ひとは思いこみでできている

思うこと 気づいたこと なんでも書く

自分の目と耳と感性で

ラジオでDJさんがリスナーの方からのメッセージをもとにしゃべってました。

最近の言葉使いがなっとらん、と。

我々おっちゃんたちが「正しい言葉使い」をするように注意していきましょう!と息巻いています。

…こういうの、なくならないんだな、毎年のように言う人いるんだ、と思いました。10年前にも聞いた。20年前にも聞いた。聞き飽きた。

だったらいつの言葉が日本語として「正しい」んでしょうか。平安時代? 江戸時代? 文明開化のころ? 第二次世界大戦のころ? 学生運動のころ?

まったく変わらない、確固とした言葉ってあるの?

言葉使いがなっとらん、と怒るのって、だいたい年配の方が多いような。それも、今でいう団塊世代あたり。(思い込みかもしれませんが)

たしかにコンビニ言葉といわれるような言葉は、団塊ジュニア近辺の世代の私も聞いていてあまり気持ちよくはありません。が。

でも、言葉は時代時代で変わるもの。

なっとらん、と怒る人たちだって、きっと新しい言葉を使ったり、今までの使い方を変えたり無邪気にやってきたでしょう。言われなかっただけで、それまでの世代の方々に眉をひそめられてきたと思いますよ。責めてる自分たちだって同じなんですよね。

言葉は変わる。だから「正しい/間違い」で測れるものではない、と思います。

古い価値観やルールは、それ以降の新しい大きな勢力に呑まれるものです。

折しもそろそろ新年度。新しい人や新しい考え方が次々に出てきます。

あぁ、よくない方へ変わっていく、とその時点で思っても、それこそ「世の流れ」として止めることはできない。

その、「よくない方」と捉えている私だって、古い価値観やものの見方をしているかもしれない。新しい考え方になじめず、ただ否定しているだけなのかもしれない。

そして、本当によくない方へいってしまったのかどうかは、もっと時間が経たないとわからない。

大勢のルールに縛られたり、人の目を気にしてこうでなくちゃ、と思い込むのをやめたらいい。

今の自分の目と耳と感性とで、心地のよい言葉を使うように心がけたらいい。

それって、ただ文句言うだけよりよっぽどしんどいです。

まず自分が新しい言葉に歩み寄って、知っていけばいい。

知ったら、自分にとってどう感じるか、で使うか使わないかを決めたらいい。

正しい・間違い、の観念は、人と人との断絶を生みかねない。

知らず、押しつけになっていないかを自分に問うきっかけになったできごとでした。