい、しんどいです。でも、これしかできなかったのと、今はこれでよかったと思ってます。」
ほかにも、年齢を重ねて身体が思うように動かないことへのもどかしさや苦しさを話してくださった。
私も行く道だ。
息をすることができて、食べることができて、思い悩むことができて、腹を立てることができて、眠ることができて。
知らない間に、髪も伸び、爪も伸び、肌で空気の移り変わりを感じ、話すことができ、音楽を聴けて、青空も雨の日も空を見ることができる。
私は言葉が好きで、思うこと感じることを言葉にしたい、という欲をもっているけれど、どうしたって言葉にならないこともあることを知っている。それを知っていることは私を正気にさせる。なんでもできるわけじゃない。でもできることもある、という勇気を出せる。
生きることというのは、私に、ゆだねることを知らしめてくれる。
ただ生きているだけで、すごいことなんだ。