心動かされ心鎮まる歌手 その1
こんにちは( ´ ▽ ` )ノ
立春を迎えましたね(^-^)
新しい一年がはじまる、と思うと、何ができるかはわからないけれど奮い起つような気持ちになります。
私の生まれ月である2月は一番寒さが厳しい時期ですが、それも底はここまで。
そして、私の好きな花「梅」が咲き始めます。
さてさて、今日も今日とて好きなものもの。
お時間が許すようでしたらごゆっくりお付き合いいただけますと幸いです。
中学生のころからずっと好きな歌手
「戸川純」さんについて書きます。
お読みくださっているみなさまには、
だんだんと私の趣味嗜好がわかってこられた方もいらっしゃるでしょうか。
戸川純さんが好きだというと、今でこそ普通に受け取ってもらえますが、
学生時分では「変わってるね」の一言で片付けられる感じでした。
一部ファンには熱狂的に受け入れられていたかと思いますが、中学高校生の範囲なんて狭いものです。知っている同級生もほぼいなかったように思います。(TOTOウォシュレットのCMは有名でしたが)
戸川純さんのすごさは、そのオリジナリティか、と思います。
今でこそ影響を受けたと思われる芸能人が複数いますが、彼女が登場した当初はいなかったわけですから。
女優さんでもあるのですが、
私は〈歌手〉としての戸川純さんの世界に惹かれました。
ソロ、バンド活動、などをされてますが、今まで出したアルバムのほとんどの曲の作詞をしています。
パフォーマンスを見るのも面白いですが、私は「聴く」「読む」のが好きで、歌詞を見て意味を考え、その独特の世界観、表現の仕方を味わっていました。
最近、その歌詞についての本人インタビューをまとめた本が出ました。
『戸川純全歌詞解説集
疾風怒濤ときどき晴れ』
(2016.12.6発行 Pヴァイン社)
今まで幾たびも聴いてきて、そらで歌えるくらい覚えてもいるけれど、
なぜこんな歌詞を書いたのか、書けるのか、その内容にどんな意味を持つのかずっと知りたかった。
読んでみて、かなり厳しい内容に驚きました。
その歌詞があらわれる元になった子どもの頃の出来事や心情を慮ると、ひどく苦しくつらい思いがします。
今までにエッセイを読んで想像し、思い巡らせてきたことと合わせて、
私の中の「戸川純」像が強化された感じがします。
時によりつかず離れずでも、ずっとそばにあった彼女の音楽は、
よく孤独を感じていた私には根っこまで馴染み、自分の世界を育て、あたためるための栄養になっていました。
孤独といっても、友達や家族の中で、ということではないです。
それもあったけれど、この果てのない宇宙の中で自分ひとりなんだ、と幾らも生きていないのに生意気にも感じていたようです。
言葉を非常に意識的に使っています。
伝えたい、という思いが強く、
伝えるための言葉を深く選び取っている。
本の中で、いくつかのアルバムのキャッチコピーも自分で考えた、とありました。
歌詞もエッセイも物語も書ける人ではあるけれど、短い字数で全体をバチッと伝えるコピーまで書いたのか、と驚きでした。
そして、底から湧き出るものを言葉にする、というのは、表現しただけでも自分にとってはプラスではあるが、
最終的に相手に伝わらないと意味がないんだなと、
いつも考えていることを代弁してもらったような気持ちになりました。
世に出してしまえば、あとは読み手が判断することではありますが、
「伝える」ためにちゃんとわかる言葉を選ぶ、伝えたいことにしっくりくる言葉を選ぶ、ということは、読み手に対しての最低限の礼儀だなぁとも思います。
ひとりよがりな文言では、自分が伝えたかった思いも空中分解してしまうでしょう。
何はともあれ、この本が出てくれてよかった。大切な人を、より知ることができた気がします。
心を揺さぶられるものに出会ったこんな時、あぁ生きていてよかったな、と思います。
今日もお付き合いいただき、ありがとうございます。