ひとは思いこみでできている

思うこと 気づいたこと なんでも書く

自分の目・人の目

自分を責めるのは、人を責めること。

自分への目が厳しいということは、同じ目で人を見ているということ。

人に優しくしていったら、翻って自分に優しくなる。

そして気づく人は気づいて、こちらを見ている。

 

…ということをある方から聞いた。

人はOK・自分はバツ、という意識でいた私は、これらのことをまだよく理解できず受け入れることも難しい。

優しさ、とはなんなのかも理解できない。自分にとっての優しさ・受け手が感じる優しさ、利己的な優しさ・普遍的な優しさ。その線引きだって、確固としたものなんかないだろう。

優しさを表現し伝えることはとても難しいこと。今まで優しくしていたつもりが、ひとりよがりだったのかもしれないと思うと、顔から火が出るようだ。

人に合わせがちで人を優先してきた、というつもりでいたけれど、それもひとりよがりだったのかもしれない。本当は自分のことしか考えてなかったのかもしれない。自分の都合のよいことだけを受け入れてきたのかもしれない。

 

もやもやと引っかかるけれど、引っかかるのは何かに反応しているからで、反応しているということは自分の中に「気づくための種」みたいなものがあるんだろう。

頭で理解するのではなく、心や身体でわかる時まで待とうと思っている。優しさもわかる時がくるといいな。