ひとは思いこみでできている

思うこと 気づいたこと なんでも書く

おおやけにするのなら

公にして発言していることは、誰が読んでも理解できるようにするのが「人の良心」だと思う。

人がわざわざ真意を推しはからないといけないような発言や行動は、本人が「伝える努力や責任を負っていない」ので誤解されても当然だろう。

本人や周りのシンパが「それは違う」「よく読めば真意がわかる」と言ったとしても、そもそも「他人に対してそれほどの熱量を持って読み込んだりする時間はあるか?」を考えてなくて言葉足らずな表現をしたり、長々と結論が捉えづらく書いてるんなら、表面だけさらっと読んでも伝わるように書く努力はしてもいいだろう。

おおやけに」発言している人なら(そしてそれをビジネスにしている「プロ」なら)、自分の言動がどんなに影響するか、人にどのように捉えられるかを想像し、考え、押し付けず、無責任にならず、良心を持って行動してほしい。

ということを、この記事を見て思った。

https://twitter.com/badassceo/status/1035878303234572290?s=21

おおやけに活動するなら、最低限の行動だと思う。

誤解されてもいいも〜ん、どんな風に捉えられてもいいも〜ん、なんて思ってるとしたら、それはただの甘えだ。ビジネス以前の問題。大人(人間)のすることじゃない。社会への責任も負えないようならただの自慰行為だろう。地下に潜ってやれ。

…と、私の中のなけなしの社会性が言っています。人間の端くれとして、良心を持っていたいから。

 

追記》昭和の時代にもブームになって今もまだ脈々とあるビジネス(霊感商法やらネズミ講やらスピリチュアルな洗脳やら)は、非常に前時代的で古くさく、強い違和感を感じる。これからは流行らないのではないか(まだ続いていくだろうけれど)。

新しいビジネスがどんなものなのかまだ出現していないので私にはわからないけれど、今までの方法では通用しなくなっていくのではないか。

そう、人の痛みや弱みにつけこんだ「ビジネス」なのだ。「サービス」でもないし、「善意」でもないし、「公平」でも「平等」でもない。金儲けの手段なのだ。忘れるところだった。