“音についてとHSP”
私はもしかしたらHSPではないんじゃないか?と思い至り。
もしかして、音に敏感なのは、前夫の影響を受けたことも一因なのではないか?
外的要因の中でも特に「音」について過敏なのはなぜかと考えていた。
前夫は、阪神大震災の影響で、集合住宅での騒音に過敏になった。
その前夫と一緒にいることで、5年ほどの結婚生活の間に、5回ほど引越しした。
いつも不安で、どこへ行っても落ち着ける居場所はなかった。
生活の不安定さが気持ちに影響したということは言えるだろう。
子供の頃から結婚するまでは、実家ではお店をしていたし、
家の前はバス通りで車が途切れることもない場所だったし、
すぐ近くには大きな国道があって夜中でも交通量は多かった。
そして離婚する間際まで住んでいたところは、一軒家だったけれど、10メートルも行けば線路があった。
その頃は毎日日中に家にいたわけではなかったので、騒音の程度も覚えていないけれど、
覚えていないくらい意識外だったのかもしれない。
しかしこれらはすべて外からの音だから、集合住宅での内部の音については、また別かもしれない。
しかしもしかして、私はそこまで感じ取る性質はなかったのに、だんだんと感じ取るようになった、と考えられないか。
現在、よその部屋から響いてくる、不定期な大きな音・衝撃音・破裂音などは非常に不快に感じる。
しかし外の音は、あまりに大きな音は除いて、常に流れ続けている車の音などは、雨や風と同じように捉えているのか割合我慢できる。
結局、他人に突然鳴らされる騒音が不快だということだろう。
「音」について人より過敏であることはしんどくてたまらない。
なぜそんなに乱暴にドアを閉めたり音を立てたりできるのか(モラルの問題)がわからない。
言っても理解できない人や、騒音に平気な人もいることに驚き、
まるでエイリアンと接しているようだと思う。しかしその人から見れば、私がエイリアンなんだろう。それもわかっている。
だからといって、明日から感じないようにはできないし、音を気にしない方法があるなら教えてほしいくらいだ。
音に着目して書いてきたが…
私は内向的であることは間違いないけれど、HSPと内向型は混同されやすいし、
似ている部分もあるのでそう思い込んでしまったのではないか。
外向型社会の中で、内向型は生きづらい。
イケイケドンドンな時代などとっくに終わって多様な生き方の受け皿が必要になっているのに、いまだになんでもポジティブに、積極的に、スピーディに、みんなで一緒にやろう、なんていう多数派がのさばっていて、心底アホじゃないかと思うが、そう思ってることを表面に出したら総スカンを食う。
世の中の多数派からちょっとでもはみ出ようものなら疎外する。
そういった風潮にはうんざりしつつ、でも周りの目を気にして比べて、
ただ周りと同じじゃないという理由から、生きづらいと感じているんじゃないのか。
人よりは感じやすく内省的で、物事を深く読み取り、類推したり分析したり想像したり考えたりすることが「得意」だから、HSPの項目に当てはまったのではないか?
でももしHSPでないなら、それは私にとっては大いにうれしいことだ。
HSPのよい部分はたくさんあるけれど、私にとっては生きていく・生活していく上で弊害となることが多すぎるから。
HSPの気質を欲しいという人がいるのなら、喜んで手放す。
自分の元気が足りてない時には多く「感じてしまい」、
周りをはねのけるくらいに元気な時には「感じない」。
そんな都合のいい気質があるか?
ああ、HSPでなかったらいいのに!
いずれにせよ、課題は「感じてしまう」時の、その過敏さをゆるめたり弱めたりストップさせたり
気をそらせたり、別の行動へ移行できるような、そんな方法を身につけることであって、
つまりは内向型だから、HSPだからといったことは結局エッセンスでしかない。というところに結論した。
自分がどういった考え方感じ方捉え方をして、それが自分に心地よくなかったり
合っていないなら、それを変える勇気を持って、意識し行動する。それしかない。
迷った時は原点に立ち戻って、今一度自分の向きたい方向を問うことだ。
何をやったって答えはあらかじめ自分の中にある。
自分の課題と、自分が楽しくいられるものや人、行動を結びつけていくことが、
これからやっていくことなのかなぁ。
自分とは一生付き合っていかなきゃならないし、頭ばっかり先走って心身をおいてけぼりにすることも多いけれど、
今は、あらためて身体と心の大切さに気づいたところ。身体と心の大きさに。
と言いつつ、頭でっかちにそんなことを考えながら、あらためてHSP項目を見直したところ、
やっぱりどの項目もほぼ当てはまったのだった。
そして、音を感じることに関してはなんにも解決していないことに気づいたのだった。
ケイさんのブログより:
「HSPと、内向型であること、コミュニケーション力の高低の差、の内容や原因は別物と思います。」
http://kabbalah-suuhi358.hatenablog.com/entry/2017/01/04/173000
上記記事は、非常に参考になりました。