私の目
目が悪いことが、不便でもあり、コンプレックスでもある。
小学5年生の頃から視力が下がりはじめ、今では裸眼で0.01くらいの近眼で、最近は老眼も出て、しかも疲れやすくなってきました。
近眼だけど老眼だから、頼みの綱だった近くまで見えにくくなってきて、
「どこかちょうどいいところでピントが合ってくれないかなー」と都合のいいことを思うものの、そうは問屋が卸さないですね、見えません。
小学生からメガネをかけたり外したり。
高校生になってコンタクトをするようになったけれど、目にはよくなかったなと今では思うほど、疲れるし痛いし、眼球に傷が入ったりしてました。
コンタクトはしんどくなって、30代になってからはもっぱらメガネになりました。
度が強いので、メガネとの境で見え方の落差が激しく、ちょっとの段差でもおそろしいくらいの怖さを感じます。
そんな近眼生活、ずっとずっと「不便」「イヤ」「苦しい」「つらい」という気持ちで過ごしてきました。
でも今日は、それだけではないことに気がついたのです。
夜、飛行機の見える公園に行って、メガネを外してぼうっと滑走路を眺めていました。
滑走路や街に、いろんな色の灯りが点々とともっているのを眺めると、それぞれがぼやぁっと広がって見えます。
赤、緑、黄色、白、オレンジ、青…
滑走路に並んでついている、キャンディみたいな、宝石みたいないろんな色の灯りが、とてもきれいな雪の結晶の形に見えたのです。
色とりどりの雪の結晶みたいなきれいな灯りを見ることができた。
そう思ったら、毎日毎日酷使しているにもかかわらず、ものすごく働いてくれている目に非常に申し訳なく思いました。
そして、目に頼りすぎている毎日なのに、目をいたわったりすることをまったく考えてなかったな、と反省です。気がつくのが遅すぎる。
目が悪いことは、不便であり、コンプレックスだった。
でも代わりのきかないものすごく大事なものだってことにようやく気がついたようです。
コンプレックスなんて、感じる必要はなかった。
あんなにきれいなものを見せてくれる私の目は、これっきりしかない。大切で大切で、大切なんだ。