ひとは思いこみでできている

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夢野久作『ドグラ・マグラ』

今日は好きな本の話です。

夢野久作ドグラ・マグラ』をご存知でしょうか。

今から20年ほど前の高校生の頃に、三一書房版の夢野久作全集をひと月に一冊ずつ買って揃えていくことがとても楽しみでした。

筆者の作品はほかにもたくさんありますが、幻想文学だ、猟奇的だ、と語り継がれ20年前には映画にもなったこの作品は、やっぱり空前絶後なものだなぁと思います。

文体も、描かれる世界も、なにもかも夢野久作でしかない独特なもので、文体なら、繰り返しが多くもったいぶっているところもあり、しかしそれがリズムになってどんどん深みにはまっていくような…、そしてはまってしまったら、味わい尽くすまで戻れない、ドロリとした暗い底なし沼のようです。

ドグラ・マグラ』で非常に影響を受けたのは、「身体の細胞ひとつひとつが意思を持っている」ということです。

例えば手が痛い時、痛みは脳で感じていますが、本当は、手の細胞ひとつひとつが痛がっている。

記憶も、人間の細胞ひとつひとつに宿る(そこから、先祖の呪縛や因果のお話になっていくのですが)。

脳髄万能主義の世の中だからな、とは主人公の正木博士が映画で言ったセリフですが、そんな昔から「脳」の第一主義はあったのか、なんでも頭で判断し、脳が一番えらい、とふんぞりかえっていたのか、と感嘆したものです。ずっと変わらないんだな。

今思えば、思考が一番で身体はそれより劣るとする世の中に、それは違う!と物申した物語だと思います。

読んでいるうちはそうした理屈は置いて、ただ面白く愉快で、読むのがとても楽しかったです。

20年前くらいに映画になったといいましたが、映画も秀逸だったと思います。あの長い長い、あっちこっちとっちらかっているようにも思える(それが夢野久作の魅力なんですが)物語を、よくコンパクトにわかりやすくまとめたなぁと思いました。

主演は、桂枝雀さん、松田洋治さん、室田日出夫さん、江波杏子さんなどなど。枝雀さん好きの私はワクワクしながら映画を観に行きました。

ルーズソックスもまだ出現していないような時代の高校生だったので、映画に出かけるのも意を決して、とは大げさですが、学校帰りに1時間かけて映画館まで行き、帰りは暗くなっている、というのもドキドキしたものです(単館上映でした)

その時買ったパンフレットもいまだに大切に持っています。(後ろのページにシナリオが載っていて、繰り返し読みました。やっぱりよくできているなぁ)

枝雀さんの正木博士役は、怪奇、変幻、おどけ、軽妙、冷酷、恐ろしさ、自由自在な妖しい役で、魅力満載だったと思います。

映画の惹句が「どうどうめぐりのめくらまし」だったのですが、『ドグラ・マグラ』をこんなに端的に表せるなんて、と感心した覚えがあります。

夢野久作の本たちは、

よく晴れた土曜日のうらうらと日が照った午後、飛行機雲が浮かぶ空をぽかんと眺めているような、

またはうだるような暑さの中、汗びっしょりで昼寝から覚め「悪夢を見ていたか」と呆然とするような、

なんとも夢うつつの時間を過ごすことができる作品群だと感じます。

あの空気感や世界観の中にすっぽり入っていた時間は、すぐそばに物語が寄り添ってくれているようで、とても贅沢な時だったなぁと感じます。