まだまだ自分を広げていくよ
こんにちは〜
本日は、piyosukeの決意表明!(^∇^)
その前に、昨日の記事でご心配くださったみなさま、ありがとうございます!
気にかけてくださって、とても嬉しかったです。大丈夫です。ありがとう。
自分を知ること---自分の成長、自分の広がり、自分の深み、自分の喜び。
これを目指している時が大好きだ。
自分にどっぷりはまるんだ。
誰かになろうとしたってできないから。
清濁ぜんぶ自分のものとして引き受ける決意をした時、
自分の人生に責任を持つ時、
やっと自分の枠から飛び出せる。
飛び出して、新しいステージに立ってる。
HSPについて。
HSP概念を知ったことで、一旦は安心した。自分を知った気になった。
そこからものすごく考えた。じっくり考えたり実践しているうち、
HSPだけではとうてい自分を説明しきれやしない、ということに気づいた。
そう、ひとつを知ったからといって、何でもそれに当てはめようとしたって、無茶だ。
私という人間をそれですべて語れるわけはない。
HSPは私を作っている「たった一部分」でしかないのだから。
HSPを、顔色を窺うように及び腰で見ていた時は、怒りや悲しみが湧いた。
「周りがわかってくれない」などと人のせいにした怒りや悲しみ。
ちがうね。
ではHSP(敏感さ)がなくならないのなら、いっそ突き詰めてやろう、と決めたら、
とたんにあまり感じなくなった。
いや、感じているけれど、そこに焦点を当てなくなった。
人間は多面体。
ひとつの見方だけで満足するより、たくさんの面を持ってるんだ、と思う方がだんぜん面白い。
一部分だけ見て、つらいつらいと自分に同情するのはもう飽きた。
ひとつだけにフォーカスしたってつまらない。つまらないこともうしない。
それが楽だからって執着しない。
たとえば、私の一部分に「真面目」というものがあるわけです。
これを私は、私自身のフィルターで「カタイ」とか「融通が利かない」とか、つい短所として認識してしまうわけです。
しかし「真面目」だけ読めば、よいも悪いもない。そんな二元論で言えることでもない。
真面目っていいやん。
そうしてHSPも、私のものとして呑み込んだ。引き受けた。
その上で、私にはまだほかにもたくさんの面があるし、HSPだけの見方にこだわるよりも、ほかを知っていくこと、見方を変えていくことが楽しい、と思っている。
多面体だとわかったことで、怒り・悲しみの次にある、喜び・楽しみが湧いてきた。
HSPはもう自分の中にある。
「あ、あるね。それで?」
人の目を気にして動かずにいた。
でもその「人の目」だって、自分のフィルターを通して、自分で作った「人の目」。
勝手に作ったものにがんじがらめになって、
これダメあれダメ直さなきゃ、って、誰のために?
直した先に何があるの?
誰かがほめてくれるの?
ほめてくれるの待ってるの?
今を否定し続けて、では
自分の幸せは未来にあるの?
そんなのこそヤメ!
私は今、ごきげんになる。
私は白い部分も黒い部分も両方あって私である。
誰のための私でもない。私のための私である。
私が私を満足させる。
私は私を極めるんだ。きっと面白い。
私が私を面白いと思ってるんだから、もう人は関係ない。
気づくまで、きゅうくつな枠組みが必要だったんだ、とわかった。
もう呑み込んだので、枠はなくなった。これが自由っていうんだな。
自分にどっぷりはまって、さまざまに考えたり動いたりしていけば、
きっと見えてくるものや感じるものがあるはず。
いろんなやり方を試して、見つけて、やってみる。
失敗したってそれはそれだ。
そうやって私の経験になり、広がりや深みになり、喜びとなる。
気づいたことで、ようやくHSPに感謝の気持ちが湧いてきた。
私には持て余す気質だけど、でも気づかせてくれてありがとう。
今、やっているのは、
自分の感覚や直感をとことん信じて従うこと。
短所と思うところを突き抜けるまでやってみること。
私にとって、気持ちのいい言葉たちを目に入れること。
私は自然の一部である、ということをしっかと感じること、味わうこと。
そうそう、HSPは危機察知能力としてとても役立ってくれているので、
そこでおおいに活躍してもらおうと思ってます。
ご清聴いただき、ありがとうございます。