ことりのように

旦那さんと文鳥とオカメインコと暮らしています。日々のこと、思うこと。ことりのように自由にはばたいていきたいです

敬愛する枝雀さん

こんにちは( ´ ▽ ` )ノ


今日はバレンタインデーですね。
相変わらず好きなものについて書いておりますが、
今日は、大好きな「桂 枝雀」さんにお手紙を贈るような気持ちで書きます。

ラブレター
 
高校生のころ、落語に、というより枝雀さんにハマりました。
 
『枝雀寄席』という番組が深夜放送であり、公開録画だったので抽選ハガキを書いては何度か見に行きましたよ
( ´∀`)
 
もうハマりました。
めっちゃおもろいんです!ほんまに!
 
ラブレター
 
近くのホールで独演会があってチケット買って駆けつけました。
終演後、着替えをされた頃に、サインを書いていただきました。
(大事にしまいこんでしまい今見つかりません^^; )
突然のお願いだったのに、お弟子さんたちもあたたかく迎えてくれて、嬉しかったなぁ。
高座とは全く違う控えめな笑顔で、ハンチングをかぶっておられたことを思い出しました。
 
サインの言葉は、「萬事 気嫌よく」
(機嫌の機を「気」とされているのは間違いではなく、枝雀さんの想いから、です)
ご自身の丸い顔の似顔絵も描いてくれました。
 
ラブレター
 
落語というと、ラジオなどで流れても聞ける「語り」の芸なので、ご本人は見えなくてもいいのかもしれませんが、
枝雀さんは違いました。
枝雀さんを見ないと意味がないというか、枝雀さんが見たくて落語を聞いていました。
枝雀さんの一挙手一投足を食い入るように見ていたことを覚えています。
それくらい目が離せないのです。
 
ラブレター
 
「枝雀」を襲名する前の「小米」時代を私は知りません。
枝雀さんのエッセイや、没後出版された本や落語作家の方の本によれば、
小米時代は端正できちっとした芸風だったそうです。
 
「緊張と緩和」理論など、独自の観点を持ち、英語落語を行い海外でも公演するなど、落語に対する突き詰め方や情熱が極端に強くて、
もう業のようなものだったのではないか、と感じます。
 
小米時代にうつ病になり、その後少しずつよくはなっていったようですが、晩年はうつから治りかけの頃に自殺されました。
 
一報を聞いた時のショックが大きすぎて、そのあとの詳しい報道や新聞記事は、切り抜きはしたものの読めず、何年か引き出しにしまっていました。
十年以上経って追悼的な番組があり、ようやく見る気持ちになりました。
 
枝雀さんも天才肌の方だったんだろうなぁと感じます。
「爆笑王」と言われていましたが、
真面目すぎるほど真面目で、命を削るほど突き詰めすぎて、ひょいと「あちらへの一線」を越えてしまわれたのではないかという気がします。
 
ほどほど、ということができない性質だったのだろうと思います。
それほど常に切羽詰まり、極端から極端に、もっとよく、もっとよくなれる、と走り続けて、
でもだからこそ、あんなに人を惹きつけてやまない芸ができたのだろうと。
 
ラブレター
 
枝雀さんは、
「将来は、高座で黙ってニコニコ笑っているだけでみなさんに笑ってもらえるような落語家になりたい」というようなことを言っていました。
黙っていても、観客たちと一体になれるような存在、そんな落語家になられることを私も楽しみにしていました。
きっとなれたのではないかと思います。
 
私はあまり尊敬する人を持ちませんが、枝雀さんだけは手放しで尊敬します。
 
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枝雀さんに想いが届くといいな。

お付き合いいただき、ありがとうございます。